清水 侑

自分に価値がある相手

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実家に帰省すると、四歳になる甥っ子とよく遊びます。

愛らしい反面、我儘な部分もある彼は、
私にとても懐いてくれ、他の人の言うことは聞かない時でも、
私の言うことは聞くところがあります。

それはいったいどうしてだろうかと考えたとき、

一つの答えとしては、

「彼にとって私が価値があるから」。

その事実に集約されるように思います。

私は、彼にとって「楽しく遊んでくれる相手」であり、
面倒臭がって周りが答えない彼の「なんで?」に「丁寧にものを教えてくれる相手」であり、
たまに叱られたとしもて「愛情を注いでくれる相手」なのです。

そういった意味で、私は「彼にとって価値がある相手」なのだと思います。

一般的に、人は「自らにとって価値がある人」を近くに置こうとし、
好かれたいと願い、従います。

この現象は無意識も含まれるので、
「○○は自分のためになるから近づいておこう」と
意識的に考えている時だけでなく、
本人が意識の上では気がついていないときにも起こり得ます。

その場合、本人が何かしらの「もっともな理由(○○は素晴らしい人だから)」を
自分自身に対してつけることもあるかもしれませんが、
結局は「自分にとって価値がある」に繋がるようにも見えます。

個人的には、これが「魅力」の正体だと思っています。

魅力は「魅力を発する人」がもっているのではなく、
「その人に対して魅力を感じる人」の中に生まれる。

だから、良い言意味で人に影響を与えたいとすれば、
どうするべきかは、自ずと決まってくるように思います。

我々は、相手の中に自らの価値があるように振る舞うべきできなのです。
結局は、人を相手にする物事は、その相手が主体になるのだと思います。