清水 侑

スペイン旅行|距離を変えると、見え方が変わる旅だった

2026年4月17日から25日にかけて、スペインを旅行してきた。

グラナダ、マドリード、トレド、バルセロナの4都市を、9日間かけて巡る旅だった。

今回の旅で印象に残ったのは、いくつもの対比だった。

ちゃんとしているフィンランドと、大らかなスペイン。
カトリックの国に残るイスラム建築。
ベラスケスの《ラス・メニーナス》と、それを描き直したピカソ。
人を圧倒するトレド大聖堂と、人を包み込むサグラダ・ファミリア。
そして、旅の手触りとAIの便利さ。

同じスペインでも、街ごとに空気はまったく違った。
そして、同じものでも、少し距離を変えると見え方が変わる。

そんなことを何度も感じる旅だった。

スペインのアウトライン

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  • 正式名称:スペイン王国
  • 面積:約50.6万平方キロメートル(日本の約1.3倍)
  • 人口:約4,800万人
  • 首都:マドリード
  • 言語:スペイン語(カスティーリャ語)が公用語。カタルーニャ語、バスク語、ガリシア語なども地域の公用語
  • 通貨:ユーロ(EUR)
  • 名目GDP:約1.9兆ドル(2025年、台湾の2倍、韓国と同程度)
  • 宗教:カトリック(約60%が信仰、近年は非宗教化が進む)
  • 政体:立憲君主制。元首はフェリペ6世だが、政権を運営するのはサンチェス社会労働者党(首相:ペドロ・サンチェス・ペレス=カステホン)

結局、バスは40分遅れてやってきた

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スペインで最初に降り立ったのは、南スペインのマラガ=コスタ・デル・ソル国際空港である。

そこから車で2時間程にある最初の滞在地グラナダに向かう。時間感覚が緩やかと言われるスペインでも、都市間バスは時刻通りに来ると聞いていた。

しかし、予定時刻の午前11時になってもバスがこない。

最初、バスは10分ほど待ったら来るだろうと思っていたのだが、一向に到着する気配がない。他の乗客も落ち着かない様子で、バスが来る方向を何度も確認したり、周囲の乗客たちと会話したりしている。

バスの停留所に係員はいないし、電話の問い合わせ窓口もないので、状況がわからない。このバスは1時間毎に来るのだが、そのバスには次の予定客がいるはずなので、それに乗れるかもわからない。

一度、それらしきバスがやってくるのを見た。しかし、停留所のかなり手前で止まり、そこから動かなくなった。この停留所は運転手の交代場所なので、交代先の運転手に何かあったのかもしれない。

結局、40分遅れてバスはやってきた。

乗り場に集まる乗客たちは、安堵の声を上げている。皆の心の声が聞こえるようだった。いったい、このバスに何があったのか。なぜ、停留所の手前で停まって動かなかったのか。

しかし、バスから降りた運転手は「グラナダ!グラナダ!11時!11時!」と行き先と予定時刻だけを大声で叫んだ。11時と言ってるが、すでに11時40分を過ぎている。見事なまでに説明がない。「説明責任」なんて知ったこっちゃないように、乗客のチケットの確認作業に入っていた。近くにいた乗客のおばあちゃんは、それを見て大笑いしている。

40分遅れで出発したバスは、結局は時刻通りにグラナダに着いた。そう言えば、本来止まるはずの休憩場所でバスが止まった覚えがない。

そうだ。スペインにやってきたのだ。

ちゃんとしたフィンランド、大らかなスペイン

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今回の空路は、日本とスペインの直行便ではなく、フィンランドの空港を経由した。

国際空港で国境を跨ぐ時、「その国の秩序の作り方」や「人間のあり方」が強調されるように思う。フィンランドの空港は、丁寧で静かだった。シンプルでデザイン性が高く、喫煙室の外観すら美しい。写真は、フィンランドの空港のムーミンショップを写したものだ。空港全体で案内が整然としていて、人の動きに無駄がない。かといって、フィンランド人の空港職員は、冷たいとも感じない。「フレンドリーな日本人」といった印象だ。おそらく、大抵の日本人の感覚には合うのではないだろうか。

一方、スペインのマラガ=コスタ・デル・ソル国際空港は、もっと大らかだった。言葉を選ばずに言えば、「雑」だった。到着側に飲食店が少なく、バーガーキングの標識はあるけれど場所がわからない。サンドイッチ店の店舗の作りも荒く、店員さんの態度もラフで、ボカディージョ(生ハム、チーズ等を挟んだ定番サンド)は生ハムの位置さえめちゃくちゃズレていた。

赤ちゃんを抱っこするバルの名物店員

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グラナダ市内に到着直後、タパスを食べに、アルハンブラ宮殿へ上る坂の角にあるバルへ向かった。

写真は、そこで注文したサーモンとイベリコ豚のタパスである。カウンターを取り仕切る恰幅の良い中年店員はかなり陽気で、Googleマップには「名物店員がいる」と書かれていたが、彼に違いない。家族連れや赤ちゃん連れも普通にいて、地域の集いの場のように見えた。スペインのバルは、日本の「飲み屋」とはかなり空気が違っていた。

赤ちゃん連れの男性客は常連のようで、先程の名物店員と親しげに挨拶を交わしていた。そして、赤ちゃんを名物店員に抱っこさせている光景が目に止まった。いくら地域の憩いの場とはいえ、お酒が出るお店で、赤ちゃんを店員に抱っこさせているのだ。

しかし、よく彼らを見てみると、男性客の顔が名物店員の顔にそっくりである。男性客が20歳くらい若い。

男性客は名物店員の息子だ。

とすると、赤ちゃんは孫だ。

男性客は、父親が働いている店に赤ちゃんと来たのだった。まさか、スペインのバルで、店側含めた親子三代の団らんを見れるとは思いもしなかった。

広場で踊る人々

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スペインでは、コミュニティの中で人々が自然につながっていると感じる瞬間がいくつかあった。

例えば、グラナダの高等裁判所前の広場を歩いていると、人だかりができていた。近づいてみると音楽が流れており、観客の輪の中で複数のカップルが踊っている。

踊り手たちは、いずれも高齢の方々だった。男性はワイシャツ、女性はドレスに身を包んでいる。赤いドレスにヒールを履いた女性もいて、背筋を伸ばして楽しそうに踊っていた。

近くでは、10代半ばくらいの女性二人が、音楽に合わせて軽く身体を揺らしていた。踊っている人たちを、周囲の人たちも自然に見守っている。誰かが特別に目立とうとしているわけではなく、その場全体がゆるやかに音楽を共有していた。

とても健全な空間だと思った。

日本にいると、「充実した生活」は、SNSに載せるためのものとして演出されることがある。もちろん、それも一つの楽しみ方ではある。ただ、この広場で見たものは、それとは少し違っていた。

見せることを目的に楽しんでいるのではなく、ただその場にいる人たちが、自分たちの時間を楽しんでいるように見えた。

消費より、愛だと思った。

高価なものを買ったり、特別な場所に行ったりしなくても、音楽があって、踊る人がいて、それを見守る人がいる。それだけで、かなり豊かな時間になる。

スペインでは、高齢者が街の中心から退いていないように見える瞬間があった。若者だけが街の主役なのではなく、年齢を重ねた人たちも、ちゃんと広場にいて、踊っていて、笑っている。

それが、とても良かった。

プラド美術館の『ラス・メニーナス』

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ディエゴ・ベラスケス ラス・メニーナス 1656年

スペインの首都マドリードでは、プラド美術館に立ち寄った。プラド美術館は、歴代のスペイン王家のコレクションを中心に8,600点以上のヨーロッパ絵画が展示され、世界有数の美術館として知られる。

最も印象的だったのは、ディエゴ・ベラスケスの『ラス・メニーナス(女官たち)』だ。ベラスケスは、スペイン絵画の黄金時代であった17世紀を代表する巨匠である。その代表作である『ラス・メニーナス』は、実は今年2月に東京タワーで開催されたプラド美術館所蔵品VR展でも一度見ていた。ただ、実物を前にすると、まずその大きさに驚いた。縦318cm、横276cm。想像していたより、ずっと大きい。

初めはキャンバスから1mほどの距離で眺めていたが、その大きさに圧倒され、自然と後ろに下がりたくなった。3〜4mほど離れて見てみると、絵の構造が少しずつ見えてくる。

中央にはマルガリータ王女が立ち、その周囲を女官たちが取り巻いている。左手には、大きなキャンバスを前にしたベラスケス本人が描かれている。そして画面奥の鏡には、国王夫妻の姿が小さく映っている。

つまりこの絵は、単に王女と女官たちを描いたものではない。ベラスケスが見ているものを描いているようでいて、実は国王夫妻が見ているであろう情景を、私たち鑑賞者が同じ位置から眺める構造になっている。絵の中に描く人、描かれる人、見ている人が重なり合い、こちらがどこに立っているのかまで揺さぶられる。

近くで見ると、人物の顔立ちや表情、筆づかいに目が行く。けれど、少し離れて見ると、絵全体の構造や、視線の仕掛けが見えてくる。
同じ絵を見ているはずなのに、距離を変えるだけで、見えているものが変わる。むしろ、ベラスケスは、この構図を強調するために、巨大なキャンバスを選んだのかとさえ思ってしまう。

これは絵画に限らないのかもしれない。近づかなければ見えない細部がある一方で、少し離れなければ見えない構造もある。仕事でも、旅でも、人との関係でも、目の前の細部に入り込むことと、一歩引いて全体を見ることの両方が必要になる。

『ラス・メニーナス』の前で、そんな当たり前のことを、かなり強く実感した。

そしてこの感覚は、バルセロナで訪れたピカソ美術館で、もう一度別の形で現れることになる。『ラス・メニーナス』が描かれた300年後、ピカソはまったく違う視点から描き直していた。

ピカソの『ラス・メニーナス』

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パブロ・ピカソ ラス・メニーナス(No.1) 1957年

マドリードのプラド美術館でベラスケスの『ラス・メニーナス』を見たあと、バルセロナのピカソ美術館で、ピカソによる『ラス・メニーナス』連作を見た。

写真は、その連作の一つである。

当時、ピカソはすでに画家としての名声を確立していた。とはいっても、その時点で描かれてから約300年が経っていた『ラス・メニーナス』は、すでに美術史上の不動の名作として扱われていたはずだ。

しかしピカソは、その名作をそのままなぞるのではなく、形を崩し、視点をずらし、人物や空間をまったく別のリズムで組み替えていた。それは、単なる模写ではない。いわば、現代でいう似顔絵や風刺画にも近い。対象を正確になぞるのではなく、特徴をつかみ、あえて誇張し、崩すことで、本質を浮かび上がらせる。

元々、ピカソは若い頃から、写実的な絵を非常に高い技術で描いていた。たとえば15歳で描いた《科学と慈愛》を見ると、古典的な構図、人物の表情、陰影の扱いまで、すでに相当な完成度に達していたことがわかる。

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パブロ・ピカソ 科学と慈愛 1897年

つまり、現代で知られるピカソの特徴的な画風は、描けないから崩れているのではない。

圧倒的な基礎の上で、あえて崩しにいったものなのだ。

写真技術が発展すると、絵画が担ってきた「本物のように再現する」という役割は、少しずつ揺らいでいく。目の前のものを正確に写すことだけなら、写真がその役割の一部を担えるようになったからだ。

そうなると、絵画は単なる再現ではなく、感情、構造、視点、内面のようなものをどう表現するかへ向かっていく。

ピカソの《ラス・メニーナス》も、ただ形を崩したのではない。見えている世界を、もう一度別の視点から組み替えようとしていたのだと思う。

技術の発達によって、それまで価値を持っていたものが、そのままの形では存在し続けにくくなることがある。けれど、すでに存在してきたものは、簡単には消えない。形を変え、役割を変え、別の価値を持つようになる。

それは、単なる進歩というより、環境に合わせて姿を変える進化に近いのかもしれない。

ガウディのサグラダ・ファミリアは、これまでと全く違う大聖堂

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サグラダ・ファミリアの聖堂内部

ピカソとほぼ同じ時代、バルセロナには、もう一人、常識に囚われない天才がいた。建築家アントニ・ガウディである。

ガウディは、19世紀末から20世紀初頭のバルセロナで活動した建築家である。モデルニスモと呼ばれるカタルーニャ独自の芸術運動の中で、自然の形や曲線を大胆に建築へ取り込んだ。サグラダ・ファミリア、グエル公園、カサ・ミラをはじめとしたその作品の一部は、「アントニ・ガウディの作品群」として世界遺産にも登録されている。

写真は、サグラダ・ファミリアの聖堂内部である。サグラダ・ファミリアは、ガウディが後半生を捧げ、今なお建設が続けられているバルセロナの象徴のような大聖堂である。

サグラダ・ファミリアは、これまで見てきた大聖堂とは明らかに違うと感じた。良い意味で異質だ。

例えば、スペイン・カトリックの中心的な存在であるトレド大聖堂は、サグラダ・ファミリアとはまったく違う種類の空間だった。

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トレド大聖堂の中央礼拝堂

中央礼拝堂にある主祭壇は、黄金に輝く祭壇衝立が目を引く。天井へ伸びる柱、色と光に満ちたステンドグラス、細部まで彫り込まれた装飾。その一つひとつが、信仰と技術の力で見る者を圧倒するようだった。

当時の普通の人々の立場を想像してみる。

生まれた村や街からほとんど出たことがない。文字が読めず、外部の情報は主に教会と旅商人と噂話だ。「見たことがある最も立派な建物は地元の教会」という世界で生きてきて、ある日、一生に一度の出来事として、トレドの大聖堂に礼拝に来る。

すると、目の前に現れるのは、自分の生活空間とはまったく違う巨大な石の空間であり、天井まで伸びる柱であり、色と光に満ちたステンドグラスだ。

文字通り、「おったまげた」だろう。

そこでは、人間は小さく、神はあまりにも大きい。

おそらく大聖堂は、信仰の場所であると同時に、「世界には自分の理解を超えた大きな秩序がある」と身体で理解させる装置でもあったのだと思う。

一方で、サグラダ・ファミリアに入ったときに感じたものは、それとは違っていた。

サグラダ・ファミリアの建設が始まった19世紀末は、すでに近代の時代である。中世のように、教会が社会の中心にあり、人々の生活や価値観を強く支配していた時代とは違う。産業化が進み、科学や技術が社会を変え、人々の信仰や大聖堂に対する感覚も、かつてとは大きく変わっていたはずである。

そんな時代に建設が始まったサグラダ・ファミリアは、確かに巨大である。技術的にも圧倒的である。しかし、そこにあるのは、人間の技術を誇示して神を讃えるというより、自然の中にある構造を、人間の手で建築に翻訳しているような感覚だった。

天井へ伸びる柱は、森の木々のように枝分かれしている。ステンドグラスから差し込む光は、荘厳というより、時間帯によって色を変える木漏れ日のようだった。石でできた建物の中にいるはずなのに、どこか森の中にいるような温かさがある。気づくと、少し涙が出ていた。

トレド大聖堂が、人間を圧倒することで神の大きさを感じさせる空間だとすれば、サグラダ・ファミリアは、人間を自然の中に包み込むことで、神の存在を感じさせる空間なのかもしれない。

自然を師としたガウディは、従来の大聖堂の形式を闇雲に壊したわけではない。むしろ、自然の形や構造を取り込み、大聖堂をもう一度作り直したのだと思う。だからサグラダ・ファミリアは、石でできているのに、どこか生きているように感じたのかもしれない。

アルハンブラ宮殿

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アルハンブラ宮殿 ナスル朝宮殿

スペインというと、どうしてもカトリックの国という印象が強い。けれど、そのスペインには、イスラム建築の最高傑作と称される建物が残っている。アンダルシア地方のグラナダにある、アルハンブラ宮殿である。

イベリア半島には、711年にイスラム勢力がジブラルタル海峡を渡って侵入し、その後、現在のスペイン・ポルトガルの大部分を支配する時代が続いた。しかし、11世紀以降、北部のキリスト教勢力によるレコンキスタが大きく進展していく。

アルハンブラ宮殿は、13世紀以降、イベリア半島最後のイスラム王朝であるナスル朝グラナダ王国のもとで整備・発展した。ナスル朝は、独立したイスラム王国でありながら、カスティーリャ王国に朝貢し、その圧力と庇護のあいだで存続していた。

つまりアルハンブラ宮殿は、イスラム勢力がイベリア半島を広く支配していた時代の建築ではない。最後に残ったグラナダ王国のもとで、宮廷文化が高度に凝縮された場所だった。

そう思って歩くと、この宮殿は少し違って見えてくる。勝ち続けている帝国の建築ではなく、政治的には追い詰められながらも、最後に残された場所で、文化をぎりぎりまで洗練させた建築だったのではないか。

ただ、実際に歩いてみて強く感じたのは、権力の誇示というより、居心地のよさだった。

外から見るアルハンブラ宮殿は、城塞らしく無骨に見える場所が多い。赤みを帯びた壁は厚く、丘の上に建つ姿には、外敵から身を守るための緊張感がある。

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アルハンブラ宮殿 外側

しかし、中に入ると印象は大きく変わる。

天井や壁面には、繊細な幾何学模様がびっしりと刻まれている。柱やアーチは軽やかで、壁面の装飾も、単なる平面ではなく、光を受けて陰影をつくる立体的な表面のように見えた。

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アルハンブラ宮殿 リンダラハの展望台

特に印象的だったのは、水の使い方である。

アルハンブラ宮殿では、水盤、噴水、水路などが、単なる装飾ではなく、空間そのものを作る要素として設計されているように感じた。

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アルハンブラ宮殿 アラヤネスの中庭

アラヤネスの中庭では、水面がとても静かだった。水そのものが主張しすぎないからこそ、建物や空や光が、水面にすっと映り込む。一方で、離宮の庭園に設置された噴水は、水音が大きく、空間に動きを与えていた。

静けさをつくる水もあれば、音をつくる水もある。

同じ水でも、場所によって役割が違う。

室内では、窓から差し込む光が床や壁に形をつくっていた。風が抜ける感じもあり、閉じた宮殿というより、空気が循環している空間のようだった。

外側は、守るための城塞である。

しかし内側は、人が過ごすための場所だった。

王侯貴族や侍従たちが、ここでどのような日々を送っていたのかは分からない。ただ、少なくともこの宮殿は、単に権力を見せつけるためだけの場所ではなかったように思う。

水の音を聞き、光の移ろいを見て、風の通る部屋で会話をする。アルハンブラ宮殿は、建築を「見る」場所というより、建築の中で「過ごす」ことを想像させる場所だった。すぐに写真を撮るより、しばらく黙って立ち止まり、水や光や風を感じているほうが、この場所には合っている気がした。

旅の手触りとAI

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グラナダのアルバイシン地区、展望台に向かう長い階段にて

今回のスペイン旅行で気づいたのは、旅の面白さは、自分の主観が戻ってくることにあるのかもしれない、ということだった。

普段の生活では、仕事上の役割や、周囲との関係や、他人の感情や状況の中で、自分の時間が少しずつ外側に渡っていく感覚がある。もちろん、それはそれで必要なことだ。けれど旅先では、自由な時間の中で、自分の行きたい場所に行き、自分の見たいものを見て、自分の感覚で判断する。

誰かのための時間ではなく、自分の身体で世界に触れている時間になる。

それが、旅の実感を強くしてくれるのだと思う。

私が20代前半で初めてアジアをバックパッカーとして回った頃、旅はもっと不便だった。スマホはまだなく、旅先の古びたインターネットカフェが貴重な情報源だった。日本人向けの格安宿には旅人用ノートが置かれていて、そこには先に訪れた旅人たちの体験談や、おすすめの店、危ない場所などが手書きで残されていた。

現地に着いてから宿を探したこともある。声をかけてきた若いガイドについていき、ジャングルの川で流されそうになったこともある。

今思えば、かなり危なっかしい。

それでも、その場当たり的な旅には、自分が旅をしているという実感があった。予想外の展開に運ばれながら、観察して、直感で判断して、なんとか対応する。うまくいかないことも含めて、自分の身体で世界に触れている感じがあった。

一方で、今回の旅行では、多くの場面でAIを活用した。

旅行前は、行き先を決める相談に乗ってもらった。グラナダでは、近場で見られるフラメンコショーを探してもらった。この旅行記のための記録も、旅の途中でその都度ChatGPTに音声入力したものがもとになっている。

マドリードのアイスクリーム屋では、中国人観光客がスマホのAI画面を片手に、店員と話しているのを見かけた。旅の中にAIが入ってくるのは、もう特別なことではない。

それは、とても便利なことだ。

ただ、便利になるほど、旅の実感が少し薄くなるのではないか、という感覚もある。

旅には、小さな面倒がある。道に迷ったり、店が見つからなかったり、バスが来なかったりする。AIは、そういう小さな苦労を引き受けてくれる。それはありがたい。けれど同時に、その小さな苦労の中に、旅をしている手触りのようなものもあったのではないかと思う。

ロールプレイングゲームで、サブクエストが自動でクリアされるとしたら、そのゲームはかなり楽になる。でも、たぶん少しつまらなくなる。

AIは、旅を便利にしてくれる。

けれど、旅の全部を便利にしなくてもいいのかもしれない。

面倒だからこそ任せたいこともある。けれど、面倒だからこそ、自分で味わいたいこともある。

道に迷うこと。
遠回りすること。
予定どおりにいかないこと。
目の前のものを見て、自分がどう感じたのかを、少し遅れて言葉にすること。

そういう小さな不便さまで含めて、旅なのだと思う。

AIに助けてもらいながら、それでも自分の身体で世界に触れる。

近づきすぎると、面倒さばかりが見える。
離れすぎると、手触りが消える。

旅も、AIも、人との関係も、たぶんその距離感が大事なのだと思う。

今回のスペイン旅行は、そのことを何度も考える旅だった。

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