「考えること」は楽しい。AI発展の時代においてこそ。
投稿日:2026年7月25日
東(アズマ)です。
AI(生成AI)の技術・性能がどんどん発展し、人間が今まで時間をかけて苦労してきた部分・出来なかった部分・得意としてきた部分など、様々なタスクや思考がAIを使って代替できるようになってきています。
そうすると、「人間が考えなくて良い部分」や、あるいは「人間が考えるのはむしろ不適切(AIに最初からやらせた方が効率が良い)部分」が出てきます。今後もこういうAIの代替部分は増えつづけるでしょう。
AIの活用が可能な分野では、AIの代替部分を代替しないのは効率が悪く、パフォーマンスも大きく損ねてしまうことでしょう。
どの分野であれ、自分が専門・仕事とする分野であるかぎり、パフォーマンスを最大化することが求められます。気が乗らないとか、好きじゃないとかいう理由で、AIを使わないというのは、成果の最大化という目的に反します。
その意味で、専門・仕事においては、AIの活用はどんどん不可避となっています。
一方で、「AIにできること・AIの方ができること」があるということは、決してそれら全てAIに任せ、自分ではやらないということを意味しないのだ、と考えています。特に思考において、AIができるからといって、自分がやらないわけにはいきません。
こうした「人間も考えるべき」という論で、よく耳にするのは、「AI任せで自分で考えなくなってしまう」「ベテランがAIを使うとパフォーマンスが最大化できるが、新人が成長する機会が確保できない」といった、「人間も考えないと長期的なパフォーマンスが落ちる」という観点での意見です。
この「長期的な効率という観点」で見ても確かに、人間は考え続けるべきでしょう。
一方で、こうした「効率の観点」だけで「人間も考えるべき」という論を耳にするたびに、その観点だけでは足りないと感じます。
「人間も考えるべき理由」は、もっと根本的に、「考えるのは本来楽しいことだから」です。
※ここで、「考えるのが楽しい」ということに共感できない人、「勉強させられるのは辛い」と感じる人は、「考えること」の指す範囲を広げて捉えて、この後の文章を読んでください。
「考えること」は、もちろん勉強や研究も含むでしょうが、それに限りません。
旅行の計画を立てること、趣味の作品をどう仕上げるか試行錯誤すること、誰かとの会話を通じて自分の気持ちに気づくことも、立派な「考えること」です。
「考えるという楽しさを、誰か・何かに奪われてなるものか!」とさえ感じます。
仕事・専門といったプロの世界であれば、こうした反発心だけではやっていけないでしょうが、趣味の領域・アマチュアの世界であれば、やっていけます。
「楽しいから」という理由だけで、やりたいことをやれば良いのです。
話を変えますが、私はピアノを弾きます。弾き始めてから20年以上経っており、今でもまだ続けています。
(最近は、ChopinのScherzo No.4を人前で弾く機会もありました)
長く弾いてもいますし、それに伴い演奏技術もそれなりにありますが、それでも所詮はアマチュアです。
私より上手い人なんて、掃いて捨てるほどいますし、どんな曲にだって私より上手く弾ける人がいます。
「ある曲のパフォーマンスを最大化する・最も良い演奏をする」という観点では、私がピアノを弾く理由なんてありません。
すでに多くのピアニストが、世界中で、より良い演奏をしています。
もっとも良い演奏を聴きたければ、優れたピアニストたちの演奏会やCDなどを探すのが効率が良いでしょう。
しかし、「自分より上手く弾ける人が大勢いる」ことは、「自分が弾かない理由」にはなり得ません。
なぜなら、私以外の人間が私より上手く弾いたところで、他人の演奏を聴いたところで、「私がピアノを弾いた時に得られる楽しさ」は得られないからです。
私は、楽しいからピアノを弾くのです。
決して、自分より上手くピアノを弾く人間がいたからって、その楽しさを奪わせてなるものか、と思います。
アマチュアの領域において、「自分より上手くできる存在」は当然います。
今後、音楽の演奏・制作さえも、AIが人間を凌駕していく可能性もあります。
ただ、私にとって、ことピアノの演奏において、AIが仮に人間を凌駕したところで、さほど影響はありません。
AIに限らず、今までも自分より上手く弾けるプロなんて山ほど居たからです。
AIが出てきたところで、やっぱり私が弾くのをやめる理由にはなりません。
「考えること」も同じです。
プロの世界においては、パフォーマンス・効率の観点で物を語るのが一定求められるでしょうが、アマチュアの領域では、そうした制約から自由で良いと考えます。
AIという、人類より考えるのが得意(になるかもしれない)存在が現れたからといって、考えるのは楽しいのだから、それをやめる理由にはならないのです。
むしろ、AIが発展しているこの時代だからこそ、より「考えること」が楽しくなっている、とさえ感じます。
自分の知識不足・能力不足や、時間的な制約により、どこかで「考えること」を諦めたり、ある程度で妥協したりすることもあります。
しかし、AIはこうした制約を解決するひとつの手段になります。
知識が制約であれば、聞けば良いです。
能力が制約であれば、不足を補ってもらうでも良いですし、自分の能力を鍛えてもらう教師になってもらうことだってできます。
時間的な制約であれば、自分が本当に考えたい部分以外をAIに効率化してもらうことだってできます。
この時代だからこそ、自分がやりたいようにやれる選択肢が増えています。
趣味・アマチュアの領域においては、「自分がやりたいこと・楽しいと感じること」を見失わずに、そのために必要ならAIを使うのが良いですね。
ちなみに、「楽しい」ではなく「楽」を目指してしまうと、結局何もしない(全てAIに任せてしまう)のが一番楽になってしまい、それは楽しくないです。「楽」と「楽しい」を区別することが不可欠です。
……さて。「人間も考えるべき」という論において、「楽しさの観点」はアマチュアの世界におけるロジックです。
楽しい楽しいアマチュアの世界だけでは、語るべきことの半分にしかなりません。
もう半分、プロの世界のこと、前述した「効率・パフォーマンスの観点」にも向き合わないといけません。
私が勤めるこの会社は、行政書士事務所です。
端的に言えば、手続きを代行するのがメインの業務です。
その上で、「考えること」を大きな武器にしている会社でもあります。
我々が目指しているのは、会社や個人がやりたいことを、許認可・補助金・ビザ等の手続きの観点で実現することです。
単に手続きをするのではなく、それにより「顧客の目的を達成すること」が目的です。
このためには、単に依頼された手続きを代行するだけでなく、「どんな手続きがベストか」「どんな書類を備えるのがベストか」「そもそも手続きをすべきか」等々、考えることは沢山あります。
ここでの「考えること」の一部において、やはり我々もAIを活用しています。
かといって、全てを誰もがAIで出来るのであれば、顧客が我々に依頼する理由はありません。
依頼なんてせず、最初からAIに聞けば良いのですから。
私は、弊社が行なっている「コンサルティング」の部分は、顧客・AI間で完結できる話ではなく、これからも弊社の「考えること」が残されていて求められ続ける部分だと考えます。
なぜなら、会社であれ個人であれ、「自分たちのやりたいこと」が十分に言語化されていないことが多いからです。
やりたいことを明確に定義できるのであれば、それをAIに投げて、やってもらうことが出来るかもしれません。
ですが、誰もが「やりたいこと」を定義する時間や労力をかけられるわけではありません。
そこを聞き出して、自分たちでも把握しきれていないニーズを掘り出し、定義し、形にし、実現するのが我々の仕事です。
これは誰かがやらないといけないことです。
さて、その「誰か」をAIは代替しうるでしょうか。
私は、「原理的に代替は可能ではあるだろうが、現実的に代替が難しいケースが当面は多く残る」と考えます。
理由は3つです。
1つ目、「AIに聞く手間・AI活用の設計の手間があること」です。顧客自身がAIへの質問・分野の調査依頼などを通じて、最初は表面的だったニーズの認識から、段々と本質的な認識に迫っていくこともできるでしょう。会社の場合、各部署からの意見・要望の吸い上げも必要となりますが、これも必要な情報・要望をAIに集約できる仕組みを設計すれば、AIで行うこともできるでしょう。
しかし、顧客自身がこうした質問・設計などの手間(+それにかかるAIの使用料金)を負担しきれるかというと、「常に負担できるわけではない」でしょう。
より、「やりたいこと」の分野の知識・経験がある人(我々)が、時にAIも活用して行うことで、より効率よく「やりたいこと」を実現できます。
2つ目、「AIがアクセスできるノウハウは限られていること」です。過去の他手続きの記載・行政からの個別指導といった、公開されない情報は多くあります。こうしたノウハウは、大量の手続きを行う者(我々のような行政書士事務所など)に集まり、さらにノウハウを元にAIに相談(※)することで、より高い精度で・よりスムーズな手続きが出来ます。
※個人情報の匿名化・各手続きを特定するに足る情報の秘匿化などの処理は必要になりますが。
3つ目、「各分野のコンサルに特化したAIを、事業として公開するインセンティブがない(あるいは不足している)こと」です。まず前提として、我々以外の行政書士事務所なども、2つ目のようにAIを活用することで、AIにノウハウが渡ってしまう可能性があります。今後のさらなる技術の進歩により、顧客がAIを介して最新のノウハウに辿り着けるようになる可能性もあるでしょう。
しかし、原理的に、顧客には「それが正しいノウハウであること」の確信が得られません。なぜなら、根拠となる個別案件の情報が得られず、本当に根拠があるのかを確認できないからです。
あるいは、AIの運営会社がその気になれば、蓄積された各分野(我々の業界も含む)のノウハウを活かして、事業を立ち上げることも原理的には可能です。
が、「AIの運営会社が、各分野のノウハウの正しさをある程度保証し、責任を持って顧客にサービスを提供する」ことには、どの分野であれ一定のハードルがあります。
もしかするとAIの運営会社は、あらゆる分野の事業を立ち上げることが可能になるかもしれませんが、だからと言って本当に全ての分野で事業を行うわけにもいかないでしょう。
全ての分野で稼げるわけでも、そこで発生する責任を負い切れるわけでもないからです。
そうした中で、「果たして(数多ある他分野の中から)日本の手続き代行という分野にAIの運営会社が踏み込んでくるのか?」という点は疑問です。
AIをメインにする会社が、この業界に踏み入れるインセンティブが、(そこに伴う責任やリスクに比して十分に)確保されているとは、私は思えません。
以上の3点から、先述の「自分たちのやりたいことを掘り出し、定義し、形にし、実現する誰か」をAIが代替するのは、(少なくとも当面は)現実的ではないと考えています。
逆にいうと、この3点の話の中で顕れた、代替し得ない部分を磨いていかないと、我々は生き残れない可能性があります。
そのためにも、やはり我々自身が「考えること」をやめずに、AIの活用も取り入れながら、ベストなパフォーマンスを目指していくことが不可欠です。
なぜなら、我々自身が、AIに代替され得ない「誰か」にならないといけないのですから。
そして、AIが様々な分野・思考を代替していくこの時代で、楽しさではなく効率とパフォーマンスのロジックが通底するプロの世界においても、やはり考えることは楽しいです。
「代替し得ない誰かになること・そう在りつづけられるよう考えること」は楽しいです。
人類の皆さん、考え続けましょう。

