東 周平

「表現力」=「適応力」

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東(アズマ)です。
 
小学生の頃から師事しているピアノの先生から言われた、
「表現力は適応力だ」という言葉が印象に残ってます。
 
2年前の春、大学を卒業し社会人になるというタイミングで、この言葉をもらったとき、
「そういうものなのかな……?」と、なんとも腑に落ちない感覚がありました。
 
今年の4月で社会人3年目となる今、「表現力は適応力だ!」と強く感じています。

普遍的な感情として、我々人間には「自分の気持ちを分かってほしい!」という気持ちと、
「自分の気持ちを分かってほしくない!」という気持ちの、両方が共存しているように思います。
物語によくあるセリフとして、「どうして分かってくれないんだ」というセリフも、「あなたに私の何がわかるんだ」というセリフも、容易に想像ができます。

以下、この2つの相反する感情を「共感」と「反共感」と言うことにします。
※反共感は、「共感しない」気持ちではなく、「共感してほしくない」気持ちです

音楽を奏でる時、私が(延いては演奏者全員が)考え、信じているのは、
音は「感情」を表現できるということ、感情には「共感」と「反共感」の両側面があるということです。

ショパンのポーランドに対する愛国心は、典型的な例ですし、


誰に共感・反共感するかは、その人の立場・信じているもの・好きなもの・嫌いなもの……、
様々な要素で変わってきます。

音楽で人の心を動かすからには、こうした他人の共感・反共感に敏感でなければならず、
これらに敏感であるということは、「適応力が高い」ということだと思います。

色々な立場・思想・趣向の人の、ポジティブな感情もネガティブな感情も、どちらも大事にしていくのは、
ここまで述べてきたように、音楽においても重要なことですが、
当然、社会人としても重要なことです。

しばしば、自分の感情を制御することが「大人になる」ことだとされます。
とはいっても、誰しもが「自分の感情を大事にしてくれる人」と「そうでない人」だったら、
前者を選ぶでしょう。社会人の我々にとっても、これは同じことです。

そして、自分の感情も他人の感情も大事にするというのは、
音楽の「表現力」の基礎です。
(さらには、日常生活で使う、言葉や表情などの「表現力」の基礎でもあります)

社会人になろうとする私に対し、「表現力は適応力だ」という言葉を送ってくれた、
ピアノの先生の考えに、この2年程の社会人生活で、また少し近づけたように思います。

4月からは社会人3年目。さらに適応力を磨いて、
社会人としても、ピアノを弾く人間としても、成長していきます。