橋本 真希

正解のコモディティ化

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技術の進歩や業界の変化により、
正解が「コモディティ」化しています。
 

「コモディティ」は経済学や投資等の世界でよく使われる言葉で、
代替可能性を持つありふれた商品やサービスのことを意味します。
例えば先物市場では大豆、小麦、原油、天然ガス、銅、鉄鉱石等が当てはまります。
コモディティは均質な産品として大量に生産・産出されるため、付加価値をつけることが困難です。
このような「コモディティ化」の波が知的労働の世界にも押し寄せつつあります。
 

chatGPTに代表されるAI技術が今後さらに発展・普及していくのは必定ですが、
自分の専門性や知識が及ばない分野に関わる高度な判断でも
AIを活用して多くの人が瞬時に可能になる時代が到来すれば、
従来のホワイトカラーの業務は次々とAIに置き換わっていく可能性があります。
AIの発展で無くなる仕事・生まれる仕事といった議論は既に多くなされているので割愛しますが、
私が気になっているのは「皆同じような答えに収束していく」という可能性についてです。
 

ロジカルに考えたことは一定のルールに従って組み立てられていくので、
それなりの能力があれば、いくらか抽象的な問題であっても同じような正解に辿り着くものです。
AIが導き出した正解(案)は、基本的にロジカルシンキングの観点では申し分ないものなので、
多くの人がそれを鵜呑みにしてしまうのではないかと思います。
 

しかし、その「コモディティ化した模範解答」をもって解決したことにしてしまうと、
それ以外に発想を広げる余地がなくなってしまいます。
似たような課題意識を持つ人が似たようなツールで似たような解決案に落ち着くということになれば、
各人が下す判断に「差別化要素」や「固有の付加価値」は自ずとつきづらくなります。
日常生活で使う分にはそれでも問題ないかもしれませんが、企業活動にとっては好ましい事態ではありません。
 

こうしたジレンマに陥らないためにできることとして、
テクニカルな面では質問の仕方(切り口)を変えて
より適切な課題解決のヒントを得られるよう誘導する等の対策は一定有効かと思います。
一方で、意識の面では「多数派が正しいとは限らない」ことを
判断の前提条件として常に認識しておく必要があるかと思います。
特に経営においては、多数派の戦略に追従することは差別化要素を欠くこととなり、
結果的に競合に対する優位性を削ぐ間違った判断となることが往々にしてあります。
他社と同じような判断を続けることは、生き残るうえで賢明とは言えません。
 

デジタルの時代には知識もどんどんコモディティになっていきます。
しかし、人間の感性や直感、経験といったものはまだユニークなものであり続けると思います。
一見「それっぽい」正解に乗っかるのは、自分で考える手間を省くことができ、
またうまくいかなかったときの言い訳もしやすくて楽なのですが、
そこで安易さを求めず、もう一歩踏み込んで考えるというプロセスは不可欠です。
このような人間的なプロセスの価値は引き続き高まっていくのではないでしょうか。

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