投稿者: shigyo_user

自信のない人に・・・

前回、自信のない人は、自己評価が高すぎると書きました。

3の実力の人が、「自分は10のことができるはず」と思っている。

ところが、実際は、5のことすらできない。

ああ、自分はダメだと。 何もできないと。

痛々しい話です。

私は、自信のない人と出会い、その人に何かしてあげたいと思えたときには、

その人の自己評価を等身大に戻す努力をしています。

3の実力の人には、自分が3の実力だと自己評価できるようにサポートしています。

ひとつ目は、
その人の客観的な実力を伝えること。
(たまに嫌われます。)

ふたつ目は、
3の実力であったとしても、あなたの存在価値は変わらないと伝えること。

3の実力の人が、

「なぜか5のこともできない」 と嘆くのではなく、

「今の実力は3だけど、これから伸ばす」

と自信を持って言えるようになればいいなと思っています。

「 自信のなさ 」の訳

宮本さんの「ダメな人間」にもあるように、
中高生に限らず、
20代も30代も自信のない人がたくさんいます。

その自信のなさを分析してみると、
自己評価と他者評価の差異に気がつきます。

その人の実力に対して、自己評価が異常に高い。
自分が「できるはず」と思っていることは、たまたま一度できただけで、
実力よりかなり上ということがあります。

10できると自分では思っているのに、実際は3しかできない。
そのギャップが自信を奪っています。

明らかな実力不足であるにも関わらず、「できるはずなのにできない」と感じてしまう。
焦りと、もどかしさと、どうしようもない苛立ちがそこにあります。

やはり教育が間違っていました。

~褒めて育てる (正確には、おだてて育てる)~

3の実力しかない子供に、
「あなたはやればできるよ」
とおだてる。

すると、調子に乗って、10のことでも、やり切れるときがある。
「ほら、できたでしょう。あなたはできる子なのよ。」とほめる。

そして、教育者は「褒めて育てた」と得意がる。

でも、ほとんどのケースでは、「できるはず」のことができなくて挫折している。

親や教師という大切な人の期待に応えられなかったことに
子供は、大きな傷を負っている。

「できるはず」と洗脳されて、プライドは高くなり、
「できない」体験を繰り返して、プライドはズタズタになる。

それを繰り返すうち、プライドだけが高くなった、挫折だらけの子供になってしまう。

自分でも何ができて、何ができないのか、さっぱり分からなくなる。

自分を見失った状態だ。

ずいぶん、罪作りなことをしたと思う。

ここまで、自信のない子供たちを量産してしまった教育を見直したい。

起こることすべて良し

妻の祖父の介護の時期に、

妻の祖母と妻と私で話す機会が幾度とありました。

客間や居間でなく、なぜか台所で何時間も話し込んでいました。

祖母の口癖が、

「起こることすべてよしや!」

いつも朗らかに笑っていました。

状況が悪い

運が悪い

周りが悪い

そんなことを一切言わず、現状をすべてそのまま受け入れる。

その潔い姿に影響を受けました。

カエルの子はカエル

「忘れんぼとアホなところは直せへんで。気に入ってるねん。」

長女が、妻に言った言葉に、驚きました。

私が自分の気に入っているところと同じ。

遺伝なのか、生まれてからの教育なのか、不思議なものです。

この二つの特性を大人っぽく言うと、

忘れんぼ → 忘却の能力

アホ → 理外の感覚

私は、新しいことにチャレンジするのが大好きなのですが、

そのときに必要なのが、このふたつの能力です。

チャレンジするときには、できるだけ頭を空っぽにして、

そのことだけに集中する必要があります。

また、チャレンジは、理屈やデータだけでは成功率が低いものです。

成功させるには、理屈を超えた感性が必須です。

後悔することは大事

今日のTV番組で、「後悔」が取り上げられていました。

過去の過ちを悔いて、何度も何度も考え込んでしまうという
ネガティブなイメージの「後悔」ですが、
脳の成長には、非常に大事だとか。

私自身、忘れっぽい性格と「反省はしても後悔はしない」という信条のもと、
滅多に後悔することはないのですが、
その考えを根底から覆すような話です。

まあ、考えてみれば、全く無駄な感情なんて、神様が作ったと思えないんで、
何らかの役割を果たしているはずなんですけどね。

脳科学的に見ると、
後悔は、現実(失敗)と想像(成功)を比較し、
その差を埋めるべく適応能力を伸ばしている脳の働きがあるとのこと。

もし、あのときこうしてたら、うまくいったかもしれないのに・・・とか
せめて、こんなふうに言ってたらな~とか

できるだけ具体的に、くよくよと後悔したほうがいいらしい。

何年も後悔しているときは、次に失敗しないための適応力をつけるために、
脳がすごい頑張っているんですね。

究極的には、自分の人生そのものを後悔することがベストだとか。

自分の人生は良かったことにしたいし、
頑張ってきたことにしたいし、
これまでの自分も肯定したい。
後悔し始めたら、止まらなくなって、抜け出せなくなっても怖いしね。

そんな感情を超越して、自分の人生を後悔し始めてみる。

考えてみると、後悔だらけのような気もしてきた。
具体的に思い出せないのが残念だが。

それにしても、後悔ばっかりしている人って、あまり成長していないような気がするんだけど、
いい後悔と悪い後悔とかがあるのかな。
そのあたりにも研究が進んでほしいですね。

自分の成長を考える手順

鈴木です。
先週、久しぶりに兄に会うと、いつの間にか読書家になっていました。
新たに得た知識を一生懸命に話す姿は、
一緒に過ごした子供時代を思い出させてくれました。
そういや、いっつもこんな感じで、
新しい学校環境のことから相対性理論まで、キラキラした目で話していたな~っと。

兄のマイブームが船井幸雄とのことなので、
今日は、手近にあった「いますぐ人生をひらこう」(船井幸雄署)を読むことにしました。

(太字引用)
~私たちが「自分らしく生きたい」「自分を成長させていきたい」と考えるとき、
とかく自分はどんな人間だと、すぐに自分に目を向けて考えてしまいがちです。

しかしこの方法では、ほんとうの答えを導き出すのは難しいようです。
なぜなら、どうしても自分だけに視野がいってしまうために、
広がりや奥深さがなく、どうしてもエゴ的な答えになってしまうからです。~


自分のことをよ~く知ること。
そこからスタートしている私に、
それでは難しいですよ、という教えです。

~個人個人の前提である「人間として生まれてきたこと」を十分に自覚し、
正しい人間観を構築したうえで、
その後に自分というものの特性を考えるのがいい方法だと思います。~


分かるような、分からんような話です。
もやもやしているので、やっぱり分かっていないんでしょうね。

~その観点に立つと、小さな自分のエゴにとらわれた窮屈な発想からも自由になれますし、
潜在的にもっているまだ見知らぬ自分の可能性や力も引き出すことができます。~


いや~、魅力的。
少しでも早く「人間としての自覚」をもって、「正しい人間観を構築」したい。

「自分なりにやりました」

この言葉への評価は分かれます。

ひとつは、
「自分なりに努力して、頑張ったんだね。それでダメなら仕方がないよ。」
言った当人が期待しているレスポンスです。

もうひとつは、
「自分なりってどういうこと? 我流で通して、終わりってこと???」

私の考えは、後者です。

~自分なりにやりました~

この言葉は、学生やアマチュアにふさわしく、
ミッション(役割)を担うプロの言葉ではありません。

学生時代に許されていたこの言葉を社会人になっても、
使い続けていることに問題があるように思います。

どこかで、プロ意識を醸成しなければなりません。

与えられたミッションが、自分の知識や経験を総動員しても、
達成が難しいことがあります。

そのとき、他人の意見を取り入れ、他人のサポートを得てでも乗り越え、
何としてでも達成しようとすることは、プロの責務です。

自分なりに考えて、その範囲の中でベストを尽くすことだけでは、努力不足です。

自己満足では、仕事になりません。
他人を満足させてこそ、プロです。

他人からのアドバイス

「契約するときは、ちゃんと契約書を確認しないとあかんやん。」

「いや、ちゃうねん、そもそも契約書をちゃんと見せてもらってないねん。」

アドバイスに対して、その前提条件が違うことを説明します。

「出張の予定が決まったら、すぐにチケット手配しとかんと。」

「いや、急遽決まった出張やってん。」

アドバイスに対して、誤解している部分を説明します。

より的確なアドバイスを求めているのか、

アドバイスを批判と捉えて、言い訳しているのか、

事実誤認や誤解にばかり気を取られ、

アドバイス → 事実説明 → アドバイス → 誤解解消

  → アドバイス → 経緯詳細説明 → ・・・


不毛な会話が続くことがあります。

他人は、当人のことをすべて知ってるわけでもないし、事の経緯もよく分からないので、

そのアドバイスには、的外れな部分も含まれます。

そのアドバイスのどこに着目するかで、その人の成長が決まります。

「契約するときは、ちゃんと契約書を確認しないとあかんやん。」というアドバイスに対して、

契約書を見せてもらったはず、というアドバイザーの誤解に、

そこが違うと説明する人。


契約書を見せてもらったかどうかに関わらず、

契約をきっちり確認するべきというアドバイスの本質を理解しようとする人。


その差はどんどん開いていきます。

他人のアドバイスは、そもそも100点満点な訳がありません。

少しでも自分に取り入れる部分がないかと探す姿勢が大切です。

小食は健康の源

おつかれさまです。
鈴木です。

やればやるほど、忙しくなる。
最近はそんな感じで、
自分でもいつからこんなに働き者になったのか不思議です。

今日の片山さんのブログを見ましたが、
私も、小食が体調管理に必要と考えています。

昔から腹八分目といいますが、
少し物足りないくらいが、私の体調には良いようです。

一般的には、三食をしっかり摂って、間食しない、と言われますが、
私の場合は、三食を軽くして、小腹が空いたら、少し間食する、といった感じです。

それぞれの人に合った食生活があるんでしょうね。

先日、自分の名前をヤフー検索してみたら、
なんと、名古屋大学時代の論文が一番にヒットしました。
http://www.fujioil.co.jp/daizu/report/pdf/014/14_060.pdf

「大豆たんぱく質へのシスチン添加による血清リポたんぱく質代謝の変動」

要は、シスチンというアミノ酸を食べ過ぎたら、健康に悪いよ、という話です。
昨今のサプリメントの流行を警告するような内容でした。

私の卒業後、さらに研究を進めていただき、忘れたころに学会に呼ばれました。
社会人になっていたため、出席できませんでしたが、
大学4回生の論文が学会で発表されることは異例のことだと褒められたことを覚えています。

今でもたまに思い出すのは、やっぱり科学者への未練があるのでしょうね。
(西口さんのいう「分身」が、私にもいます)

ネイチャーを翻訳し、世界のトップを意識しながらの大学時代の研究は、
悲しいほどに今のビジネスに関係していませんが、
大食だった食生活は、見事に改善されました。

「言い訳」の意味

「言い訳するな!」って言われたことありますよね。

逆に言い訳されたとき、ムカッとしたこともありますよね。

失敗した本人は、理由の説明と思っているのに、
受け取る側は、言い訳と感じて、不快な思いをする。


繰り返される日常の光景です。

なぜこんなことになるのかを考えてみました。

例えば、上司への報告書の提出が遅れた場合。

・直前に電話が掛かってきたから。

・他の業務で忙しかったから。

・うっかり忘れていたから。

・期日管理ができていなかったから。

さまざまな遅れた理由が挙げられます。

このなかで、どれが言い訳ととられ、相手に不快な思いを与えるのでしょうか。

「なぜ遅れたのですか?」
  ↓
「すみません。直前に大事な電話が掛かってきまして、その対応に追われていました。」

「なぜ遅れたのですか?」
  ↓
「すみません。急ぎの仕事が多くて、手が回りませんでした」

どちらも「言い訳」とされる可能性が高い理由説明です。

言い訳でムカッとくるのは、今でも不快な思いをしているのに、

それがこれからも繰り返されることが予想されるからです。

直前に電話が掛かってきたことを理由にする限り、
今後も直前に電話が掛かれば、遅れることを意味します。

急ぎの仕事が多いことを理由にする限り、
また急ぎの仕事が多いときには、報告が遅れることを意味します。

それが、分かるので、これからもさらに起こる不快な思いに、腹が立つ訳です。

「なぜ遅れたのですか?」
  ↓
「すみません。うっかり忘れていました。」

「なぜ遅れたのですか?」
  ↓
「すみません。期日管理ができていませんでした。」
  

このふたつは、「言い訳」ととられにくいケースです。
もちろん、今後の対策は強く求められますが。

自分が修正できるところに理由を見出しているので、

自分が修正すれば、同じミスを繰り返さないからです。

忘れないように工夫すれば、同じミスはなくなります。

うまく期日管理すれば、遅れなくなります。

これからは不快な思いをすることがなくなると思えるからこそ、
その理由を受け入れることができるのです。


「言い訳するな」っていう意味は、
そのまま「理由を説明するな」っていう意味ではないんです。

「自分以外のこと理由にするな」っていう意味なんです。

失敗したときには、他人や状況のせいにするのではなく、

自分が唯一変えられる「自分」のせいにして、

それ以上、相手に不快な思いをさせたくないものですね。
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