優しい性悪説

人間の本性は性悪?それとも性善?

別にどっちでもないし、どっちでもいいのですが。
少なくとも性悪だと思う方が、ずっと他人に優しい人間になれるな、と思うのです。

もちろん性悪というのを、悪人とか悪徳とかとる必要はありません。
基本的にみんないい人ばかりです。根っからの悪人なんてそうはいません。

ここで何を言いたいかというと・・・
あなたが性善だと勝手な期待をするから、
世界にはあなたにとって悪い人が増えるのです。

だから相手に特段の期待をしなければ、
そんなものだと思うことが出来れば、
誰もがあなたに対して優しくなります。

これは組織論、とみにマネジメントにおいてものすごく大事な事です。
どこかでスタッフに期待をしてしまっていて、
それを満たしてくれないといって嘆くのは、
なんて無駄かつ非生産的なこと!

そういうリーダーはこういいます。
「君のためを思って言っているんだ!」

君のため、君に期待している、そういった言葉ほど、
利己的で相手にとって残酷な言葉ありません。

部下を性善的に捉えて指導するということは、
相手の自助的な頑張りに期待し、いや依存し、
相手が何か失敗なり成果を出せないときに、
その人の努力不足だとその人をなじる事になるのです。

相手は相手で、相手の世界の中でそれなりに合理的な判断をしてやったことを、
あたかもその人が無能で、あたかもサボり癖のある怠け者で仕事の努力を怠った
悪いやつ、そういった断じ方になるのです。

『なんで部下が言ったとおりに動いてくれないんだろう』
『どうしてこんな簡単なことが出来ないんだ』
『考えてみれば当たり前のことを何でやらないんだ!』

もちろん悪人はいないにしても、
怠け者や努力を怠る人は、組織の中に多いかもしれません。

しかしだからなんだと言うのでしょう?

相手を怠け者だと断じて、自分の期待に応えないから、
とその人を責めることに一体どんな合理的意味があるのでしょうか?

性善的に相手をとらえるとは、
自分のアクションを棚に上げ、相手の自助努力という勝手な幻想に
依存することに他ならないのです。

そんなものを押しつけられて、やる気になる人がいるでしょうか。
誰も依存されて充分に成果を発揮できる人間など、いません。

もし、組織を性悪説に基づいて、運営するとどうなるでしょう?
いや、性悪という言葉が悪いですね。
相手の自助努力に一切の期待をしない
自立し、独立し、依存しない運営やリードをするとどうなるでしょう?

何か部下が失敗や遅れをしても、
その人を責めることはありません。
もちろん一定程度はあるでしょうが、
それは仕組化の問題になります。

だから失敗をした相手にかける言葉は、
「なんで出来ないんだ!改善しろ!」
ではなく、非常にドライに
「どうして失敗したんだろうね。繰り返さない仕組を考えるために原因を教えて」
となるでしょう。そしてもしかしたら
「報告してくれてありがとう。これでまた改善出来るね」
なんて感謝も言えるかもしれません。

失敗は失敗をした人の責任重ではなく、
その人が失敗する環境や仕組、組織のせいなのだから、
相手をそこまで攻める必要などありません。

また、相手は概ね善人ですから、
失敗したら普通に反省して、
改善したいと思うでしょう。

それ以上何か攻めたところで、
一体何か意味があるでしょうか。

自分の期待や依存に応えなかったからといって、
相手を責める権利がどこかにあるでしょうか?

責めたところでその人の生産性が上がるのでしょうか?
これは何らかの検証の例をだすまでもなく、
絶対に下がる、逆効果もいいところです。

・・・だから性悪説は優しいのです。
ずっとずっと優しいのです。
問題を一人の人間の精神の責任にしないからです。

皆様はなにがしかのリーダーだと思います。
家庭で、職場で。
おおよそ社会生活を送る限り、
人間は人を指導するという事からは逃れられません。

あなたのアドバイスや言葉は、
相手の自助努力に頼った精神論的なものではありませんか?

そしてそれを相手がしなかったとしたら、
それを相手の努力不足だとして気分を悪くしていませんか?

相手は相手のロジックの中で非常に合理的に生きているのに、
勝手にあなたのロジックを押しつけて、それに沿わない相手を
仕事の出来ないやつ、分からないやつ、そうやって断じていませんか?

そしてまさかそれを自分がなんとかしてやらなきゃなんて、
思い上がったことを思っていませんか?それを相手のためだなんて、
思ってたり、しませんよね?

それは優しく、ないです。
とても残酷です。
あなたが優しく出来る強さを持っていない、それだけなのです。

最近思うのですが、
相手を導いてやろうとか、成長させてやろうなんて
おこがましいことです。少なくとも私は一生できないし、
もしそれっぽい成功があっても、それは本当に相手のためになるものではないとも思います。
だって依存という名の期待で相手を動かしたところで、
それはその人の人生の本当の実りになるでしょうか?
少しぐらいお金は稼げるようになるかもしれないですけどね。

期待してしまうのは、自分が弱いからです。
頼ってしまうのは目的地まで一人でいく自信がないからです。

だから相手に期待してしまうのです。

大きい目標を掲げる人は、やっぱり頼りがちです。
大企業のオーナーが、自分のスタッフは仕事が出来ない!
なんて言うことは古今東西どこにでも、そしてたくさんあること。

大きい目標を一人で目指すのは怖く、難しく、
だからスタッフに期待し、依存し、裏切られ、そういう気持ちになるのです。
目標が大きければ大きいほど、そうなるのです。

でも、だからこそ。
大きい目標を持ちながら、それをたった一人で、
誰にも期待せず依存せず独立して、進んでいくそんな強さが、
真のリーダーには必要だと思うのです。

人を腕力で動かすなんて傲慢です。
人は一人で進む人の背中を追ってついてくる、
そうやって動いてもらうしか、ないのだと、最近強く思います。

一緒にいこうは傲慢で、
行くから一緒に行く?

そうでないといけないのですね。
少しづつそういう事に気がついてきました。

私は優しい性悪説をもって、
失敗を個人のせいにしない優しい組織を作り、
相手に勝手に期待や依存をしない優しい人間になりたいです。
そして自分のこの両の足で、
となりに多くの人を連れる余地を残しながら、
目標に向かって進んでいける、そんな強さを
身につけていきたい、そう思っています。

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