おはようございます。
鈴木です。
東京の一人暮らしにも慣れてきて、マイペースに過ごしています。
通勤時間がほとんどない生活は快適です。
最近話題になっている「派遣切り」のことを考えてみました。
いろいろと騒がれている問題ですが、
問題の本質は、やむを得ず仕事がない状態を誰が負担するかという点です。
■会社負担・・・仕事がなくても、雇い続ける。
■行政負担・・・セフティーネットで失業者を支える。
※失業給付は、会社と個人が負担した保険料が充てられていて、
元をただせば、会社と個人負担。
■個人(または家族)負担・・・会社から放り出されて、セフティーネットもない。
誰が、どのくらいの負担をするか、という国民的合意が必要です。
派遣社員以外の仕事で、どこが主に負担しているかを見てみます。
●正社員・・・会社負担、行政負担
●パート、アルバイト・・・個人負担
●自営業者・・・個人負担
こうみると、派遣社員という新しい働き方を正社員のグループに入れるのか、
パート、アルバイト、自営業者のグループに入れるのかという問題です。
派遣労働者側は、正社員に準ずるものとして、考えてきて、
会社側は、非正規社員として、雇用の調整弁として考えてきました。
この両者の思いの違いをどちらに統一するのかが問われています。
投稿者: shigyo_user
仕事の入り方
日本人は、簡単な問題ばかりを解いて、重要で難しい問題を保留する癖がある、
と書いている本を以前読んだことがあります。
それは、受験勉強に起因しているといいます。
試験問題で、簡易な設問40問(各2点)と応用問題2問(各10点)がある場合、
まずは、簡単な問題から解いて、80点近くを確保し、
時間に余裕があれば、応用問題を解くようにと習います。
それが、高得点を取る効率的な手段だからです。
点数の高い難しい問題を解かなくても、大概の試験には合格するようになっています。
その影響を受けて、社会人になっても、自分に取り組みやすい課題から取り組み、
重要であっても難しい問題を先送りする傾向があります。
例えば、新しい職場に配属されたとして、
その仕事を業務知識から覚えていこうというのは、簡単な問題を解くやり方です。
目の前のするべきことのなかで、最も分かりやすいことから手を付けます。
そのこと自体は悪くないのですが、優先順位が間違っています。
仕事のできる人は、まったく違うアプローチをします。
その職場の雰囲気を肌で感じます。
その職場のルールを知ります。
その仕事の本質を掴もうとします。
その職場のキーマンを把握します。
その仕事に必要な人間関係を構築します。
業務知識を覚えるよりも、もっともっと大切なことがあります。
難しくても、後回しにしてはならないのです。
と書いている本を以前読んだことがあります。
それは、受験勉強に起因しているといいます。
試験問題で、簡易な設問40問(各2点)と応用問題2問(各10点)がある場合、
まずは、簡単な問題から解いて、80点近くを確保し、
時間に余裕があれば、応用問題を解くようにと習います。
それが、高得点を取る効率的な手段だからです。
点数の高い難しい問題を解かなくても、大概の試験には合格するようになっています。
その影響を受けて、社会人になっても、自分に取り組みやすい課題から取り組み、
重要であっても難しい問題を先送りする傾向があります。
例えば、新しい職場に配属されたとして、
その仕事を業務知識から覚えていこうというのは、簡単な問題を解くやり方です。
目の前のするべきことのなかで、最も分かりやすいことから手を付けます。
そのこと自体は悪くないのですが、優先順位が間違っています。
仕事のできる人は、まったく違うアプローチをします。
その職場の雰囲気を肌で感じます。
その職場のルールを知ります。
その仕事の本質を掴もうとします。
その職場のキーマンを把握します。
その仕事に必要な人間関係を構築します。
業務知識を覚えるよりも、もっともっと大切なことがあります。
難しくても、後回しにしてはならないのです。
自己犠牲の落とし穴
日本では、自己犠牲は美徳とされてきました。
「自分さえ我慢したらうまくいく。」
「周りの人が先で、自分は最後でいい。」
丸く治める秘訣のようです。
私も自己犠牲の精神を持っていて、その良さはよく分かっています。
しかし、すべてのことには、良い面、悪い面があり、
今日は、そのデメリットについて、述べたいと思います。
ひとつの例を挙げてみます。
あなた(女性)には夫と子供がいます。
今日は、自分の友人家族2組と食事に来ました。
自分の家族3人+友人Aの家族3人+友人Bの家族3人での食事会です。
食事もすんで、お開きとなり、車で来ていた友人Bが駅まで乗せていってくれることになりました。
ただ、駅まで乗せてもらえるのは、ひと家族だけです。
あなたの家族か、友人Aの家族かどちらかは、乗せてもらえますが、
もう一方は駅まで歩かなければなりません。
あなたは言います。
「私たちは歩くので、Aさんたちを乗せてあげて。」
「大丈夫。私たちのことは気にしないでいいよ。」
さあ、帰りの道はケンカか沈黙です。
「何で、俺らだけが歩かなあかんねん。」 (夫)
「仕方ないやん。ひと家族しか乗られへんのやし」 (あなた)
あなたの夫は、自分が我慢を強いられて不満です。
あなたは、自己犠牲でいいことをしたと思っているのに、不満を言われて悲しい気持ちです。
夫の器が小さいんじゃないか、とか違うことまで考え出します。
なぜ、こんなことになってしまうのか。
あなたは、自己犠牲(自分だけの犠牲)と考え、自分勝手に判断しましたが、
実際は、自己の家族の犠牲だったということ。
つまり、今回犠牲になったのは、自分だけでなく、自分の家族だということです。
家族の犠牲を、自分が勝手に提案したことに誤りの本質があります。
通常、人間はチームで動いているので、
自己犠牲の精神は、家族や会社などのチーム全体に及ぶことになるのです。
「そのくらい我慢したらいいやん。」
あなたの反論が聞こえてきそうですが、
その反論は当たりません。
我慢は自らすべきことであって、他から強制されるものではありません。
それが、配偶者であっても、もちろん同様です。
自ら我慢した自分にはストレスが少ないですが、
我慢を強制された家族のストレスは案外大きいものです。
では、どうすべきだったのか?
「私たちは歩くので、Aさんたちを乗せてあげて。」
この言葉を言う前に、一緒に犠牲になる家族の了解を取る必要があります。
みんなの目の前で「いいよね?」なんて言っても「いいよ」としか答えられないので、こっそりとです。
事前に了解が取れない場合は、言ってはいけない言葉です。
自己犠牲の落とし穴は、自己犠牲と自分のチームの犠牲を混同してしまうこと。
自分のチームに迷惑をかけることなく、自己犠牲の精神を発揮したいものです。
「自分さえ我慢したらうまくいく。」
「周りの人が先で、自分は最後でいい。」
丸く治める秘訣のようです。
私も自己犠牲の精神を持っていて、その良さはよく分かっています。
しかし、すべてのことには、良い面、悪い面があり、
今日は、そのデメリットについて、述べたいと思います。
ひとつの例を挙げてみます。
あなた(女性)には夫と子供がいます。
今日は、自分の友人家族2組と食事に来ました。
自分の家族3人+友人Aの家族3人+友人Bの家族3人での食事会です。
食事もすんで、お開きとなり、車で来ていた友人Bが駅まで乗せていってくれることになりました。
ただ、駅まで乗せてもらえるのは、ひと家族だけです。
あなたの家族か、友人Aの家族かどちらかは、乗せてもらえますが、
もう一方は駅まで歩かなければなりません。
あなたは言います。
「私たちは歩くので、Aさんたちを乗せてあげて。」
「大丈夫。私たちのことは気にしないでいいよ。」
さあ、帰りの道はケンカか沈黙です。
「何で、俺らだけが歩かなあかんねん。」 (夫)
「仕方ないやん。ひと家族しか乗られへんのやし」 (あなた)
あなたの夫は、自分が我慢を強いられて不満です。
あなたは、自己犠牲でいいことをしたと思っているのに、不満を言われて悲しい気持ちです。
夫の器が小さいんじゃないか、とか違うことまで考え出します。
なぜ、こんなことになってしまうのか。
あなたは、自己犠牲(自分だけの犠牲)と考え、自分勝手に判断しましたが、
実際は、自己の家族の犠牲だったということ。
つまり、今回犠牲になったのは、自分だけでなく、自分の家族だということです。
家族の犠牲を、自分が勝手に提案したことに誤りの本質があります。
通常、人間はチームで動いているので、
自己犠牲の精神は、家族や会社などのチーム全体に及ぶことになるのです。
「そのくらい我慢したらいいやん。」
あなたの反論が聞こえてきそうですが、
その反論は当たりません。
我慢は自らすべきことであって、他から強制されるものではありません。
それが、配偶者であっても、もちろん同様です。
自ら我慢した自分にはストレスが少ないですが、
我慢を強制された家族のストレスは案外大きいものです。
では、どうすべきだったのか?
「私たちは歩くので、Aさんたちを乗せてあげて。」
この言葉を言う前に、一緒に犠牲になる家族の了解を取る必要があります。
みんなの目の前で「いいよね?」なんて言っても「いいよ」としか答えられないので、こっそりとです。
事前に了解が取れない場合は、言ってはいけない言葉です。
自己犠牲の落とし穴は、自己犠牲と自分のチームの犠牲を混同してしまうこと。
自分のチームに迷惑をかけることなく、自己犠牲の精神を発揮したいものです。
有栖川記念公園の中央図書館
鈴木です。
今日は自転車で、有栖川記念公園の中央図書館に行ってきました。
暖かい日差しと冷たい空気、気持ちよいサイクリング日和でした。
恵比寿からビューンと坂を下って、
広尾の商店街の華やかさを横目に見ながら、
お昼は迷ったあげく、「スープストック」へ。
店には、子連れの欧米人がいるし、
ウインドウから眺める、街ゆく欧米人にも生活感が漂っていて、
まるで外国にいるような気分でした。
その後、図書館では、公園の緑が目の前に広がる席を見つけて、
ご機嫌な時間を過ごしました。
大人向けの落ち着いた図書館です。
今日は自転車で、有栖川記念公園の中央図書館に行ってきました。
暖かい日差しと冷たい空気、気持ちよいサイクリング日和でした。
恵比寿からビューンと坂を下って、
広尾の商店街の華やかさを横目に見ながら、
お昼は迷ったあげく、「スープストック」へ。
店には、子連れの欧米人がいるし、
ウインドウから眺める、街ゆく欧米人にも生活感が漂っていて、
まるで外国にいるような気分でした。
その後、図書館では、公園の緑が目の前に広がる席を見つけて、
ご機嫌な時間を過ごしました。
大人向けの落ち着いた図書館です。
再チャレンジ
数年前によく言われていた「再チャレンジができる社会づくり」。
当時の安倍総理もよく言及していました。
私も興味ある課題として注目していたのですが、いつの間にか聞かなくなってしまいました。
そこで、わたしなりに「再チャレンジ」を考えてみました。
サラリーマンを辞めた45歳の男性をモデルにしてみます。
退職理由は、リストラまたは心身の不調としましょう。
今後の選択肢は、
①サラリーマンとして再就職する
②独立する
まず①の再就職。
かなりの待遇低下を覚悟しなければなりません。
前職で600万円の年収だったとしても、それは、その会社で、社内のことも、取引先のことも
十分に把握していたという前提でもらっていた給料ですから、
新天地では同様のようなパフォーマンスを挙げることは容易ではありません。
新しい会社で年収が同等以上もらえる人は、かなり能力の高い人に限られます。
次に②の独立ですが、
こちらも知ってのとおり大変です。
飲食店にしろ、販売業にしろ、大手資本とがっぷり四つで闘わなければならないので、
独立後は、まさしく孤軍奮闘です。
かといって、フランチャイズに加盟すると、
サラリーマンと変わらないような生活になることもあるし、
大手が入ってこないニッチ業界では、食べていくのがやっとです。
こういう訳で、サラリーマンを辞めた45歳の男性は、八方塞になることがあります。
こんな現状を変えるべく、私が提唱したいのは、
一部の業種を再チャレンジ向けに限定してしまうこと。
指定業種(一部の飲食業、一部のサービス業など)を45歳以上の個人にしか、開業できないように定めます。
(もちろん、既存事業者への配慮は必要ですが、ここでは割愛)
しかも一店舗のみしか認めず、多店舗展開は禁止です。
このことによって、この業界は、45歳以上の個人の単店舗経営というルールのなかでの競争になります。
大手資本の多店舗チェーンには勝てなくても、これなら勝ち残れそうな気がする人も多いと思います。
再チャレンジは、チャレンジしようという本人の気持ちが出てこないと何ともなりません。
45歳の失意の人が再チャレンジしようと思い立つには、
始めから周回遅れのようなスタートでは無理があります。
同じような人との競争であれば、よし、もう一回がんばるぞ、と思ってもらえそうです。
書きながら、思いつきましたが、パラリンピックと同じ発想かもしれませんね。
全員が同じスタートではなく、その人に合ったステージで、フェアに競争する。
リストラ問題も、障害者の経済的自立の問題も、非正規社員の問題も、
こんなところに解決策があるのかもしれません。
当時の安倍総理もよく言及していました。
私も興味ある課題として注目していたのですが、いつの間にか聞かなくなってしまいました。
そこで、わたしなりに「再チャレンジ」を考えてみました。
サラリーマンを辞めた45歳の男性をモデルにしてみます。
退職理由は、リストラまたは心身の不調としましょう。
今後の選択肢は、
①サラリーマンとして再就職する
②独立する
まず①の再就職。
かなりの待遇低下を覚悟しなければなりません。
前職で600万円の年収だったとしても、それは、その会社で、社内のことも、取引先のことも
十分に把握していたという前提でもらっていた給料ですから、
新天地では同様のようなパフォーマンスを挙げることは容易ではありません。
新しい会社で年収が同等以上もらえる人は、かなり能力の高い人に限られます。
次に②の独立ですが、
こちらも知ってのとおり大変です。
飲食店にしろ、販売業にしろ、大手資本とがっぷり四つで闘わなければならないので、
独立後は、まさしく孤軍奮闘です。
かといって、フランチャイズに加盟すると、
サラリーマンと変わらないような生活になることもあるし、
大手が入ってこないニッチ業界では、食べていくのがやっとです。
こういう訳で、サラリーマンを辞めた45歳の男性は、八方塞になることがあります。
こんな現状を変えるべく、私が提唱したいのは、
一部の業種を再チャレンジ向けに限定してしまうこと。
指定業種(一部の飲食業、一部のサービス業など)を45歳以上の個人にしか、開業できないように定めます。
(もちろん、既存事業者への配慮は必要ですが、ここでは割愛)
しかも一店舗のみしか認めず、多店舗展開は禁止です。
このことによって、この業界は、45歳以上の個人の単店舗経営というルールのなかでの競争になります。
大手資本の多店舗チェーンには勝てなくても、これなら勝ち残れそうな気がする人も多いと思います。
再チャレンジは、チャレンジしようという本人の気持ちが出てこないと何ともなりません。
45歳の失意の人が再チャレンジしようと思い立つには、
始めから周回遅れのようなスタートでは無理があります。
同じような人との競争であれば、よし、もう一回がんばるぞ、と思ってもらえそうです。
書きながら、思いつきましたが、パラリンピックと同じ発想かもしれませんね。
全員が同じスタートではなく、その人に合ったステージで、フェアに競争する。
リストラ問題も、障害者の経済的自立の問題も、非正規社員の問題も、
こんなところに解決策があるのかもしれません。
将棋の魅力
鈴木です。
将棋の勝負では、敗者が勝負を決します。
自分に勝つ見込みがないと判断したとき、対戦相手に「負けました」と伝え、
その瞬間に勝負が終わり、自分の負けが確定します。
私が知る限りでは、このような終わり方をする勝負はありません。
通常は、勝者が決するか、審判が決するか、時間で終わるか、です。
将棋の対局を見ていると、対局者のさまざまな感情が読み取れます。
自身の指した手への後悔、負けを認めることの苦渋、自分の不甲斐なさ・・・
それでも、声を振り絞って、勝負の終わりを告げます。
勝者は、相手を思いやり、自身も苦しかったという面を表現し、
敗者は、努めて、明るく振舞います。
対局終了後は、どちらが勝者か分からないような雰囲気です。
負けを認める潔さと敗者へのいたわりは、日本文化の象徴だと思っています。
将棋の勝負では、敗者が勝負を決します。
自分に勝つ見込みがないと判断したとき、対戦相手に「負けました」と伝え、
その瞬間に勝負が終わり、自分の負けが確定します。
私が知る限りでは、このような終わり方をする勝負はありません。
通常は、勝者が決するか、審判が決するか、時間で終わるか、です。
将棋の対局を見ていると、対局者のさまざまな感情が読み取れます。
自身の指した手への後悔、負けを認めることの苦渋、自分の不甲斐なさ・・・
それでも、声を振り絞って、勝負の終わりを告げます。
勝者は、相手を思いやり、自身も苦しかったという面を表現し、
敗者は、努めて、明るく振舞います。
対局終了後は、どちらが勝者か分からないような雰囲気です。
負けを認める潔さと敗者へのいたわりは、日本文化の象徴だと思っています。
あけましておめでとうございます!
鈴木です。
今年は、いよいよ勝負の年になりそうです。
不況のなかでも、やっていける会社になっているのか、その真価を問われます。
今年は、会社としても、個人としても、さらなるレベルアップが必要です。
会社としては、より社会に必要とされる会社を目指します。
・高いプロ意識を持って、すべての業務に取り組みます。
・業務の質とスピードを高め、より高いパフォーマンスを達成します。
・自分たちにしかできない仕事を追い続けます。
個人的には、経営者としてのあるべき姿を目指します。
・会社の舵取り(経営判断)をしっかり行います。
・先を見据える先見性を磨き、会社の進むべき方向を的確に指し示します。
・常に新しいことにチャレンジします。
今年もよろしくお願いいたします。
今年は、いよいよ勝負の年になりそうです。
不況のなかでも、やっていける会社になっているのか、その真価を問われます。
今年は、会社としても、個人としても、さらなるレベルアップが必要です。
会社としては、より社会に必要とされる会社を目指します。
・高いプロ意識を持って、すべての業務に取り組みます。
・業務の質とスピードを高め、より高いパフォーマンスを達成します。
・自分たちにしかできない仕事を追い続けます。
個人的には、経営者としてのあるべき姿を目指します。
・会社の舵取り(経営判断)をしっかり行います。
・先を見据える先見性を磨き、会社の進むべき方向を的確に指し示します。
・常に新しいことにチャレンジします。
今年もよろしくお願いいたします。
トップダウン と ボトムアップ
-強い会社は、トップダウンもボトムアップも強い。-
ユニクロの柳井社長の言葉です。
トップダウンか、ボトムアップかという議論は無意味で、
会社にはどちらも必要だと言います。
そして、強い会社はどちらも強いと。
私が、自分の会社で、ボトムアップを引き出そうと、
トップダウンをあえて弱くしていたのは、間違いだったようです。
確かにボトムアップは、意図的に引き出そうとして、引き出せるものでもなく、
結果としてトップダウンもボトムアップもない中途半端な状態になったことが多々あります。
どうも目指す方向が違っていたんですね。
トップダウンもボトムアップも強い、と言い切れる。
ユニクロの強さを実感しました。
ユニクロの柳井社長の言葉です。
トップダウンか、ボトムアップかという議論は無意味で、
会社にはどちらも必要だと言います。
そして、強い会社はどちらも強いと。
私が、自分の会社で、ボトムアップを引き出そうと、
トップダウンをあえて弱くしていたのは、間違いだったようです。
確かにボトムアップは、意図的に引き出そうとして、引き出せるものでもなく、
結果としてトップダウンもボトムアップもない中途半端な状態になったことが多々あります。
どうも目指す方向が違っていたんですね。
トップダウンもボトムアップも強い、と言い切れる。
ユニクロの強さを実感しました。
ものづくり以外の産業をもっと育成するべきだ
日本の産業構造は、モノづくりとその輸出に大きく依存しています。
私が子供の頃の30年前に、日本は原材料を輸入して、
完成品を輸出する加工貿易が産業の中心だと習ったことを覚えていますが、
今も基本的には同じ構造です。
輸出先である欧米の不況は、そのまま日本の不況となって、
輸出企業の業績も著しく悪化しています。
今回の雇用問題は、メーカーの削減された人員の受け皿となるべき業界がないことです。
居酒屋チェーンやタクシー会社が新規採用計画を発表して、明るい話題もありますが、
まだまだ十分ではないでしょう。
今回、ものづくりに依存した産業構造は、意外と脆いことが露呈しました。
介護業界、農業、林業、漁業などで、多くの人が働けるしくみを作ることも必要なのでしょう。
私が子供の頃の30年前に、日本は原材料を輸入して、
完成品を輸出する加工貿易が産業の中心だと習ったことを覚えていますが、
今も基本的には同じ構造です。
輸出先である欧米の不況は、そのまま日本の不況となって、
輸出企業の業績も著しく悪化しています。
今回の雇用問題は、メーカーの削減された人員の受け皿となるべき業界がないことです。
居酒屋チェーンやタクシー会社が新規採用計画を発表して、明るい話題もありますが、
まだまだ十分ではないでしょう。
今回、ものづくりに依存した産業構造は、意外と脆いことが露呈しました。
介護業界、農業、林業、漁業などで、多くの人が働けるしくみを作ることも必要なのでしょう。
「 お客様は神様 」は止めよう
-お客様は神様-
そんな言葉が社会を蝕んでいると思います。
元々は顧客へのサービス精神を徹底するためのものですが、
それに悪ノリする顧客が増え、「俺は客だぞ」とばかりにふんぞり返っています。
何をもって、そんなに偉そうにしているのか、周りから見ると不思議ですが、
当の本人は、なぜか自分のほうが偉いと勘違いしていて、上から目線です。
背景にあるのは、お金を払うほうが立場が上、という考えでしょう。
まさに拝金主義。
たとえば、モノを買う行為は、現金と商品の交換です。
商品を売る人は、商品よりも現金に価値を感じ、
商品を買う人は、商品のほうに価値を感じているわけです。
ウインウインの関係で、どちらも得をする行為のはずです。
どちらも「ありがとう」と言って当然の行為に、どちらがエライとかはありません。
もちろん言うべきことは主張しなければなりませんが、あくまでお互い対等な関係です。
そんな言葉が社会を蝕んでいると思います。
元々は顧客へのサービス精神を徹底するためのものですが、
それに悪ノリする顧客が増え、「俺は客だぞ」とばかりにふんぞり返っています。
何をもって、そんなに偉そうにしているのか、周りから見ると不思議ですが、
当の本人は、なぜか自分のほうが偉いと勘違いしていて、上から目線です。
背景にあるのは、お金を払うほうが立場が上、という考えでしょう。
まさに拝金主義。
たとえば、モノを買う行為は、現金と商品の交換です。
商品を売る人は、商品よりも現金に価値を感じ、
商品を買う人は、商品のほうに価値を感じているわけです。
ウインウインの関係で、どちらも得をする行為のはずです。
どちらも「ありがとう」と言って当然の行為に、どちらがエライとかはありません。
もちろん言うべきことは主張しなければなりませんが、あくまでお互い対等な関係です。