鈴木 徹司

いじめ問題

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先日、ワタミの渡邉美樹社長がTVで、
「いじめられている本人は何も悪くない。大人が悪い。」
と仰っていました。

いじめられている子供たちの窮状を思うと、反論もありません。

それでも何か違和感が残ります。

子供が、いじめという困難にぶつかったときに、
本人の問題でなく、大人の問題、社会の問題であると断言していいのか?

それは、本人の問題解決能力を奪うことにならないのか?

いじめは他の困難と何が異なるのか?

友達ができない、話しかけてもらえないことは、本人の責任で、無視されているように感じ出すと、本人の問題でなく、いじめになるのか?

苦手な人と話さないことは自由なのに、それに周りが追従しだすといじめになる?

いじめという問題に対して、何を目指して解決するのか、を整理する必要があります。

① いじめられている子供を被害者として、被害前の状況もっていくこと

② いじめは社会に広くあるものとして、対応能力を身につけさせること

いじめ問題は、今の私には難しすぎて、ハッキリした意見を言うことはできません。

現段階で、私が目指したい方向は②の解決策です。

社会生活では、経済的困窮、家庭不和、病気、仕事のストレスなど、
自分で乗り越えなければならないハードルがたくさんあり、
それをクリアできずに精神的に潰れてしまう人も多数います。

いじめという試練をこれからの厳しい人生のひとつめのハードルとして捉え、
自分自身で乗り越えさせるという機会とすることもできます。
(もちろん、犯罪的ないじめは除きます。)

いじめ全般に過敏になることなく、
いじめる側といじめられる側双方ともに成長の糧にできるようなサポート手法を考え続けたいと思います。