投稿者: shigyo_user

「いつでも出来る」<「いつも出来る」

東(アズマ)です。
例えば仲の良い友人に、「いつでも相談してね!」と言ったとします。
それから、友人の相談が毎日来るようになったら、どう思うでしょうか。
 
私なら「いや『いつでも』とは言ったけど『いつも』とは言ってない!!」と思います。
 
「いつも出来る」、というのは、「いつでも出来る」を遥かに上回るハードルがあります。
 
「いつでも相談」が「いつも相談」に、
「いつでも旅行」が「いつも旅行」に、
「いつでも休暇」が「いつも休暇」に、
置き換えることは出来ません。
 
逆もまた然りです。
 
「いつも出来る」を期待されているときに、
「いつでも出来る」は代替案にはなりません。
 
「いつも優しい」が「いつでも優しい(その気になってない時は優しくない)」に、
「いつも明るい」が「いつでも明るい(その気になってない時は明るくない)」に、
「いつも模範的」が「いつでも模範的(その気になってない時は模範的でない)」に、
置き換わってしまうと、期待を下回ります。
 
「いつでも」で満足せずに、「いつも」出来るように頑張ります!!!!!

再掲:胸振発声法

こんにちは。新宿本社の三瓶です。

2024年もスタートして3ヶ月が過ぎ、早いもので来月からは新社会人が弊社にも入ってきます。

学生から社会人になるならガラッとイメージを変えたいですよね。

そんな新人向けに、早いうちから取り組んでほしい「胸振発声法」について紹介します。

(以前このブログでも取り上げています)


私自身、元々声が高い方(電話口で女性に間違われることもしばしば・・・笑)ということもあり、
入社当初は声に落ち着きがないと指摘されたことがありました。

その時に改善方法として「胸振発声法」を教えてもらいました。

私もこのトレーニングを積んで、落ち着きのある発声を身に着けました!

トレーニング方法はこちら↓
1.脱力して胸を張る
2.腹式呼吸をする
3.胸に手をあて、低い声で「モー」と発音し、あばら骨を振動させるように意識する
4.普通の姿勢、普通の声でもその振動を感じられるようにする

声が与える印象は4割を占めると言われています。(他は身だしなみとかですね。)

当然、話し方や話す内容も影響してきますが、声についても視点をあてて、
「ええ声」を目指してみるのもいいかもしれません。

バックグラウンドストーリーにハマってます

こんにちは。
新宿本社の坂本です。

最近、YouTubeでディズニーのバックグラウンドストーリーを見るのにハマってます。

ディズニーオタクではありませんが、年1~2くらいディズニーランド/シーに行くくらいは、ディズニーが好きな坂本です。
単純に世界観やアトラクションが好き、ということだったのですが、
最近、YouTubeで出会ったのが、「バックグラウンドストーリー」です。

ディズニーのパーク内のアトラクションやエリア、施設には、実はいろんな設定が細かく決められている、という話なんですが、そんなところまで決めてるの!?と思うくらい細かいんです。

例えば、ディズニーシーにあるレイジングスピリッツ(360度回転するやつです)は、
マヤ文明あたりの遺跡で、何故トロッコの線路が360度回転してしまったのかというと、
発掘作業をしていたのがアマチュア集団で、祀られている神様(水の神と火の神が祀られている)の置き方を間違えてしまったため、
神々の怒りに触れ、トロッコの線路がねじ曲がってしまった。
加えて、このアマチュア集団は遺跡の発掘物の転売を行っていたので、ニューヨークのハイタワー三世宛のと書かれた木箱が置かれている。
なんて話なんです。

もう20年以上ディズニーには行っていますが、知らないことばかりで、そんな物あるの!?そんなところまで設定なの!?みたいなことが発見できてすごく面白いです。

もう知っていると思っていることも視点を変えるだけで、まったく違う見方になって、知らないことがたくさん出てきます。
多角的に見ることは何事も大切ですね。

何度行っても楽しいディズニーですが、これから新たな目線で更に楽しめそうです!!

読書

こんにちは。
新宿オフィスの土子です。

スマホに時間を溶かすのをやめようと思い
昨年Kindle Paperwhiteを買って以来読書にはまっています。
同じ小説家の本を数冊読んで次の小説家という感じで読んでいるのですが、
「言葉選びが同じ!!!」と発見しました。
(今読んでる小説家は「面映ゆい」が頻出です)
別の本とはいえ1人の人間が書いているので、言葉選びが似るのは当たり前ですが、
発見して嬉しかったです。
もちろん、ちゃんと内容に目を向けていますが(笑)無意識的に規則性を探している節があります。

読書でもなんでも良いですが、発見があると嬉しくなります。
発見が嬉しいという感覚はサポート行政書士法人で仕事をする中で生まれたものです。

まだ[趣味:読書]の域に達していませんが、
そのうち文面で小説家があてられるようになるかも・・・?


信頼と好感

仕事を進めていく上で顧客や周囲の仲間に「信頼」されているか、「好感」を持ってもらえているかどうかで、

その仕事の進めやすさは全く異なるものになると日々実感します。

お客様にまとめて書類の提出を依頼したつもりが、

漏れが発覚し五月雨式に再度依頼をしなければならない時、

会社的にも初の事例で、チャレンジ的な要素のある案件の管理を任せてもらいたい時、

自分の業務を誰かに依頼したい時、etc

これら全て、「信頼」と「好感」を持たれているか否かで、円滑さが全く変わってきます。

私もまだまだですが、「信頼」と「好感」を周囲から得られるように日々心と体と知恵を磨いていきましょう。 


最近読んだ本の中でこのような一文がありました。

「人や会社を信頼するための要素はたくさんあるが、最も重要なのは『悪いニュース』をいち早く、そして包み隠さずに開示できる力である。」

誰しも都合の悪いことには目を覆いたくなるものだと思います。

でも、覆っている間にその都合の悪いことは瞬く間に、さらに目も向けられない姿へ変貌します。

当然、「信頼」と「好感」は地に落ちます。怖いです、、


兎にも角にも、誠実に、正直に、仕事もプライベートも過ごしていきたいですね。

「表現力」=「適応力」

東(アズマ)です。
 
小学生の頃から師事しているピアノの先生から言われた、
「表現力は適応力だ」という言葉が印象に残ってます。
 
2年前の春、大学を卒業し社会人になるというタイミングで、この言葉をもらったとき、
「そういうものなのかな……?」と、なんとも腑に落ちない感覚がありました。
 
今年の4月で社会人3年目となる今、「表現力は適応力だ!」と強く感じています。

普遍的な感情として、我々人間には「自分の気持ちを分かってほしい!」という気持ちと、
「自分の気持ちを分かってほしくない!」という気持ちの、両方が共存しているように思います。
物語によくあるセリフとして、「どうして分かってくれないんだ」というセリフも、「あなたに私の何がわかるんだ」というセリフも、容易に想像ができます。

以下、この2つの相反する感情を「共感」と「反共感」と言うことにします。
※反共感は、「共感しない」気持ちではなく、「共感してほしくない」気持ちです

音楽を奏でる時、私が(延いては演奏者全員が)考え、信じているのは、
音は「感情」を表現できるということ、感情には「共感」と「反共感」の両側面があるということです。

ショパンのポーランドに対する愛国心は、典型的な例ですし、


誰に共感・反共感するかは、その人の立場・信じているもの・好きなもの・嫌いなもの……、
様々な要素で変わってきます。

音楽で人の心を動かすからには、こうした他人の共感・反共感に敏感でなければならず、
これらに敏感であるということは、「適応力が高い」ということだと思います。

色々な立場・思想・趣向の人の、ポジティブな感情もネガティブな感情も、どちらも大事にしていくのは、
ここまで述べてきたように、音楽においても重要なことですが、
当然、社会人としても重要なことです。

しばしば、自分の感情を制御することが「大人になる」ことだとされます。
とはいっても、誰しもが「自分の感情を大事にしてくれる人」と「そうでない人」だったら、
前者を選ぶでしょう。社会人の我々にとっても、これは同じことです。

そして、自分の感情も他人の感情も大事にするというのは、
音楽の「表現力」の基礎です。
(さらには、日常生活で使う、言葉や表情などの「表現力」の基礎でもあります)

社会人になろうとする私に対し、「表現力は適応力だ」という言葉を送ってくれた、
ピアノの先生の考えに、この2年程の社会人生活で、また少し近づけたように思います。

4月からは社会人3年目。さらに適応力を磨いて、
社会人としても、ピアノを弾く人間としても、成長していきます。

決定が変わった

20年くらい前までは、決定のプロセスの主流は、下記のようになっていました。

 

①様々な案の中から、メリットとデメリットを検討する

②関係者で合議のうえ、決定する

③決めたことはぶれずに貫く

 

最近の決定は、外国の影響も大きく受けて、バージョンアップしました。

 

①結果に責任をもつ個人が、すばやく決定する

②実行すると、なるべく早く実行者の意見を聞いたり、効果を予測する

③決定の間違いを修正して、再度、すぐ決定する(②③を繰り返す)

 

全員の納得感は得られないものの、
スタートするまでが早く、柔軟な変化ができるので、
複雑化した現代に合った決定方法だと思います。

「春」の感じ方

皆さんは、どんな時に「春」を感じますか?

暖かい日差しや、柔らかい草木の匂い、桜の木…

春を象徴するものはたくさんありますが、私はどうしても花粉シーズンという印象が強いです。

私はスギ花粉とヒノキ花粉によって、毎年5月まで苦しむこととなります。

(今年は薬をしっかり飲んでいるので、これでも例年よりは調子がいいです。)

私はこの時期になると、「春が来たなあ」と思います。

ところで、私も4月からは2年目になります。1年間いろいろな申請を任せていただきました。

昨年は入社したてで、右も左も分からずに行った4月の様々な申請。

知識もついてきた2年目、今年度も精一杯頑張ります。

コンサルタントになるために

学生時代の成績や合否においては、

テストの点数など、明確な評価基準があります。
 

では、社会に出ると評価はなにで得られるのでしょうか。
 

社会人として受ける評価は、

明確な点数基準ではなく、

仕事のテキパキさ、信頼感、安心感、気持ちの良い雰囲気、誠意など、

漠然とした、感覚的なものが大きいです。
 

コンサルタントとしての評価は、

業績が成果指針になりますが、

周囲に評価されることで業績は上がる構図になっています。
 

では、どうしたら周囲からの評価が得られるのでしょうか。
 

サポート行政書士法人では、コンサルタントを目指すプレコンメンバーを対象に、

具体的な達成指標と現在の評価ポイントを公開しています。

プレコンメンバーは、

いまの自分に対する客観的な評価を受け、課題や行動指針など対策を決め、

評価されるコンサルタントを目指して日々取り組んでいます!

学びはいくつになっても

最近、23歳になる息子が本を読んでいて、とても新鮮です。
というのも、彼は学生時代は大の勉強嫌いで、
夏休みの宿題はもちろんやらないし、
「もう勉強したくないから」という理由で大学に行かず就職した位だったからです。

 

むしろ、社会人になってからの今の方が、

自主的に勉強したり、難しい資格試験を受けたり、自己研鑽に励んでいます。

 

ちょうど最近読んだ本の中に、
画一的な学校教育に疑問をもった作者が、
教育の歴史を紐解きに、過去への冒険に出るというものがありました。

 

著者が冒険に出るきっかけとなったのは、

「なぜ学校に行かないといけないの?」という子供の問いに答えられなかったから。

 

過去への冒険に行き、過去の哲学者たちの教育思想を学ぶことで、現在の教育体制のルーツを探る。
結果分かったことは、

・学びとは本来、「学びたいから学ぶ」はずなのに、

 学校は、それを「教わる」という受け身のものに変えてしまった

・子供たちは、教師の監督と指導のもと、学ぶ自由が奪われてしまっている

といったものでした。

 

著者はこうも言っています。

もっと学びは自由でいいし、楽しくあるべきだ。
教育(教え、育む)ではなく、学育(学び合い、育み合う)という言葉に言いかえたい。

現代社会において、学びの意義は、

経済的な成功ばかりではなく、「人間にしかできない仕事」を探求し、地球全体を良くしていくこと。

そのためには、生涯にわたって「ラーニング」と

「アンラーニング」(これまでに学んだものを捨て去り再学習すること)

を繰り返しながら探求を続けるべき。

まさにその探求の場・コミュニティが新しい学校の在り方だと。

 

私自身もそんな言葉に非常に共感するのですが、

息子を見ていると、まさにこの言葉を体現して生きているように思います。
彼にとって、学生時代は「学びたい時」ではなかったし、

きっと、学校が教えることは「学びたいこと」ではなかったのですね。

 

私も、そんな息子を見習って、

常に自分の学びの意義を探求することをやめず、

この先いくつになっても「ラーニング」と「アンラーニング」を続けていこうと思います。

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