投稿者: shigyo_user

絶滅

先日、自宅への帰路途中ふとなつかしい匂いに遭遇しました。
何の匂いだったを考え、とても心地匂いであることに気付いたのです。

それは小学生のときの図書室の匂いでした。(視聴覚室だったかも)
図書の時間は好きだったのですが、読む本は専ら図鑑でした。

昆虫や動物といった男の子に人気のあるジャンルであった上に
図鑑は借りることが出来なかったため非常に競争率の高いものだったのを覚えています。

争奪戦に勝利し、静かな図書室でゆっくりと眺める動物たちは格別です。

ライオン、チーター、トラ、オランウータン、サイ、ホッキョクグマなどが好きでした。

しかし、現在ではその全てが絶滅危惧種に指定されています。

この他にも、ゴリラ、チンパンジー、アシカ、ラッコなど一般に広く知れ渡っている動物達も
これにあたります。

百獣の王ライオンまでも絶滅危惧種というのはショックですね…。

昔、世にも奇妙な物語で 『最後の喫煙者』 というものがありました。

この話は、禁煙社会が加速化し、喫煙に関する法律が制定されて

喫煙は犯罪となり⇒処刑される という内容でした。

愛煙家は当然逃げ回りますが、徐々に数を減らし、
ついに最後の一人となり
いよいよ喫煙者撲滅かと思われたそのとき!

国からある命令が下ります。

たった今、喫煙者を天然記念物に指定されたので、捕獲をやめるように  というものです。

数十年後、博物館にはく製として展示され、社会見学に来ていた子供たちが
「へえ~昔の人は本当に煙すってたんだ~」
みたいなオチでした。

この話は、実際に動物が絶滅危惧種になる流れをもとにしています。
あのころは気付きませんでしたが、
「ちゃんと考えてるなー。」と、大人になってから感心しました。

自分達の都合の悪いものは排除し、(または私利私欲のため)数が少なくなったら保護する。

人間の身勝手さを象徴した典型的なものだと思います。

私は、本や、映画でも綺麗に人間の素晴しさを表現したものよりも、
人間のありのままを描写するようなリアルな作品が大好きです。

さて!今日もリアルに業務に追われたいと思います!

子供手当て

いや~
なかなか壮絶な選挙結果となりました。

私も、もちろん投票にいきましたが、子連れの方が非常に多く、
今までにない混みようで、なんだか妙な違和感を感じました。

たまたまかもしれませんが、例の『子供手当て』の影響かな、と思いました。
中学生までの子を持つ家庭に毎月2万6千円支給されるという、あの公約です。

実現には不明確な点や問題が多く

・財源はどこからくるのか不明確

・子供のいない人に負担がかかり不公平

・あきらかに人気とり

など、さまざまな声がささやかかれますが

私が最も共感したもので「給食費の未納に子供手当てを充当すべき」
という意見がありました。

今、給食費を払わない保護者の方が非常に多いです。
それも生活に全く困ってないのに。

担任の教師が給食費未納の各自宅に請求にいくという現状です。
学校側はやむを得ず給食の質や量を調節することになります。

今まではデザートのみかん一個だったところが、
→半分になってしまう学校もあります。(ナイフでスパッと)

そんなの悲しいじゃないですか…。

この子供手当を支給された保護者が、自分達の遊興費として使うことが
懸念されるのも一理あると思います。

この公約がすんなり機能するとは思いませんが、
なんだかすっきりしない気分の投票日でした。

本当は色々と言いたい事もあるのですが、
政治的なことなのでこの場では自粛したいと思います。

最後に、裁判官の国民審査についてですが、
あの制度はあまり合理的ではない感じがします。

機会があったらこの制度についてよく調べた上で考えを述べたいと思います。

モチベーション調整

 『好事、魔多し』

私が最も好きで教訓にしている言葉です。
意味としては、うまく事が運びそうなことや、めでたいことなど
好い事には往々にしてそれを妨げる邪魔が入りやすい

というようなことです。

一見、悲観的で後ろ向きの言葉のようにも見受けられますが
やたら事がうまくいっているときや、非常に調子が良いときなど
私はこの言葉を思い出すことで
常にスタンダードな状態を保つよう心がけています。

こうすることで、『好事』の状態を意図的に解除し、この言葉の成立を回避しています。
この作業を怠るとやはり(私の場合かなりの確率で)『好事、魔多し』通りの災いが起き、撃沈します。

例えば、楽しみにしていた旅行の前日に急性胃腸炎で入院したり、
ある日無性にサイゼリアの看板メニュー「小エビのカクテルサラダ」が食べたくなり
その日、一日仕事など頑張って

さぁ食べるぞ!というときに限って
「申し訳ございません、本日は売り切れに…」
ということがよくあります。

そもそも幸福と不幸には一定のバランスがあります。
どちらか一方だけという訳にはいきません。
よく、嫌なことの後には良いことが待っているというようなことが言われますが
まさにその通りです。

つまり、逆に言えば幸福を得るためには、ある程度の不幸を受け入れなければなりません。
私は日頃小さな不幸であればできるだけ回避せずに受け入れることにしています。

敷居の段差で、足の指をぶつけ激痛をはしらせる、
携帯をトイレに落とすなど  (ただの注意力散漫ともいいますが…) 
そうすることで幸福への確率をあげています。

◎不幸……ポイントを貯める

◎幸福……ポイントを使う

というように考えて、嫌なことがあったときは
「よっしゃ、ポイント貯めた!」といって慰めてます。
ちなみに、度合い(大きさ)に応じてポイントの量は比例しますので、
すごく嫌なことは大量ポイントが貯まりますし、特典がつく場合もあります。

科学的根拠は全くありませんが、意外と理に適った法則だと個人的には思っています。
ただの自己満足の世界ですが、私はこれでモチベーション調整しております。

ハンバーガー

先日のお盆休みの最終日お台場のクアアイナというハワイアンスタイルのハンバーガー屋さんに
行ってきました。現在、日本には15店舗を展開しており、
もともとは、1975年にハワイ・オワフ島の北西海岸にある街ハレイワに開店した
サンドイッチショップが元祖のようです。

アボカドチーズバーガーを注文しました。豪快でかなりのボリュームがあり食べにくそうでしたが、私はハンバーガーに少々こだわりがあり、こぼすこともなくキレイに食べきる自信がありました。

がしかし…。

アボカドがまるごとヌルリとすべり落ちていきました。

学生時代、ハンバーガーをいかに秀美に食すか!ということを考え日々技術の習得に明け暮れ、
埼玉で3指に入ると豪語していた私にとって今回の失態はとても屈辱的です。
やはり日本人には無理なのか、日本人の私ではここが限界なのかと嘆きました。

ハンバーガーは食べるのが難しいです。
しかし欧米系の人の食べ方はとてもきれいです。それでいて非常に美味しそうに食べます。
(ハンバーガーに限らず)

食べ物の口への運び方

口の動かし方

飲み込むタイミング

顔の表情

どれをとっても我々日本人のそれとは比較になりません。

美しく見える要因の一つとして骨格の違いが挙げられます。

特に鼻から口元にかけてのあのラインが食べ方を美しく見せるポイントの一つになります。
全体的に鼻が前に突出していて口が奥にあるような西洋人特有のかたちです。(唇も薄い)
口元が奥にあることで食べ物にかぶりつくという印象がぼけるのでキレイに見えるのだと思います。

一方、東洋人は全体的に口が前に出ているような顔のつくりをしています、これにより食べ物を頬張るときその瞬間が丸見えで、いかにも食べてますというようなインパクトの強いものになります。

そのためあまり美しくは見えないですね。

ここで模範的なハンバーガーの食べ方を紹介してみたいと思います。
(アメリカンスタイル)

①ハンバーガーを両手で持ち適度な圧力をかけバンズ(パン)を少し潰す
→これにより、パンと具材に密着度が生まれ、具がはみ出てしまうのを緩和できると同時に
 口に入りやすいサイズに整形
②肘を張り水平に保ったバーガーに向かい勢いよくかぶりつく
→おいしそうに見えるのを演出できる
③噛む瞬間のインパクトはスピーディーに、噛み切る瞬間はソフティーに
→余計な力がバーガーに加わらないことで、強い圧力により具材がはみ出てしまうことを
 防ぐ
④噛むストロークは滑らかに
→優雅さを演出

欧米の人はこのような高等技術を自然に身につけています。
つまりこれは教育や習慣によって身についた食べ方、食文化だと言えます。
素晴らしい!!

私がこれほど妙なこだわりを持ってしまったのには、ある出来事がきっかけとなっています。

当時私は5歳でしたが、マクドナルドで白人男性が半分紙にくるんだチーズバーガーを本当に奇麗に美味しそうに食べているのを見て衝撃を受けました。それまでフィレオフィッシュしか食べさせてもらえなかった私は母親に「アレが食べたい!」と思い切って言ってみました。
今思えば、あのときが生まれて初めての自己主張だったように思います。

そこから私のハンバーガー人生は幕を開け現在に至ります。

子供は大人のちょっとした行動、しぐさなどに非常に影響をうけます。
そして何気ない一言が後の人生を左右することにもなりかねません。

子供の前でのうかつな発言には気をつけなければならないと最近よく思います。

それはそうとその日の私の夕食はアボカドチーズバーガーセットから
⇒チーズバーガーセットになりました…。

金銭感覚を身に付ける

子供の成長に伴って、金銭教育の必要性を感じることが多くなりました。
子供に限らず、金銭感覚の乏しい人がたくさんいます。

金銭教育は簡単に言うと、お金の使い方(金銭感覚)を教えるということになりますが、
金銭感覚をマスターしておかないと社会に出てから、知らないうちに苦労します。

持っている範囲で優先順位をつけて使うこと
収入に見合うように使うこと

こういうことに金銭教育の主眼が向いています。
子供に小遣いを与えて、自分で管理しながら欲しいものから順番に買うというものです。

これはこれで意味があるのですが、
お金を使うという本質にアプローチできていません。

お金を使うこと=お金と何かを交換することで得をすること

100円でお菓子を買うことは、お菓子に100円を超える価値を見出し、
お金と交換することで、得をすることです。

衣服をクリーニングに出すことは、
クリーニングに出すことで節約できる時間を他の活動に充てることで、
間接的に得をする行為であるはずです。

つまり、お金を使うという前提に立たず、
まずはそもそもその交換をすれば、自分が得をするのかが問われます。

例えば、100円のお小遣いをもらった子供がコンビニでお菓子を選びます。
子供はお金が「魔法のようなもの」であるという本質を見抜いていて、
ある意味、大人よりもお金を大事にします。

ピンとくるものがないと、買わないという判断をすることがあります。
ところが、
大人が「せっかくだから何か買ったら」と無理な判断を迫ったり、
「お金は使うためにあるんだよ」と訳の分からないことを言ったりして、
子供の金銭感覚を壊していきます。

子供は80円の価値を見出せないお菓子に、100円を払うことになります。
ニコニコした大人の表情を見て、これでいいのかと納得します。
こうして、子供は買うと決めたら、
その中で一番マシなものを選ぶことがお金の使い方と覚えてしまいます。

こうした子供が大人になると、どうなるかと言うと、
今月はボーナスがあったからとか、臨時収入があったからとかの理由で、
その価値を十分検証することなく、買い物をしてしまったりします。

買い物をしてうれしいはずなのに、後悔することがあります。
買い物するたびに罪悪感に悩まされる人もいます。

それは、買い物自体が、後悔や罪悪感を伴うものなのではなく、
その買い物によって、自分が損をしたことを潜在意識で知っているからです。

自分にとって8千円の価値しかないシャツを1万円で買ってしまったのです。

やはり、まずは自分にとって、それがいくらの価値があるのかというモノサシを作ることです。

そのお菓子が120円の価値があれば、100円と交換です。
そのお菓子が80円の価値しか見出せなければ、100円との交換はしません。

そのシャツが2万円の価値があれば、1万円と交換です。
そのシャツが8千円の価値しかなければ、交換はなしです。

自分のモノサシがあれば、判断は簡単です。

まずは、その判断をして、次に懐具合を考える。

①価値比較による交換の是非
②懐具合

この順番で判断することが大切だと思います。

社会復帰の手法

鈴木です。
ひさしぶりの登場です。
東京オフィスの移転、家族の東京引越しとバタバタした日が続きました。
ようやく少し落ち着きそうです。

先日、心の疾患からの社会復帰をサポートしている方と話す機会がありました。
私自身にとっても興味深い課題なので、いろいろと突っ込んで伺いました。

社会復帰のポイントは、「そのままでいい」と伝えることだといいます。
そうして少しずつ慣らしていくそうです。
本人は、焦らずに仕事に慣れ、数年かけて復帰していくといいます。

一方、現在のビジネス現場では、日々革新を求められ、
常に新しいチャレンジをしていかなくてはなりません。

同じことを繰り返している企業は、あっという間に凋落していきます。
多かれ少なかれ「このままではダメだ」という危機感があります。

「そのままでいい」という復帰プログラムと
「このままではダメだ」という実際のビジネス現場には、正反対の価値観があります。

どちらが良いとか悪いとかではなく、両者にあまりに温度差がありすぎて、
「そのままでいい」という復帰アプローチが現実的な手法であるとは到底思えないのです。

順調に復帰が進んだとしても、どこかの段階で、
ビジネス現場の価値観に合わせていくことが必要になります。

そのときに、まったく違う価値観に変更を余儀なくされ、
これまでの価値観ではビジネス社会では通用しないことを知ることになります。

そもそも、当の本人は、一刻も早く何とかしようと全身全霊で打開を図ります。
それを周りが、「無理するな」「ゆっくりやれ」となだめすかします。

私には、その本人の本能的な危機感(周りには焦りにしか見えない)に、解決策があるように思います。

明快に言えないのがもどかしいですが、
当の本人の危機感を紛らわすのではなく、それをうまくサポートして、逆境を乗り切れる方法があるように思うのです。

考えが発展したら、また書きます。

初ブログ

皆さんはじめまして。今日で入社4日目の名取です。

右も左もわからず初日からアップアップの状態です…。

前職は飲食店勤務でジャンルは主にイタリアンです。完全に御門違いのようですが、

学生時代から法律への憧れと興味は強く、今はとてつもなくやる気がみなぎっています!

あとは知識、スキルがついてきてくれれば……。

私事ですが、今回の連休に法事がありました。

わけあって約5年ぶりの親戚との再開でしたが、皆さん元気そうで安心しました。

食事はお寿司でしたが、なぜか玉子を残されてる人が多かったです。どうしてでしょう?

何のまとまりもないデビュー戦になってしまいましたが、

今後様子を伺いながら私の変人ぶりを徐々に小出しにさせていこうかと目論んでいます。

この3ヶ月が勝負なので一気に突っ走っていきます!

皆さんよろしくおねがいします。

負け方

子供を育てることで、自分が学ぶことがたくさんあります。

子供たちとの今の流行は「足し算カードゲーム」です。
5歳の下の娘は、顔を見るたびに「足し算、やろ!」としぶとく誘ってきます。

子供にとっても、勝負事は一大事です。
毎回、勝った、負けた、で大騒ぎしています。

このゲームを通して、教えているのは、「負け方」です。

少し前、「勝ち組」、「負け組」という言葉が流行りましたが、
実際の人生では、勝ちっぱなしの勝ち組も、負けっぱなしの負け組もありません。

みんな勝ったり、負けたりで、そのバランスが少しどちらかに傾いているという感じです。
どういう負け方をするのかは、その人の人生の豊かさに大きく影響しているように思っています。

勝つことに全力を尽くすこと。
それでも負けた時には、負けを潔く認めて、次に生かすこと。

この両立が難しい。

子供を見ていると、人間の本来の特性が見受けられます。

全力で頑張ったときには、負けを認められずに勝敗なしにもっていこうとする。
負けそうな勝負には、初めから参加しない。
とりあえず参加して、勝ちそうになってから本気になる。

きっと子供は皆負けず嫌いなんでしょう。
でも、それでは精神的に成長しにくくなります。

何かを成し遂げた人は、数え切れないくらいの失敗を繰り返し、
それをバネに成功しています。

先人の教えをヒントに、自ら学びながら、子供に教えています。

仕事の本質

仕事は与えられるものではない。

仕事は自ら創り出すものだ。

仕事は教えてもらうものではない。

自分で覚えるものだ。

仕事はさせられるものではない。

自ら進んでするものだ。

自分に仕事がないと嘆いたり、

十分に教えてくれないと批判したり、

自分が納得できないと、モチベーション低く仕事をしたり、と

まあ、仕事の本質を理解しようともしない人が増えてしまった。

マスコミまで、迎合して、

そんな甘えを助長するような論調で、

「失業率」「派遣切り」の問題を伝えている。

こんな甘えた労働観では、

そりゃ、日本の将来は暗いわな。

みんなで立て直そう。

自分に厳しく、他人に優しく

よく言われるフレーズですが、
好きでなくなった言葉のひとつです。

自分に厳しいのは、
将来の自分のためになると思って頑張っていたり、
自分の夢に向かって努力していたり、
している訳です。
すばらしいプロセスです。

それに対して、他人には厳しくしない。
大切なプロセスだと知りながら、他人には、求めない。

矛盾をはらんだ言葉です。

そもそも、厳しさと優しさは対立する概念でなく、
厳しさと優しさは、どちらかというと、共存しやすいものです。

友人に対し、その人に必要だと思い、厳しいアドバイスをする。
そこには、「相手のことを思う優しさ」と「はっきり言う厳しさ」があります。

問題に気付きながら、甘やかして何も行動しない。
そこには、「相手のことを思いやらない無視」と「自分の気付きに応えない怠慢」があり、
「厳しさ」も「優しさ」も見当たりません。

それなのに、いい言葉として、
なぜ、こんなに広く使われているのかを考えたとき、
他人へ迎合した言葉であることに気が付きました。

自分に厳しく、他人に優しい、
そのように生きている人は、
周りの人にとって、都合が良い人です。

その人はしっかり頑張って、周りの人のために働きながら、
でも、周りには、それを求めず、甘い対応をしてくれる。

自分の周りの人がそうあって欲しい、と考える人はいます。

そして、自分がいい人(本質は都合のいい人)だと思われたくて、
他人に迎合する人も使っています。

~自分も他人も大切にする~

その表現行為が、時に厳しく見えても、時に優しく見えても、同源です。
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