清水 侑

肩書と、仕事を前に進める力は別の話だと思う

最近、社内外のやり取りを見ていて、よく思うことがある。
それは、仕事の「部分」をきれいにこなせることと、
「全体」を引き受けて前に進められることは、似ているようで結構違う、ということだ。

もちろん、部分をきちんと担えることは大事だ。
決められた範囲の中で、必要な作業を正確に処理できることは、仕事の土台だと思う。
実際、それがなければ組織は回らない。

ただ、最近はそれだけでは前に進まない場面が増えている気がする。

全体像を把握して、何が本当の論点なのかを見つける。
足りない情報を取りにいく。
必要な人を巻き込み、使えるリソースを集める。
そして、誰かの担当範囲に戻して終わりにするのではなく、最後まで着地させる。

こういう、一気通貫でやり切る意志と能力の価値が、前よりかなり上がっているように感じる。

このことは、肩書や経歴の見え方について考えるときにもよく思う。
立派な肩書や、きれいな経歴があると、たしかに安心感はある。
その世界のルールや空気を知っていることにも意味はある。

でも、それと、実際に仕事を前に進められるかどうかは、やはり別の話だと思う。

肩書や経歴は、その人がどんな環境にいたかを示してくれる。
でも、今この場で、未整理の論点を整理し、曖昧な状況の中で優先順位をつけ、
関係者を動かし、制約のある現実の中で着地まで持っていけるかどうかまでは、保証してくれない。

むしろ、大きな組織や整った環境でうまく機能していたことと、
何も揃っていない場で自分で全体を持って進めることは、かなり違う能力なのだと思う。

そして、この差はこれからもっと目立っていく気がする。

一人の人間が使えるテクノロジーは、どんどん増えている。
以前なら複数人で分けていた仕事も、一人でかなりのところまで進められるようになってきた。
情報収集も、整理も、比較も、たたき台づくりも、かなり広い範囲を一人で扱える。

考えてみると、テクノロジーはもともと分業を進める方向にも働いてきた。
仕事を細かく分け、標準化し、それぞれの担当に切り分けることで、全体の効率を上げてきたからだ。
でも、さらにテクノロジーが進むと、今度は一人で扱える範囲そのものが広がっていく。
その結果、かつては分けていた仕事を、もう一度つなぎ直して前に進める力の価値が上がっていく。
ここが、今起きている変化の面白いところだと思う。

そうなると、従来の細かな分業は少しずつ相対化されていく。
もちろん、専門性も役割分担もすぐにはなくならない。
でも、変わりゆく環境の中で、それでも価値が残りやすいのは、
部分を担えることに加えて、必要な場面で全体を引き受けて前に進められる人なのだと思う。

最近、そんなことをよく考える。

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