投稿者: shigyo_user

秋葉原の事件/なぜ希望を見失ってしまうのか?

おはようございます。

鈴木です。

秋葉原の7人殺害事件は、本当に痛々しいですね。

最近起こる事件の背景には、絶望や孤独があります。

今回の容疑者も、「希望がある奴にはわかるまい」と携帯サイトに書き込んでいます。

なぜここまで希望を見失ってしまうのか?

現代は、一度、レールから外れると戻れない、再挑戦のしにくい社会だと言われている。

いくらでもチャレンジできる社会だと感じる、私の実感とは全く異なる。

子供の頃から、再挑戦しやすいことを教えていくことが大切だ。

私も再挑戦組。

自分の姿で、ひとつのモデルを示したい。

仕事に取り組む姿勢

鈴木です。

私は、社員を評価するとき、第一に考えるのは、

成果でなく、能力でなく、経験でなく、

仕事に取り組む姿勢です。

姿勢こそが、これからのその人の活躍を表すからです。

成果は、同じように今後も成果を挙げられるとは限りません。

能力があっても、生かさない人はたくさんいます。

経験は、日進月歩のため、大きなファクターでなくなりつつあります。

仕事に取り組む姿勢が顕著に現れるのが、顧客や上司とのコミュニケーションです。

顧客が本当に満足しているか、を訊いてみます。

どこか改善点がないかを教えてもらいます。

上司に、自分が何を求められているかを確認します。

これでいいと自分が思っていた仕事が、実は違うことに気が付きます。

仕事とは、自分が仕事だと思うことをすることではなく、

自分に求められていることをすることなのです。

大学時代の転機(1)

鈴木です。

以前、子供時代の転機を書きました。

今日は、もうひとつの転機を紹介します。

私が21歳のときでした。

当時、名古屋大学の3回生で、バイオテクノロジーを学び、サークル活動で大学生活を満喫していました。

春に風邪を引いたのをキッカケに、入院することになりました。

病名は、慢性腎炎。

大学入学時に尿検査で引っかかっていましたが、それが悪化したものでした。

腎生検とその後のステロイド治療で夏休みに2ヶ月ほどの入院をしました。

自覚症状は全くないので、不思議な入院生活を送りました。

私の軽い気持ちとは裏腹に、主治医の見解は厳しいものでした。

「数年後には、人工透析になる可能性があります。」

「症状は良くなることはありません。」

「普通の仕事はできないので、座っていればいいだけの仕事を選びなさい。」

まさに、晴天の霹靂(へきれき)でした。

名古屋大学付属病院の屋上で、呆然とした時間を過ごし、

自分の人生がゆっくりと閉じていくのを感じました。

(つづく)

たくさんのリーダー候補を創出しよう

鈴木です。

現在、日本社会では、リーダーが必要とされています。

不安定に状況になってくると、人々は方向性を示してくれるリーダーを求めるようです。

ビジネス界でも、すばらしい社長が何度も取り上げられ、崇拝されています。

事業推進力、先見性、人間的魅力、包容力、体力など、
さまざまな能力を持ち合わせたリーダーが求められています。

1万人に1人もなれないくらいの高いハードルです。

スーパーリーダーを求める背景には、
不安定な生活のなかで、この人についていけば絶対大丈夫、という安心感を求める心理があります。
難しいことを判断することを、リーダーに任せてしまいたいという怠惰な気持ちもあります。

しかし、この過大な期待がリーダーの創出に弊害となっています。

リーダーは、とても割に合わないということです。

リーダーは、元々リーダーという訳ではなく、社会が育むものです。

たくさんのリーダー候補が出てくる豊かな社会にしたいものです。

働きやすい会社とは?

鈴木です。

私は、働きやすい会社を創ろうと、頑張っています。

さまざまな人と話すうちに、働きやすい会社という意味合いが
人によってかなり違うことに気が付きました。

私が思う働きやすい会社とは、働く環境として優れている会社です。

働くとは、他人の役に立つことであり、

働く環境として優れているとは、他人の役に立つことがしやすい環境であること、です。

働きやすいとは、他人の役に立ちやすいことを意味します。

他人の役に立てるように、レベルアップできること、継続的に勤務できること、
業務に集中できること、チームワークを持って取り組めること、などが必要です。

一方、
働きやすい会社とは、労働条件が良い会社と考える人もいます。

給料がよく、休日が多く、自由が利いて、就労することが容易である環境です。

言い換えれば、「社員に都合の良い会社」です。

この両者には、共通点も多くありますが、決定的な違いがあります。

働く人は、サービスをする側なのか、サービスを受ける側なのか、という点です。

私は、
働く人は、まずはサービスをする側であって欲しいと思っています。

大阪維新プログラム案

おはようございます。鈴木です。

昨日は、橋下知事の財政再建案が発表されましたね。

665億円の削減という、大改革で、私たち府民の負担も大きくなりそうです。

私自身も負担感を実感し始めました。

賛否両論が飛び交っていますが、私はこの改革に賛成です。

良くも悪くも、私たち府民が選んだリーダーです。

文句を言う前に、一生懸命についていき、サポートしたいと思っています。

歴代の大阪府行政、大阪府議会などの責任が問われていますが、

最終責任は、もちろん私たち府民にあります。

選挙のときに、大阪府の将来をしっかり見据えて、選んできたかと問われると、

そうでもありません。

そのツケが回ってきているのでしょう。

文句を言う前に、私たち府民が十分反省しないとね。

この痛みを教訓に、行政の役割を考え直したいです。

向山さんのパパぶり

鈴木です。

向山さんのパパぶりは、ほほえましいですね。

入社して間もない頃、どうですか、って訊いたら、

平日も子供と遊べるようになった、と喜んでいたのを覚えています。

なかなか、当たり前の生活すらするのが難しい社会ですが、

ひとりでも、そんな風に思ってもらえたことは、私にとっても励みになります。

そして、今度は向山さん自身が、

厳しい社会で頑張っている人の手助けになりたいと考えていることは、本当に嬉しいです。

人の役に立つことは難しいことですが、お互い少しずつでも頑張っていきたいですね。

子供時代(2)

鈴木です。

昨日はダンスの練習を楽しんできました。

自分のブログを読み返してみると、
何事にもストレートな人のようなイメージですが、

実際は、話しやすい人、気さくな人、という印象をもたれる方が多いです。

さて、忘れてしまわないうちに、子供時代の続きを書きます。

兄弟は、マラソンも速く、学年男子(120人くらい)で常に10位以内でした。

私は、真ん中くらい。

兄弟とともに、早朝にマラソンをしていました。

子供だけでやっていたことなので、近くの運動公園まで行って、グルッと走って帰ってくるだけでしたが…

それでも、学校行事のマラソン大会では、歴然とした結果が出ました。

私の目標は、瞬間的にでも一位になること。

後で抜かれてもいいので、一旦は一番前を走ることでした。

2番手から先頭を追い抜くとき、自分の底から湧き上がるモチベーションを感じました。

そして、抜かれたくないという強い思いは、結局、私を1位にしてくれました。

私の忘れられない感動は、競技場に戻ってきたときです。

全校生徒と父兄の観客席に、ワーッと歓声が広がりました。

本当に誇らしい瞬間でした。

この体験が私に与えた影響は、計り知れないと思います。

私が、自分の意思で目標に向かって、頑張れる土台となっています。

過去の自分に勝つ

鈴木です。

先日、何かでこんなアンケート結果を見ました。

自分が最も魅力的だった年齢・・・28歳

30代も、40代も、50代も、過去の自分のほうが、

今の自分よりも魅力的だと感じていることになります。

「男の人は、若いコが好きだから・・・」っていう愚痴に対する答えが、ここにあります。

実は、過去の自分にも勝っていないんですね。

今の自分と、28歳の自分を並べたら、28歳の自分の方が魅力的だという実感。

少し悲しい現実です。

若さという魅力は、年々失われていきます。

どんなに努力しても、誰にも時間は止めることができません。

できることは、失われる魅力よりも、大きな魅力をつけること。

失っていくものを最小限に留める努力よりも、

新たな魅力を身につける努力が大切です。


去年できなかったことを今年はできるようになる。

そんな地道な取り組みが、新たな魅力を生み出すキッカケになるのでしょう。

そういう私自身も、ライバルと競争しています。

私のライバルは、10年前の自分。

仕事が順調で、社員を雇い始めた頃の28歳の自分です。

その頃の魅力に勝つことは簡単でなく、常に努力を強いられます。

もちろん、10年後の48歳になった自分は、今の38歳の自分よりも魅力的でありたい。

どこをどう伸ばしたらいいのかは、全然分かりませんが、

日々の努力で、乗り越えていきたいと考えています。

他人と比べることなく、過去の自分と比べることは、誰にでも、いつからでもできます。

魅力的な大人の男性、魅力的な大人の女性を一緒に目指しましょう。

子供時代(1)

鈴木です。

子供が小学校に上がるようになってから、

自分の子供時代を振り返るようになりました。

子育てに参考になることを探しているようです。

私の小学低学年時代は、勉強も運動もできない子でした。

身体が弱かったので、弱視で、分厚い眼鏡を掛けていました。

授業に興味が持てず、校舎の庇にとまったすずめを窓から眺めて

授業が終わるのを待っていました。

小学2年生の漢字テストで、100点満点で10数点の点数をとったことを覚えています。

親と一緒に学校に行きましたが、学校までの道のりが妙に長く感じられました。

身体も小さく、年子の弟の方がかなり大きかったので、

近所の人には、よく弟と間違えられました。

すまなそうにする大人を、不思議な気持ちで見ていました。

転機は、10歳のときでした。

身体も少し強くなり、兄弟とマラソンの練習をするようになりました。

(つづく)
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