投稿者: shigyo_user

自分の意志の力で習慣化はできるのか!?

約1年以上ぶりブログを書きます。 

さてこの1年間の間に私の中で大きく変化があったことがあります。
それは下記の習慣が身に付いたことです。
・朝の早起き(圧倒的な)
・ジムでのトレーニング
・平日ランチのお弁当を作り
以下上の事項を習慣化するために意識したことを一部記載します。
※ここで記載しているものは私が実践したもので個人差があります。
①周りに周知する
②小さく始める
③記録する
④楽に始める工夫をする 

【①周りに周知する】
続けたいことを周りに発信します。
周りに発信してすぐにやめられない状況にします。
すぐにやめてしまうと結局口だけの奴だったとがっかりされてしまいます。
また、周りに周知・認知されることによって「キャラ化」されます。
キャラ化することによって〇〇といえば、△△さんなどといったイメージがつき途中でやめるの気が引けるのと同時に、
より一層力を入れてやろうと思います。 

【②小さく始める】
例えば朝6時に起きることを習慣化したい場合には、
「毎日5分ずつ早く起きる」と目標を立ててスタートします。
徐々に早くして身体を慣らしていき最終的なゴールを達成させます。
いきなり朝5時に起きると目標を立て、失敗した場合には自己嫌悪に陥ります。
自分なんかたった1日も早起きできなかったと、、、 

【③記録する】
スマートフォンのアプリ等を使って記録を取っています。
日々の成果が目に見えてわかるので、小さな成功体験が積みあげていきます。 

【④楽に始める工夫をする】
習慣化は自分の意志の力で難しいので、以下に楽に始めるかが大切です。
私の場合は朝にジムに行くために、前の日に着替えなどを全部用意しておきます。
当日の朝に用意するのは面倒になってしまうので、行動を妨げる要因になってしまうので、その可能性はあらかじめ除外させます。
そうすることによって一気に行動に移すのが楽になります。 

習慣化は自分の意志の力と思われがちですが、
意志の力ではどうにもならない部分もあるので、仕組化したり、簡単に取り組める工夫をすることが大切になります。
何かを習慣化させたいと思っている方はぜひ参考にしてみてください。

「気持ちは汲んでも、顔色は伺うな」

主任MTG。
部下へ指導する時の言い方やタイミングを話し合いました。

もちろん、相手の感情や尊厳を無視すると、うまく行かなくなるとは思いますが、
配慮し過ぎてもおかしくなってしまいます。

その塩梅が難しいのかもしれませんが、個人的には甥っ子対応の学びを応用してます。

当時、甥っ子にどのぐらい優しく、厳しくすればいいかがわからなかったですが、

ある時に何かで読んだ、

「子どもには、気持ちは汲んでも顔色は伺うな」

という一節にハッとして、実践したところ、

甥っ子との関係性がとても良くなりました。

なので部下への指導でも、
相手の感情をある程度は汲み、自分の言動に現れることもありますが、

それに左右されず、やることはやる、やらせる。
くらいが丁度いい塩梅かな、とも思ってます。

「小犬のワルツ」≠「小犬がグルグル回ってる曲」

東(アズマ)です。

楽譜を見ずに演奏できるようになることを、「楽記する」と書いて「暗譜する」と言いますが、あくまで覚えているのは「曲」であって「楽譜」ではないと常々思っています。

曲と楽譜の関係は、例えるなら「道」と「地図」の関係に似ています。
「道を覚える」ために「地図を覚える」人はかなり特殊な人でしょう。
道を覚えるときには、「ここにはこんな建物があるな」「この角を曲がるんだな」「ここの信号を渡るな」「ここから見る風景はこんな感じだな」……といったことを考えるでしょう。
あるいは、「体が歩き方を覚えている」ような感覚がある人も多いでしょう。

これと同じように曲を覚えるためには、「ここにはこんなメロディがあるな」「ここでコードが変わるんだな」「ここで調性が変わるんだな」「ここを引いている時はこんな気分だな」……といったことを考えますし、
あるいは「体が弾き方を覚えている」ような感覚もあります。

さて、ショパンの作曲した「小犬のワルツ」という有名曲があります。
グルグル回るような音型を「小犬が自分の尻尾を追いかけてグルグル回っている様子を表現しているのだ」と言う人がいて、実際これは間違っていないですが、演奏するにあたっては、この理解では足りないのではないかと思います。
「ほら、小犬がグルグル回ってるよ!」と言われてどう思うでしょうか。
「元気だなあ」「そうですね」「可愛らしいなあ」「アホやなあ」「それがどうかしたの」
としか思わないのではないでしょうか。
(音楽を聴いて涙を流す人はいても、小犬がグルグル回ってるのを見て涙を流す人はいないでしょう)

聴く人の心を動かすのは、小犬がグルグル回っているという「風景」ではなく、それを見た時の気持ちです。
あるいは風景を見て、何かを思い出したり、想起したりするから、感動するのです。

例えば、風鈴の音を聞いて感動する人はいませんが、
風鈴がなっているのを聞いて、帰省する度に歓迎してくれた祖母の家に毎年風鈴が掛けられていたなあと思いだした……といったような背景があったらどうでしょうか。
何か風鈴の音に思い入れがあるならば、そこに心動かす何かを見出しても不自然ではないでしょう。

話を小犬のワルツに戻します。
ショパンは小犬が回っているのを見ていた時、小犬のワルツを作曲していた時、
何を感じていたのでしょうか。

小犬のワルツは、ショパン最愛のジョルジュ・サンドという女性と過ごしていた際、
サンドが小犬を見て「あの様子を表現してみてよ」と言って、弾いて見せたのが元になっていると言われています。(ショパンのことなので、即興的に弾いた上で、楽譜を残す時は更に手を施していると思います)

病で臥せがちだったショパンは、その小犬を見て何を感じたのでしょうか。
元気な小犬に比べて自分と言ったら……と気が滅入っていたかもしれません。逆に、自分の代わりに元気に走り回ってくれているように感じて一層微笑ましく思ったかもしれません。あるいは、(正確な作曲時期はわかりませんが)サンドと別れてしまった後、この曲を手入れした時に、サンドと過ごした穏やかなひと時を思い返していたかもしれません。

つまり、小犬のワルツは「小犬がグルグル回っている曲」ではなくて、「それを見た/思い出したショパンが何かを感じた」作品で、共感したり感動したりするのは、小犬に対してではなく、それを見ていたショパンに対してなのです。

では、この文章では1つ問を投げかけて結ぶこととします。
Q. この文章は何を伝えたかったのでしょう。
(単に「小犬のワルツ」≠「小犬がグルグル回ってる曲」ということでしょうか)

「逆転企画!新人による得意技研修」の実施と総評

2022年6月~7月に「逆転企画!新人による得意技研修」を開催。

普段、先輩社員から教わることが多い入社2年目までの新人が、
逆に得意技を皆に教える逆転企画です。

新人は、皆に自分の存在や得意技を知ってもらうことで、
何らかの社内依頼時に「△△が得意な◯◯さんに頼もう」と依頼されやすくなります。

自分の得意技を依頼されれば「頼られる」と感じ、自尊心も高まります。
もちろん、教えることで自ら学ぶ利点も重要です。

予定では開催回数は四回でしたが、

参加者数が予想以上に多く反応が良かったこと、
研修講師の立候補等に伴い、

延長編として三回を追加しました。

つまり、合計七回の開催です。

ほぼ毎回、30名を超える参加に正直驚きました!
その時刻に出社している社員のほぼ半分が毎回参加ってすごくないですか。

研修講師は各自の多様なコンテンツを提供。下記にまとめます。

各コンテンツは、研修講師の個性がでて面白かったです。

◯第一回:6/8(水)9:30~9:45研修講師 田村さん
【すぐにでも実践できるスパイ式記憶術】

◯第二回:6/15(水)9:30~9:45研修講師 橋本さん
【「知っている人だけが得をする」コピーライティング入門講座】

◯第三回:6/22(水)9:30~9:45研修講師 東さん
【無言でも狼狽えない】

◯第四回:6/29(水)9:30~9:45研修講師 粟田さん
【交渉術】

◯延長編第一回:7/6(水)9:30~9:45研修講師 マサヒロさん
【コーチング】

◯延長編第二回:7/13(水)9:30~9:45研修講師 テサロナさん
【ポジティブ思考の脳内開示します】

〇延長編第三回:7/20(水)9:30~9:45研修講師 磯谷さん
【ミニマリズムから考える幸福学】

今回、参加した皆さんはもちろんですが、
実は、研修講師が最も学べ、得たのではないかと思います。

複数の研修講師からも、

「サポート行政書士法人で聞く『研修等は、やった本人が一番学べる』は本当だった」と聞いています。

研修の準備では、何を、どのように伝えるかを考えたはずです。
自分の知識をただ話すのでは伝わらないことも気づいたと思います。

その分野の詳細を知っている人は、
その分野の初心者にどの程度まで話せばいいか、工夫したはずです。

「自分のしたいこと」×「自分のできること」×「相手が欲しいこと」

これらがうまく合わさったとき、良いコンテンツになります。

それは、まさに、誰かに何らかの価値を提供する「仕事」と同じです。

こういう研修を考えて提供した人は、
顧客との通常面談やレクチャー等が、これまでより簡単に思えるようになるでしょう。

ぜひ、これからも自ら考え、周囲にギブしていってほしいです。

今回、研修講師の立場でなかった皆さんも、
PJ(社内のチャレンジ企画)等を含め、自らギブする立場になっていけたら、
自分自身、自分の周囲の世界がもっともっと良くなっていきます。

最後に、今回は清水が単独で企画したように見えたかもしれませんが、
実は、5月下旬に考え付いた後、増野さんや須藤さんに相談後、
鈴木さんへの提案を経て実現しています。

また、芳村さんからもアドバイスをいただき、改善策として実施させてもらいました。
皆さんのご協力のおかげです。どうもありがとうございました!
また何か機会があれば、よろしくおねがいします。

信用の条件

在宅勤務。

抗原検査キットの検査結果は陰性。鼻腔に綿棒を入れますが、くしゃみを我慢できない・・・。

さて、社内、社外で「信用されること」は重要です。

信用されれば、仕事は円滑に進み、敬意を払われ、他に紹介され、そして楽しく仕事ができます。

では、信用されるにはどうしたらいいか。

今回は、私の漫画遍歴から学んだことを共有します。

ちなみに、漫画だとバカにしてはもったいない。漫画にも学べることはたくさんあります。(昔お世話になった人は「人間は石ころからも学べる」と言ってました)

今回の漫画は「銀と金」。

「アカギ」「賭博黙示録カイジ」を書いた福本伸行氏の作品。
株の仕手戦や政治家との裏取引などの駆け引き、殺人鬼や復讐に身を委ねた男との命を懸けた死闘、ギャンブル勝負を描いた心躍る名作です。

「銀と金」から学んだ、信用されるために必要なもの。

それは「能力」と「誠実さ」です。

あるとき、主人公の「銀」という青年は、盲目男性の手を引き車道を渡る老人と出会います。

その老人、以前は相当な大物だったと感じさせる人物ですが、銀青年と話す中で、
「あの男性は目が見えない。なのに、なぜ私を信用して車道を渡れるか、わかるか?」
と問いかけます。

答えに窮する銀青年に、老人は続けます。

「人が人を信用するのは、能力と誠実さがあるからだ。」

「私は、目が見えるという、彼にはない能力がある。
それに、彼は、危害を加えられないという誠実さも私に感じている。」

「だから、彼は信用して私に手を引かれるんだよ。」

ここで、銀青年は信用の必要条件を学ぶのですが、読んだ当時、私も「そうか!」と合点がいったことを覚えています。

私たちの仕事も同じです。

社内、社外に信用されるには、
求められていることが可能であるという「能力」。その仕事に真摯に取り組む「誠実さ」。

どちらか片方だけでは足りず、その両方が必要ではないでしょうか。

ちなみに注意点は、
「誠実さ」は相手に嫌われないように要求を飲むことではなく、仕事や相手に真摯であるってことですね。

その姿勢が感じられれば、例えば利害が多少異なっても、相手は「この人は信用できる」と思ってくれるのではないかなと思います。

上長最適になってない?

秋葉原の社内MTGで話題が出ましたが、


社内での判断の一部では、全体最適でなく、
(本人想像の)上長最適が染み付いている気がします。


つまり、「◯◯さん(上長)は△△と考えそう」です!笑
皆さん、たまにこれを聞きませんか?


本来、◯◯さんも自分の判断に沿って欲しいのではなく、
「全体最適は◇◇である」と考えて欲しいはずです。
むしろ◯◯さんは、自分で気づかなった全体最適の視点や
行動をもたらす部下に、


「お、、、、この人、できるな」と評価を上げるのではないでしょうか。


もちろん、私もそう考える1人です笑


それに、全体最適で考え続け、その能力が上がると、
全体最適で考える人同士の判断はほぼ同じになります。


なぜなら、全体最適の前提となる立場が同じだからです。
もし、立場が異なれば、全体最適の判断が異なることはありますが、
同じ会社の人間であれば、前提の立場は同じです。


経験上も、人間なので多少のずれはあるものの、
判断材料の情報が同じであれば、
判断のズレは許容範囲に収まることが殆どです。


なぜ上長最適になるかというと、おそらく、


「会社や周囲に責任を持って最善を尽くす」


のではなく、
「自分の案件や状況を楽に通したい」
「全体最適での思考が困難/面倒」


という理由が強い気がします。


気持ちがわからないでもないですし、
上長の考えを理解できる能力は必要ですが、


実際、最も成長して成果を上げているのは、
全体最適での思考と行動ができる人のように思います。

   

評価と対価は、それぞれ繋がっている

評価とその対価について、まとめてみました。

自己評価 → 自分からの対価 (例)満足感、誇り
友人評価 → 友人からの対価 (例)友人からの賞賛、尊敬
家族評価 → 家族からの対価 (例)家族からの感謝、恩返し
会社評価 → 会社からの対価 (例)その会社での昇給、昇進

間違いやすい事例①
会社からの評価が高いから、家族や周囲の人から尊敬されるはずと思っている。

会社評価 → 家族からの対価(感謝)友人からの対価(尊敬)
とはなりません。評価と対価が繋がっていないからです。

間違いやすい事例②
友人や同僚からの評価が高いから、会社から評価されるべきと思っている。

友人(同僚)評価 → 会社からの評価(昇給・昇進)
これも繋がっていません。

評価と対価を理解して、無駄に悩むことがなくなればいいなと思います。

自己評価には、他者からの対価を期待しない

自己評価は、大事です。
自分はやりたいことをやっているのか?
自分は社会の役に立っているのか?
自分の人生は意味があったのか?

このような問いに対して、
他人の評価に振り回されることなく、
自己評価することは問題ありません。
自分としてどうだったのか、という自分の視点が大事です。

評価には、自己評価と他者評価があり、
その評価の対価として、自己からの対価と他者からの対価があります。

つまり、
自己評価は、自己からの対価は繋がり、
他者評価は、他者からの対価に繋がっています。

飲食店の料理人が、自称「最高の一品」を作ったときに、
自己評価が「最高」だとすると、自己からの対価は、大いなる誇りであり、満足感になります。
一方、他者評価が「普通」だとすると、他者からの対価は、通常の対価だけで特段何も変わりません。

自己評価と他者評価が乖離していて、その対価に苦しむ人は、
自己評価に対して、他者からの対価を求めることがあります。

上記例でいくと、
「最高」だと自己評価した一品に対して、他者からの対価も「最高」であるべきだと考えるからです。

他者からの対価は、他者評価によって決まるので、
自己評価が高いか低いかは関係がないです。

逆に、自己評価が低くても、他者評価が高くて、他者からの対価が高いこともあります。
自分が普通だと思って行った親切が、相手には凄く喜ばれたというようなことですね。

自己評価は、自分のことを振り返り、自分がどう進むかを決めるために、
重要なプロセスであり、大いに行うべきだと思いますが、
他者からの対価を期待しないようにしたいものです。

NGワードゲーム

東(アズマ)です。

様々な娯楽が提供されている昨今、
一周回ってアナログな遊びが楽しい、面白いと思うことがあります。
人生ゲーム、人狼、TRPG、将棋、オセロ……

こうしたアナログな遊びも、オンラインで行えるようになりつつありますが、
対面には対面の面白みもあるなあと思います。

さて。そんなアナログな遊びとして、「NGワードゲーム」というのがあります。

NGワードゲームのざっくりした解説:
①参加人数:複数人(3-10名程度)
②用意するもの:紙(参加人数分)とペン
③敗北条件:プレイヤーが、自分に対して設定された「NGワード」を口にすること
④勝利条件:自分以外のプレイヤー全員が敗北すること
⑤NGワード:
参加する任意のプレイヤーに対し、
それ以外のプレイヤーによって定められる文言。
単語であることが多いが、特徴的な語尾などを設定することもある。
ゲーム開始前に、対象のプレイヤーに見えないように紙にNGワードを書き、
伏せておく。
⑥上記①-⑤の条件のもと、プレイヤーたちは会話をし、勝利を目指す。

面白いのでぜひ遊んでみてください!

……という内容で本ブログを締めくくってみるのも、
平和で良いなあと思いますが、このブログの趣旨は
もう少し殺伐としたものです。

「日々の生活って勝利条件のないNGワードゲームではないか?」
ということです。
誰かの言葉に感情を動かされること、時に怒りを覚えることというのは
あるかと思います。
(それがない人というのは、アンガーマネジメントが不要ですね!)

一方、自分が怒りを覚えた言葉を無遠慮に人に投げかけてしまった経験も
あるのではないでしょうか。
(その覚えがない人は、普段から余程注意が行き渡っているか、
あるいは反省しようとしてないかでしょう)

他人に対しては怒りを覚える(=他人のNGワードを判定できる)のに、
自分のNGワードの把握は難しいというのは、
とても「NGワードゲーム」感があります。

ということで、NGワードゲームというものは、
「やってみたい」とかではなく「既にやってる」ものなので、
日々楽しんでいきたいです。

私もこの「NGワードゲーム」を遊んでいて、最近自分のNGワードを見つけました。

「それぐらいやってよ」「自分でやっちゃえば良いか」です。
(NGワードにしては少し長いですが)

「それぐらいやってよ」という言葉を最大限フラットに言い換えると、
「あなたはそれをすることが出来た」ということになります。

ここで注意が必要なのは、「出来る」と「するのが適切である」ということには
大きくギャップがあるということです。
他人の「それぐらいやってよ」という言葉に対しては、
「あなただって出来ましたよね?」という疑問がありますし、
自分の「それぐらいやってよ」という言葉に対しては、
「私だって出来ましたよね?」という疑問があります。

時に、「誰が出来たか」ではなく「誰がするのが適切か」を考えるべき局面があると、
私は思います。(むしろそういう場面の方が多いと思います)

逆もまた然りです。
「自分でやっちゃえば良いか」というのも、
「自分には出来る」という言葉であって、「自分がするのが適切か」という視点に欠けています。

楽な方に流れるのではなく、全体を見て、より適切な人が適切なことをするというのは、
プライベートにおいても仕事においても重要なことだと思います。
この2つのNGワードが頭を過ぎったときには、
「何が適切だろうか?」と踏みとどまっていきたいですね。

また、これらの2つの言葉に限らず、自分がどういう言葉に対して反発感を覚えるのか把握していくのが大事です。
皆さんは、どのようなフレーズがNGワードだと思いますか?

4月からの2ヶ月を振り返る

みなさんこんにちは。 新宿の宏誠です。

代表が鈴木姓のため、社内では下の名前である宏誠で呼ばれてます。 といっても学生時代から下の名前でしか呼ばれたことがないってくらい 呼ばれ慣れた名前なので、幸い違和感はありません。

さて、社会人として働き始めてからもうすぐ丸2ヶ月になるわけですが、 その間で得た気付きや印象的な出来事を述べていけたらと思います。 それは、当たり前すぎて拍子抜けと感じるかもしれませんが、「健康」です。 学生時代は、限界以上にお酒を飲んだり、無駄に起きていたり、 徹夜で試験勉強をするのが当たり前でしたし、 体調が悪くなっても自分が辛い以外特に弊害もなかったので、 あまり健康であることに関して重要視していませんでした。

でも社会人になるとそうはいかなくなります。 自分がダウンすることで大変な思いをしてしまう方が何人もいるからです。 つまり社会人になると人の思いや利益を考えるようになります。 また、そういった気持ちが人と人との信頼を生み、 新たな仕事に繋がっていくんだと思います。 自分自身仕事をしていて、 大変なこともありますが温かい気持ちになることも多々あります。 そういった温かい気持ちを人に対して与えられるような仕事をしていきたいと思います。
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