鈴木 徹司

褒めて育てるってホント?

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鈴木です。

褒めて育てるっていうフレーズは、育成法として、最近常識のように使われていますが、個人的にはかなり疑問を持っています。

まず、育てるという目的のために褒めるということ。

褒めるっていうのは、他人の行為を高く評価する感情表現ですよね。

その感情表現を何かの目的のために意図的に使っていいのか?

すごいな~と思えば、素直に褒めればいいだけで、そこに違う目的があると、それは褒めてるのではなくて、おだてているような気がする。

いっそのこと、本質的に「おだてて育てる」と言った方が分かりやすい。

次の疑問は「そんなんで本当に育つの?」

褒めたら伸びた、なんて簡単に言うけど、誰でも褒められれば、心地良いから、もうちょっと頑張ったってだけなんじゃないかな。

自分のことを振り返っても、伸びた時代はいつも大変なときで、あのときはよく褒められて伸びたな~なんて思える時期はない。

子供のときも褒められても、大概は、褒める人の「さらに伸ばそう」という意図が感じられて居心地が悪かった。

ただ、そうしたら、喜ぶのかと思ってもう少し頑張った。

褒めて育てているつもりの親と、その本当の意図を感じ取っている子供、そんな関係がいたるところにある気がする。

ちょっと頑張ったら、すごいね~っと大げさに褒める。
それに気を良くして、さらに努力したら、やればできるじゃないか、ってさらに褒める。

でもそこにあるのは、高く評価する感情ではなくて、褒め手の理想へと導きたい意図。

そんな関係のなかで、育った人は、本当に社会に出てやっていけるのか?

そんな成功体験は、将来的に邪魔にならないのか?

育てるっていうのは、もっと長期的なもので、そんな目先のことではないんじゃないか?

なんてことを考えています。