カテゴリー別アーカイブ: 中山 祐輔

相手の自己評価からはじめる

自己評価と他己評価がありますが、
相手に好かれるには自己評価と同じ事を言ってやり、
嫌われるためには違うこと、ないしは低いことをいってあげればいいんですよね。

また、
悲しい事に!
社会や会社の中で重要視されるのは、
この自己評価ではなく、他己評価になります。

自分が自分をどう思っていようが、
他人には全く関係ないわけですね。
つらたん。

で、八割方、自己評価は他己評価よりも高く、
他己評価を聞くと人間はほぼ嫌な気持ちになる、
ということがまぁつらいですよねぇ。
(たまに他己評価よりも自己評価を低くしている人もいますが、自己評価を下げる人って別の場所で圧倒的に自分を特別だと思ってるからできる、という悲しいサガも触れたいと思います)

自己と他己を分けたそのときから人間が負ってしまった悲しい原罪というわけです。
ただ悲しんでいても仕方ないので、
理性を使って対処する必要があります。

まぁ自分に対してされる評価については
「他己評価をどうされようと、感情的には気にしない」
ぐらいしかありませんね。

でも、人に対してはいろいろできるはずです。
つまり自分が評価を伝える場面です。

仕事の評価に限らず、服装について言及するときも、
日頃の仕事をねぎらうときも、人は様々なシーンで評価を伝えます。

そのとき、大事な事は
人は自己評価以上のことを言われれば喜び、
それ以外、もしくは見当外れだと、不愉快になる、という
この世界の原理です。

「自分があなたをどう思った」
ではなく、
「ないしは、客観的、社会的にこうだよ」
でもありません。

「この人はまずそれに対してどう思っているんだろう。どういうプライドがあるんだろう。」
で、
「そもそも評価を伝える必要はあるかな?評価を伝える目的があるかな」
①「改善して欲しい」
②「好感を得たい」

①「改善して欲しい」の場合
1.まずは相手の自己評価を見つける
2.それを尊重する言葉を渡す(できれば褒める)
3.その上で”しかし”の様な反意語を使わず、また、直接他己評価をぶつけるのではなく、こうした方が良いのでは、と相手が受け止めやすい方法で伝える

②「好感を得たい」
1.まずは相手の自己評価を見つける
2.その通りの言葉を渡す。もしくは少し上乗せする。
という事なのですよね。

結局人を変えるなんて傲慢なことはできません。

人は自分で変わるしかなく、変わるような気持ちを起こさせるしかありません。
人を変えようとしたら他己評価を伝えることになりますが、
その時点で感情を害し、プライドを踏みにじることをしてしまうと
立場を活かした強制力(親とか上司とか)で、変わりたいと思わせても、
とても本当に変わる力がそこから出てくるわけがありません。

いずれにしても、人を導くとき、好感度を上げるとき、
「相手が自分自身をどう思っているか」から
はじめないといけないのだな、と。

そうでなければ評価をぶつける権利などない、
そう最近思うのです。

ギブには感謝と背中を見せること。

SGでも「ギブを返す」という言葉が、
一人歩きしていますが、
正確には「バトンを繋ぐ」という方が良いと思っています。

与えられたものを、それ以上にして返す。

一体、誰に?

返すことは義務、いや負債なのでしょうか。
そういう取引もあるでしょう。でも。
先輩や親、頼りになる上の人が与えてくれるものは、
取引ではないはずです。
世界的リーダーを輩出するSGもまた、
会社としてそういう取引を迫っているわけではないと、私は信じます。

ここでは「恩返し」ではない「恩送り」の考えを伝えます。

【見返りを期待して相手に与える事は商取引だ】

そもそも年齢が上の人からもらったものを、
その人にそれ以上に返すなんて難易度が高いこと、
できないのが当たり前です。

また下の人に与える、というときに、
それ以上のものを返してもらおうなんて、
なんて傲慢なんでしょうか。

そもそも相手と自分の2者間で与え、そして返すという行為は、
単なる商行為にしか過ぎません。

そして経験や知恵を伝える、指導するという行為が、
能力に差があるもの同士で行われることを前提とする以上、
先行投資的な意味合いにもなってしまいます。

そしてゆくゆくしっかりとその投資を
返して貰えないと不満になるのです。

俺は10の時間を割いてあげたけど、
彼からは3しか返ってこない。
なんてけしからん。

「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」」(ヨハネによる福音、2章13節)

祈るとき、神とトレードをするな。
これは凄く大事な事です。

「〇〇するから神様、願いを叶えて下さい」
我々小人間が、神と取引をしてあまつさえ要求さえしている。
不遜甚だしい、という訳です。

「これだけのことをしてやったんだから、これだけのことをしてくれるのが当たり前だろう」

これは商取引であって、人間同士の関係性ではありません。

【与える事、受け取ること】
人に与える、教育し、ノウハウを伝えるとき、
それをそのまま返してもらうことを期待しては、
それは商取引であり、明らかに分の悪い投資です。

例え、相手が優秀でそれ以上にして返してもらったとしても、
あなたが与えたものはそこで止まってしまいます。

「あなたのギブは、返された段階で無くなってしまいます」
これが恩返しです。

そうではなく、あなたのギブが
相手から返してもらうことだけを期待するのではなく、
その人が次に繋いでいってもらうことを想定しているならば、
あなたは相手が十分に返してくれなくても、
期待を裏切られることがありません。

無理に返してもらったらそれであなたの与えたギブは終わってしまう。
永く続いていくそういったものを伝え、無意味な取り立てを行わないこと。
それが恩送りです。

では受け取る側はどう思えば良いでしょうか?
「先輩からもらったものをいつか返さなければならない」
「今の自分は与えられているだけで何も返せない」
「もらってばかりで返せない自分はダメなんだ・・・」
まるで多重債務者みたいな考えでいる人が多いように思います。

与えてくれた人に返すべきものは、その対価ではなく、以下の二つです。
〇感謝や尊重
〇それを受取、活用し、次に伝えているという事実
与えられたとき負うのは返済の義務ではありません。
未来へのバトンです。

前の走者に返すべきものは、
そのバトンではなく、
労いと
それを引き継いで一気にスタートダッシュをする背中です。

SGの新人に求めたいのは、
指導に対して成果を持って返さねばならないという
強迫観念を持って成果にコミットせよということではありません。

与えられたものにきっちり感謝を伝え、(復唱/要約)
それを受け取ったことをしっかりと示し、(日報や発信)
それを小さくとも行動で示してそれを見せ、(報告)
いつか与えられたものがどうその後の人生や仕事に生きたかを伝え、(報告)
そしてもらったものを次代に繋いでいることを伝える(報告/感謝)
といったことです。

成果で返さなくて良いです。

受け止めしっかりと活かしていることを
しっかりと見せること、報告すること。
それだけのことです。

返済義務のある負債を負うのではなく、
バトンを引き継ぐ責務を背負うこと。

そう思っていきましょう。

また誰もが受け取る側に立つことがあり、
そして誰もが与える側に立つことがあります。

与える側に立ったとき、
返してもらうことを要求せずに、
次代に送る事に意味があるようなものを与える事。

それをやっていきましょう。

話を”聴く”相手になるために

「あなたに言ってもしょうが無い」

そう思われてしまうような。そういうリードをしてはいけないよなと思います。

確かにあなたは相手の話を”聞いて”いるかもしれません。でも、相手の話を”聴く”、相手の話したいことを受け止めるということをしていないかもしれません。

答えありきで相手の話を聞き、そして結局指導や説教になってしまう。いかに相談をしても、結局理解して貰えない、寄り添って貰えない。そう思わせてしまうと、聞くという行為をいかにしていても、「あなたに言ってもしょうが無い」と言われてしまうのですよね。

「あなたに言ってもしょうが無い」から「あなたに相談したいのです」と聞く機会を通して、なっていきたいものですが、ポイントは、その人の現状をいかに理解するかと言うことだと思います。共感を示してあげるかどうかはともかく、相手のあるべき姿とかではなく、相手の今をしっかりと捉えてあげる。相手が自分自身の今をどう思っているのか、それをしっかりと捕まえる。

あなたの今を私は、しっかり聴きましたよ。その上で、助言をするのか、それとも単に共感するのか、あるいはリードするのか。

今をしっかりと聴くこと。それがポイントなのだろうと思います。

 

楽を、しなくてはならない

生産性という言葉がありますが。

1時間で数10万円稼ぐ人もいれば、時給1100円の人もいます。

同じ時間の価値が、数百倍も違うわけです。

一体どこにそんな差が出るのでしょうか?

肉体や精神のつらさが違うのでしょうか?いや、いくら違うと言っても、さすがに数百倍違うわけではないでしょう。時給2000円の肉体労働のキツさは、相当のもののはずです。

では、どこが違うのか。

それは楽の仕方が、違うんだと思うんです。

どこで力を抜いて、どこに力を入れるか。それが違うのだと思うのです。

どこに力を入れるべきか、それをしっかりと把握していますか?

最も効果を最大化できる仕事は何か、ちゃんと見つけていますか?

誰を満足させれば最も効果的か、それを見つけていきますか?

仕事の中心を”自分”の仕事から、組織やキーマンにおいていますか?そうやって効果的な誰かのために仕事をしていますか?

楽をしていますか?

同じ労力で違う成果を上げられる、そういう楽をできていますか?

・組織やチームにおいて最も重要な仕事は何か。

・自分にしかできないことで、本当に有意義な仕事は何か?

・今、自分の時間を何に使うのが最も有意義か?

その向き合いが、自分の時間を最大化させ、数百杯の報酬にかえていくのです。

楽をして、仕事をしていますか?

それを当たり前だと、思うな。

【朱に交われば赤くなる】

そういう言葉があります。

内部に入ってしまうと、批判的な意見はどんどん持てなくなってしまい、その集団の成員となってしまう。そういう言葉です。

当社の新人も入社して半年を過ぎました。他の会社の新人もそうでしょう。

声を大にして言いたいです。

「それを当たり前だと思わないでください」

そろそろ皆さんは、朱に交わって赤くなってきています。
会社のおかしいところとか、現状の良くないことを当たり前だと思っています。

入社前客観的に見た時、おかしいなぁと思うであろう事を、もう気づけなくなっています。

なぜか。周りの先輩達はその環境を受け入れていて、それが当たり前のようになっているからです。
そしてあなたももう、当たり前になってしまっているのです。

それではいけません。改善が出来なくなってしまいます。

改善出来ないのであれば、それは仕事ではなく作業です。皆が当たり前だと思っていることを疑ってください。いろいろ問題はあるはずです。逆に問題がなく、完全なものなんて仕事上でたった一つもあるでしょうか?

完全だとか、大丈夫だとか、問題ないとか、一個もありません。

その厳しい目線で、会社を見れていますか?

批判的な目線を忘れないでください。

おかしいことを当たり前として受け入れないでください。

善くなるためには、常に全員のその気持ちが大事です。

朱に交わって赤くなっていては仕事が出来ません。

当たり前に受け入れている物は、全てウソです。

改善していきましょう。

不安を感じる余裕もないほどに生活する

【惨めな気持ちになる秘訣は、自分が幸福であるか否かについて考える暇を持つことだ】
ジョージ・バーナード・ショー

不安を感じないほど仕事をする。

暇を感じる余裕があるから、人は不安になって自分の神経を痛めたりする。
なるほどその通りだと思います。つらいときは、つらいことを考える暇もないほど忙しくしないといけない。そうしないと心の空白をストレスが埋めてしまう。苦しいときほど忙しく精力的に動かなくてはならないのだなと。

もし、今、なにか不安や不満があるのなら、徹底的に忙しく、そして倒れるほどに仕事や私生活を活動的にするのがいいのでしょう。

趣味を作りコミュニティを増やし、責任を背負い込み、新しい提案を作る・・・。

悲しいことに、不安や不満を抱えたままでは通常の仕事や生活のクオリティを下げると言うことです。ゴチャゴチャ考えないで一生懸命やるほうが、仕事も私生活も充実します。

遊びも全力!という人の方が、仕事が出来たりするのはそのせいだと思います。生産性を落とす悪い感情を抱く、そんな暇さえもそういう人にはないからです。

人生の中から空白を取り除くこと。

空き時間は学び、運動し、遊び、仕事をし、ベッドに入るときには、悪夢を見る余裕もない。悪魔が忍び寄って、つまらない誘惑をかける間もないほど、活動する。

それが朗らかに健康的に生きていく、秘訣なのだろうと思います。

惨めな気持ちをいかに感じないか。それも一つの幸福の定義であると言えましょう。

 

【買い案件2件の紹介の連絡】

ルールではなく文化を創る

ルールを作ることは簡単です。

こうするな!と言うことはとても簡単です。

あるいはこうしろ!と言うこともできますね。大概意味のないことです。

例を挙げましょうか。

残業するな!すると罰則だぞ!というルールを作ることも簡単です。

また、残業しないように業務改善しよう!ということも簡単ですが無意味です。

では、どう、リードすれば良いのか。

【文化を創る】

ということだと思うのです。

人を罰則で無理矢理うごかすのではなく。

空虚な言葉で鼓舞するのではなく。

そうであることが当たり前である、そういう空気感、認識、環境を作ると言うことです。

それにはよく考えられたリードと、そして根気と、情熱が必要だと思うのです。

改善を繰り返すルールと(それはシンプルになっていきます)、しっかりとしたロジックのついた信念と(いわゆる原則にもとづいたもの)、そして繰り返しそれを染みつくまで上からも下からも言い続ける。そういうことだと思うのです。

これは焚き火を燃やし続けるようなもの。

消えそうになる炎に、薪をいつまでもいつまでもくべ続けるような。

ですが、消えてしまって燃えかすになるようなルールではなくて、そして燃えかすばかりの溜まってしまった組織にするのではなくて、煌々とともり続ける炎のような文化が、たくさんある組織にすることが大事だと思うのです。

残業をするなと言うことは簡単です。普通はすぐにそれは燃えかすになってしまうでしょう。仕事は多く、改善を考える余裕もないからです。8時間の中で本気で業務を改善するのだ、という炎を燃やし続けることは、あまりにも、あまりにも難しいのです。

でも、進化するルールと、浸透した原則と、そして諦めない声がけがあれば、やがてそれが当たり前に変わって行くと思うのです。その焚き火に薪をくべるのがリーダーだけではなく、みんなになっていくのです。

それが文化になる、ということでしょう。それが立ち向かうということでしょう。

焚き火が燃え続ける。そういう会社にしたいのです。

消費から創造へ 消費するだけの魂は病気になる

秋葉原オフィスで仕事をしていますが、消費の町なのだなぁと思いながら見ています。オタク文化を消費する町。昔の雰囲気を失ったとは、どこかで聞いたことがありますが、それは世界的に有名になって開発されてしまった観光地と同じ感覚なのではと思います。

つまり、人々の営みのある、文化のある土地が、大資本が入って観光地向きになってしまい、文化は骨抜きになり、張りぼてになって、ただ消費を待つだけの死んだ土地。世界中どこに行っても観光地というやつは、どこも同じような雰囲気なのはそのせいなのかもしれません。

どんな綺麗な観光地で優雅に過ごすよりも、現地の街並みと人々の生活に触れる方がずっと、ユニークな体験なのだと思います。

経験を消費するだけなのか。

それとも創造的な経験をするのか。

それが問題なのだと思うのです。

消費して消費して消費して。消費だけだと心は病気になります。どこかで創造していかなければなりません。

消費する物が飽和しているこの飽食の時代。情報を消費するだけになっているのかもしれません。それに慣れているのかもしれません。

でも、どこかで創造に転じなければならない。得たものを何かの役に立てなくてはならない。ただ自分が楽しむためにしゃぶりつくすのではなく、そこから得たものを確かに世のために還元する。そういうことが健全な魂には必要なのでしょう。

だから、情報過多のこの社会で、我々のような知識労働者は産みの苦しみをしながら、分かりにくい物を分かりやすくするためにどんどんどんどんコンテンツを生み出していかないといけません。健康であるために、ですね。

 

Willに理屈はいらない

英語・・・というか英語系の言語で素晴らしいなぁと思う言葉がいくつかあります。

一つは「I’m proud of you」。

私は君を誇りに思うよ。こんな言葉は本当に自尊心を育てますし、最高の褒め言葉ですよね。日本語にはなかなかないよな、と。

そしてもう一つが「Will」です。

「I will do it」

という言葉を訳すのは難しいです。Willというのは「意志」という意味であって、「確かに意志を持って行う」というニュアンスを含んでいます。

日本語には「~しなければならない=must」「~すべきだ=Should」、あるいは「~したい=want」はあってもWillはないのです。

意志を込めて行う、というニュアンスを込めた言葉はないのです。

では、Willとmust/should/wantの決定的な違いはなんでしょうか?

それは「行う行為よりも重要なものがあるかどうか」です。

つまり・・・

何々しなくてはいけない。なぜならば~
I must/should/want do it. Because~

となるわけです。

ですが、WillにはBecauseは必要ないのです。
Willという言葉に説明も理由もいらないのですね。

例えを出しましょうか。

I want to love you.と言った時、その奥には、Loveよりも大事な事があります。つまりYouよりも大事な目的があるのです。

しかし、I will love you.と言った時、そこに理由付けはありません。ただあなたをこそ愛する。それ以上もそれ以下もないのです。注目は目的語である「あなた」にだけあります。

典型的な例をもう一つ出しておくと・・・
刑務所や罰の効果に関する倫理の根本議論(カントの定言命法)があります。
なぜ悪いことをしてはいけないのか。それは刑務所に入って、罰を受けたくないからです。

つまりI should not do that. Because I don’t want to go to jail.という訳です。

でも、仮に刑務所に入っても別に良いとか、罰をいくら受けても構わない、と思う人には、罰則で縛ることはできないのです。

ですから本当の倫理観というものは、should notやmust not、あるいはmay notではなく、will notにしかないのですね。

I will not do that. 「私はそれをやらない。以上!」

I will work for you

まぁいろいろ言いましたが、結局本当のやる気とか本当の取組というものは、willからしか出てこないんです。だって他に大事な目的があるのに、それに対して従的なものに対して、そんなやる気になりますか?

お金のために仕事をする、褒められたいから仕事をする、好きなことだから仕事をする・・・

まぁいいんですが、結局、仕事という行為が二の次になっているのです。

刑務所に入りたくないから悪いことをしない、と同じ事です。行為が二の次になっているときに、その行為自体に本気で取り組む事なんて出来ないんです。

相手を愛するという行為が、相手の関心を買うとか、相手から利益を得たいとう下心があったら不純だというのは、まぁ分かるとは思うんですよね。(利益を求めない愛なんてあるか!?という議論はまぁ置いといて)

だから僕らはシンプルに考えるしかないのかなぁと仕事に関して。仕事に限らずですけどね。

幸せな家庭が欲しいから(幸せになりたいから)相手を愛するのでしょうか。じゃあ幸せとは何?とか幸せっぽくなったら愛せなくなるのか、とか、本末転倒な複雑さになってくるんですよね。なにか行為に理由をつけはじめると。

だから~のためにとか、~しなきゃとか、~したいとかじゃなく、
「いいからやる」「本気でやる」「真剣にやる」これしか実はないんですよね。

真剣に愛する、それ以外の言葉はないんですよね。

仕事はごちゃごちゃ言わんと、真剣に一生懸命にやる。それしか実はありません。

For youという部分

じゃあブラック企業で真剣に一生懸命やれば良いのか!?という質問もありそうです。まぁどんなところだって、言い訳を考えず懸命にやれば、必ず道は開けますが、一つだけあげておけばFor youという部分だと思います。

エネルギーのベクトルを自分から相手に向けるということ。Willというのは実はベクトルです。意志というのは方向性を持ちます。その意志を自分ではなく外に向けることが大事です。

キツくてキツくて奴隷のように搾取されていて、気持ちを一切外に向けられなかったらそこは離れるべきだと思います。

でも大概の仕事において、人生の様々な事において、気持ちを全部自分に向けて死ぬ気で自己防衛をしないといけないというケースはほとんどないと思います。

外向きに。そして相手に向かって、自分ではない誰かに向かって。

理由付けなどいらない。Willの行為で、やっていけば良いのです。

最初どんな仕事もつらく、苦しいかも知れません。でも、他人に向けて行っている仕事は必ず評価され感謝されます。そして、だからこそ、自分のしている行為を疑わなくて済みます。自分の行為を自分の目的から自分で認める行為をしなくてすみます。

相手のために常に行動している。行動の全てが相手のためだ。だから一体なんで自分の仕事を疑う必要があるのでしょう?

仕事を楽しいとか、それを通じて利益を得たいとか考える必要があるのでしょうか?だって他人にベクトルを向けているのだから自分への利益なんて気にしなくて良いし、なんなら必ず後からついてくるのです。

だからWillなんですね。他人のために動くというのは、自分のための理由付けなんていらなくなるのです。

I will do it for you。

それがやはり最高にI am proud of myselfなのでしょうね。

仕事とは相手を満足させること

意外と新人等が間違えてしまうことですが、

その仕事の目標や目的は何か?と質問すると

「こうやってタスクを完遂させることです」

と的外れなことを言われることがあります。

タスクは手段であって目的じゃない

与えられた仕事をこなすことは、仕事ではありません。

与えられた仕事を与えられたルールに則り終わらせることは、その仕事の目的ではありません。

その仕事とはなにか?仕事には必ず相手がいます。その相手を満足させること、それが仕事であって、そのタスクの目的なのです。

改まって、自分の仕事の目的を考えてみてください。

「〇〇という許可を取ること」

違います!!!

あなたの仕事は、「〇〇という許可を適切に取得することで相手を満足させること」です。

これはあまりにも大きな違いです。自己中心的であるか、他者中心的であるかの巨大な認識の谷間です。

タスクをこなすことが仕事になってしまうと、スピードを上げるとか精度を上げるとかそんな眠たい話になります。

違います。必要以上のスピードも精度も不要です。

では”必要”とはなにか?

それは相手が欲しいと思っているレベルです。

あなたの仕事は「書類を作る」「調査をする」「コピーを取る」「データを埋める」等等のタスクではなく、相手を満足させることなのです。

だから相手が満足するスピードと精度でやれば良いだけなのです。

逆に言えば、そうしない限り、自己中心的な努力をいかにしても、顧客を満足させることは出来ません。

さて、あなたはコピーを取ってくれと言われるしたら、

その目的はなんだか、もう分かりますよね。

コピーを取ることがその仕事ではないのです。コピーを取って相手を満足させることが、目的なのです。気遣いとか期待を超えるとか、そんなものは全てタスクを単にタスクとして目的としてしまうのではなく、タスクというのはあくまで手段に過ぎないとそういうなかから生まれてくるのです。

さぁあなたの仕事は何でしょうか?

あなたは仕事を自己中心的にせず、相手中心にすることが出来ますか?

余白とルール/商材よりも人を育てる

昔WEBライターをやっていた頃。

あるメディアに雇われていて時給で記事を書いていました。

で、時間換算するとどうやっても、世の相場よりももらってしまっているし、その生産性をFBをされたこともありませんでした。

前職の不動産広告営業で、少なくとも時給の2倍は稼がないと首だ、と言われていたのとは大きな違いで、あるとき編集長に聞いたことがあるのです。

時間給でいいのか。生産性はこれでいいのか?

答えは簡潔で、君はクリエイターだから別に良い。数字目標とかルールを課すと、かえって質が下がってしまうんだ。

そうか、クリエイティブには余白が必要なのだ!とそこで気がつくことができたのです。

SGの仕事は、営業的要素もありつつ、その本質はクリエイティブです。一人一人がタレントとなって、名前と能力を売っていく必要があるのです。

商材が売りなのではなく、人が売りなのです。

人は商材を売るための部品なのではなく、人を輝かすための仕事なのです。

その場合、余白をもちいるか、ルールをもちいるか、それはもう、自明なのだと思うのです。

SGは余白にこだわる。ルールに逃げない。

ルールを課せば課すほど、人を簡単に動かすことが出来るようになります。

でも、そこにはクリエイティブはないのです。

ルールに従って人を足し算引き算して、商品の売上を達成する。一部の経営陣が考えるだけで後はそれに従うだけ。ルールの中で成果を上げることを現場は求められるだけ。

これはまさに軍隊的なアプローチといえましょう。人間の命は単なる数にしか過ぎず、必要なことは戦いに組織として勝つこと・・・。

まさに頭でっかちな組織なのでしょう。指揮官が判断をミスったらそれで終わりなのですから。

SGはそういう組織を目指しません。

ルールは少ないのです。だからいろいろ勝手にやることができます。当然、ルールが少ない以上、考えなければいけません。単なる烏合の衆になる危険性もあります。

ルールが恋しい、もっと強制して欲しい。そういう人もいることでしょう。

でも、あえてルールを渡しません。一人ひとりが自分で考え、様々に乗り越えていく、つまりクリエイトしていく必要があるのです。

だから予算の設定も、KPIを設定して合理的に数字を迫ったりしません。各自が数字と向き合い、数字の設定も自分でやり必要となれば自分でKPIを設定して取り組んでいって欲しいのです。

数字はあくまで皆の力を引き出し、皆のやる気を引き出すための目標にしか過ぎません。その数字を達成することが目的ではないのです。

なぜなら――繰り返しになりますが――SGの目的は、商材を売ることではなく、また商材で世界を変えることではなく、一人ひとりがリーダーとなり、世界に向き合っていく人材になっていくことだからです。

だから予算の設定も、生産性の目標もすべて、皆の力を引き出すように設定します。そこへの皆へのプッシュも、見込の確認とか、反省文を書かせたりとか、数字を迫ったりとか、そういった機械のパーツを詰めるようにはしません。

一人ひとりがいかに当事者意識をもち、数字という一つのバーを乗り越えるために、自分を引き絞り真剣に向き合い、考えるか。

それを支援していきたいのです。

これはとても優しく、そして厳しいことです。

考えることほど人間が嫌いなことはないのですから。でも、考えることほど人間が幸福になる手段はないのですから、皆がより考えるようにどうすれば良いかと、向き合っていきたいと思います。

他人を変えることはできない。変わることしかできない。

という真理は、企業における一つ一つのルールにおいても同じなのだと、そう思うのです。

そしてそれをSGの文化として根付かせるよう、取り組んでいこうと思うのです。

 

誰も助けてはくれない。World is Yours。

誰も助けてはくれない。自分を救えるのは自分だけ。

そして誰もあなたを傷つけることは出来ない。あなたを傷つけることが出来るのはあなただけ。

World is Yours、というわけですね。

 

この二つは当たり前の真理だと思いますが、若いうちは分からないのだと思います。若さは守られ、若さは手を差し伸べられ、若さは許され、若さは期待されるからです。

誰かが助けてくれるのではないか、あるいは誰かが救ってくれるのではないか。
あるいは誰かがあなたを傷つけてくる。誰かのせいで自分は苦しい。

そう思ってしまいがちです。

しかし、結局、誰一人としてあなたを本当の意味で助けてくれることも、そして傷つけることも出来ないのですよね。

大人になるとそれが分かってきます。否応なしに分かってきます。若いうちは貰えていた許しが、期待が、助けが、応援が。社会から周りから消えていきます。そうして人はああ、大人になったのだと気づくのでしょう。

ですが、問題なのは。
いかに早くこの真理を知る事が出来るか、ということが人生の大きな差を生んでしまうということなのだと、そう思います。

当事者意識の欠如、他力本願、他者や環境への批判、そんなものは何一つ意味がないと、いかに早く気づくことが出来るか。いうならば、周りがまだ大人にならないうちに、如何にそれに気づき、前に進むか。それが問題なのです。

自分の人生を生きておらず、年齢を重ねて、誰も助けてはくれない事実に無理矢理気づかされる。。。そんな人生が多くありすぎると思います。村社会が崩壊して、孤独死を向かえるこの社会で、この真理に気づかないと、誰も助けてはくれないという事実がただの絶望となって人生に、覆い被さってくるのです。

鬱とは、たぶんそういうことなのかも知れませんね。

ですが、なるべく早く。誰もこの世界で自分を助けてくれる人はいない。自分を助けられるのは自分だけ、そう気づくことが出来たなら。きっとそれは絶望ではなく、福音に変えることが出来るのだと思います。

それはひどい体験で気づくかも知れません。絶望の中で気づくかも知れません。しかし幸福とは常に不幸を感じた分しか感じられないとしたら、その絶望は光へ至るための絶対に必要なステップなのでしょう。

あなたは誰も助けてはくれない、自分だけの世界を直視していますか?

そしてそれを絶望ではなく、喜びとして捉えられていますか?

仕事に対して、そのレベルで自立していますか?

誰も褒めてくれなくても誰も導いてくれなくても(本質的に誰かがそれをしてくれることなんてありえない!)
新人でなくなって、誰も期待したり指導したりしてくれなくなっても。

確かにバリューを生み出すための力を、その事実から引き出せていますか?

あなたは確かにこの事実を自分から受け入れた、確かな大人でしょうか?

 

この事実を受け入れると、自立した人間になっていけます。

傷つくこともあるでしょう。つらいこともあるでしょう。でも、本当にあなたを傷つけることが出来るのは、他人ではなく自分であることをあなたは知れるでしょう。あなたを傷つけているのはいつも誰かではなく、あなたなのです。

世の中の理想にあわせて、自分を殺したがる人が一杯います。本を読んでそれを実践してみたり、成功者の体験談を読んでその努力を試してみて出来なくて落ち込んだり。

そんなことには意味がないと知る事が出来ると思います。あなたはあなたで、他の誰でもない。他の誰かがあなたを変える事なんて出来やしない。あなたに出来る事は、あなたの全力を行うこと、それだけであって、全力で行った自分を否定することは、あなたにだって出来やしない。

我々に出来るのは、ただ自分の全力を尽くすだけなのです。周りが求めるとか社会が必要とするとか、そんなことはSecondaryでしょう。

あなたは仕事において人生において、主役でしょうか?全力を尽くす以外のつまらないことでむやみに自分を傷つけていないでしょうか?

毎日、自分の全力を尽くし、そして自分にプライドを持つ。これ以上の幸福などこの世界にあるでしょうか。

誰も助けてはくれません。誰もあなたを愛したり出来ないし、誰もあなたのことを本当に考えることなんて出来ない。当たり前の事。大人になれば誰だって知ることです。

でも、それを先に知って、その事実を自分のものにすることが出来ればきっと。

World is Yoursというわけなのでしょうね。

 

 

相手はなぜあなたの期待を果たせないか?

ケース問題のようですが、少し見ていきましょう。

仕事を任せたりしていると、必ずあなたは相手に対して期待してしまうわけです。

依頼者と受託者がそこにいるわけですね。

依頼者の問題と受託者の問題がそれぞれありますが、

依頼者の問題として「①あなたの仕事はあなたが思うほど簡単じゃない」

そして「②そもそも期待値を設定していない」

ということがあります。

そして受託者側の問題としては「③目的や経緯を把握していない」「④期待値の調整をしていない」ということがあります。

それぞれみていきましょう。

【依頼者側の問題】

あなたの仕事はあなたが思うほど簡単じゃない

こんな仕事も出来ないのか!そう思うこと、あると思います。

何度言っても全然伝わらない!そう思うこともあるでしょう。

しかし人間というものは自分が当たり前に出来るようになったことは、簡単なことだと思ってしまうのです。それが出来るようになるために自分がどれほど頑張ったかということは、もはや遠い昔の話(あるいは自分が出来たんだからお前も出来るはずだ、しなければならないというように、過去の苦難を増大させてしまうことも)。

また人間というのは育ってきた文化も、文脈も、そして得意なことも不得意なことも違うわけです。

あなたが仕事で得てきた力は、そんな誰もがすぐマネできるものではありません。自分が出来るように、相手が出来るわけでもありません。

もっと自分の仕事にプライドを持って良いのです。あなたの仕事は、あなたが積み立てたことは、誰もがそんなにマネできるものではないのですから。

だとすると、相手がすぐに出来ないとか、自分のように出来ないなんて事は当たり前の事なのです。

「そもそも期待値を設定していない」

業務を依頼するとき、社内外を問わず、なんとなくはじめてしまって、結局なんとなく失望とかした経験ないでしょうか?

これはそもそも「私の期待値はこれですよ」「これを越えたらあなたは私の期待を越えられますよ」ということを明確にしていない時に起こるものです。

「〇〇やっといて~」といったとき、あなたの頭の中には(これは15分ぐらいの仕事だからすぐ終わるだろう)なんて思っているわけです。

結果として3日後とかに報告に来て、なんでこんなに遅いんだ!となるわけです。

心当たり、ありますよね。

もちろんそんなの当たり前じゃないか!というご意見もあると思いますが、依頼者側としても自分の期待値を明確に伝える努力を怠ってはいけません。

その際にはBoscarフレームワークを用いましょう。

そのタスクの以下の項目をしっかり伝えれば期待値をしっかり相手に伝えることが出来ます。

B (Background)・・・その業務の背景や経緯

O (Objective)・・・・その業務の表面的な目的と大本の目的

S (Scope)・・・・・・範囲。どれぐらいの労力をかけられるか

C (Constraint)・・・その業務の制約。社外のリソースは使わないなど

A (Assumption)・・・前提。予算とか期限とかですね。

R (Report/Risk)・・・必要な成果物のイメージ

全部伝える必要はありませんが。BOSとRは絶対にした方が良いですね。

「この業務をこういう経緯があってこういう目的がある。この日までにこのような成果物を出して欲しい。あまり社内の人を振り回さないでやってください」

という訳ですね。

こうしてきっちりと業務について相手に伝えておくと、自分がどのような期待を持ってその仕事を依頼しているかが相手に伝わります。相手としては越えるべき明確なラインが分かり、とんちんかんな成果物を出してきたり、周りに迷惑をかけたりとかがなくなります。

もしそういうとんちんかんな事をしたとしても、それは依頼者側の問題ではなくなってくるわけです。依頼の方法が悪いケースは一杯ありますけどね。

【受託者側の問題】

目的や経緯を把握していない

その業務がそもそも何のために行うか分かっていないと、業務の中で改善とか判断が出来なくなります。作業になってしまうのですね。

この紙を印刷しといて!

という指示の時、なんとなく印刷してしまって、依頼者からこれ会議用なんだけど・・・汚いのでやり直して欲しい、ということを怒られてやり直し、ということはよくあることです。

これは仕事を作業でやってしまっているから起きるのですよね。

本来は目的と経緯を確認するべきです。

「目的:なんのために印刷するのですか?」

「経緯:どうして〇〇さんが準備するんですか?」(あんまり簡単なタスクの時は嫌みになるので注意ですが)

そうすると「会議用である(目的)」「これまでずっと〇〇さんが任されてきた(経緯)」となるわけですね。

で相手の期待を越えるためには、経緯に基づき「〇〇さんよりも綺麗に印刷する」ということと、「会議で便利なように印刷する」ということになります。

なので、どんな感じでこれまで印刷していたのか、どういう会議なのかを軽く聞いて、綺麗に整えて印刷しましょう。

そうすることで、依頼者の期待を上回り、さらに会議者の期待を上回って〇〇さんもあなたも期待を上回る仕事が出来るようになります。

必ず目的と経緯を確認すること。それがないとあなたの仕事は作業になり、期待を裏切り続ける事になるのです。もちろん推察することも大事ですが。いちいち細かい事まで聞かれるというのも、相手の期待を下まわることになるので。

期待値の調整をしていない

上記のBOSCARを使ってその業務の期待を明確にすると、さて、相手の期待に自分が応えられないケースというのが出てきます。あなたの仕事だって忙しいのです。あれもこれもと出来ません。

そういうときは、相手の期待値を下げて、自分が必ず越えられる期待値まで調整しましょう。

「3日以内にこのレポート作って欲しい」と指示を受けた場合を見ていきましょう。

「これって何に使うレポートですか」(目的)

「来週の会議に使うレポートだよ」

「ああ!それって来週水曜日に〇〇さんがやるプレゼンのことですよね」(経緯)

「そうだね」

「だとするとこのレポートは少なくとも来週の月曜日までには完成していないといけないですよね。〇〇さんの確認もありますし」(前提)

「そういうことになるよね」

「ちょっと業務も立て込んでいるので、すぐにレポートの方向性を相談させて欲しいです。それで期限としては来週の月曜日に出来ませんか?3日後には中間報告はしようと思います」(成果物の確認)(期待値の調整)

「分かったよろしく」

となるわけですね。

曖昧な期待値は超えることは出来ません。するとあなたは一生相手の期待値を明確に超えることが出来なくなります。なのでまずはBoscarで期待値を明確にする必要があります。そして期待値を明確にしたら、自分が越えられるように期待値を再設定します。

そう、相手の期待を越えるとは、一生懸命頑張るとかそういう精神論では決してなく、機械的なプロセスなのです。

「期待を越えるプロセス」

①期待値を明確にする
②自分が越えられるように期待を下げる
③期待を越える
④期待を越えたことを相手に伝える

となるわけです。

期待値を調整して、必ず相手の期待を越えるようにしていきましょう。

まとめ

相手がなぜあなたの期待を果たせないかには、まずはあなたが無駄に期待値を高く設定していると言うこと、そして期待値そのものを明確にしていないことがあります。

そして期待を受ける側としては、まず目的と経緯を聞き、そして自分の越えられるように期待値を調整する必要があります。

期待を越えるとは一切精神的なものでも、あいまいなものでも、運任せのものでもありません。

相互の合意とコミュニケーションに基づく、機械的なプロセスです。

期待を越えること。それが仕事です。

期待を機械的に越えていきましょう。

 

 

情熱を生み出すのではなく、情熱的にならざるを得ない仕事をするのだ

ビジョナリーカンパニー2を再読しました。
今、読むべき本と言うことが出来るでしょう。

久々に読んでこんなに考えることが増えたのだなと思ったものです。

以前読んだときはそんなもんかと思ったものですが、
少し経営について考えなければならないことが増えた結果、
こんなにも面白い本なのだな、とそう思うようになりました。

ーーー

熱意を持て、
世界一になれ、
お金を稼げる仕事はなにか。

その中から決してでない仕組みと、
その中を徹底的に突き詰めていく仕組みと
それを純朴に徹底して突き詰めていく力と。

そしてその中で、皆がワクワクする目標を立てられ、
そして必ずこの取組を続ければ、世界一になれないはずがないと
そういう日々を積み立てていく。

短期的な成果に惑わされないほどの確信を抱き、
そして評価されなく協力がなくても淡々と、
重たい弾み車を押していく。

飛躍や変化に、派手な戦略や目標など必要ない。
IT技術によって生まれることもない。
それは成功する確信のある努力を
毎日毎日繰り返すことで生まれるのだ。

少しでも考え無しの短絡的な思いつきのような判断をしてはいけない。
そうやって地道に地道に押し続ける。

あるときから弾み車はぐんぐん周りだし、
人がどんどんつまり人々は勝手に適切で規律ある行動を取るようになる。
(人々に適切な行動を取らせるために規律があるのではない!適切な人々が適切に行動するために規律はあるのだ!人に規律をもたらし、適切に行動してもらうために労力を払う事は正しくない。まず適切な人を用意してそうではない人は降ろさなくてはならない。ただし、正しい日々を積み立てる会社の中で、人々は自然に適切な行動をとるようになる!)

そして偉大な会社へとなっていく。

ーーー

熱意を持つことが出来、
お金を稼ぐことが出来、
そして世界一になる領域はなにか?

SGにおいてなにか、を考えます。

そして私自身の仕事においても考えます。

そして仕事も含めた私の全てにおいても考えます。

はて、愚直に毎日、
カッテージチーズを洗うように毎日を過ごすとして、
そのための確信を抱けるほどの領域は何だろうか、と。

第五世代の指導者になるためには、
まず自分自身としてその3つの領域を満たす活動を毎日繰り返し、
そして、それを仕事においても行う事が出来る人なのだろうなと思います。
さて、何が出来るでしょうか。

何を目指しましょうか。

アゲインスト バイナリ オポジション

常に二項対立というのが、人間関係や組織運営のガンなのだなと思います。

親と子、上司と部下、営業と客、担当と客、本部と支部、現場とバックオフィス、そし敵と味方・・・

父は子と二項対立になりがちですが、母は子と父よりは二項対立になりにくいですよね。

正直この二項対立は相手の目線に立たなくて良いので、凄く楽です。相手を他人だと思ってプレッシャーを与える事で、双方共に良い結果を生み出すこともあるでしょう。野球の監督と選手とか。

ただし、それは怠慢な関係であって、しっかりと考えた関係ではないんですよね。

敵だとか悪い奴だという奴にも、よく知ってみると、チャンとした事情があるものです。

本来はしっかりと考え、そして徹底的にこの二項対立を潰していき、同じ方向を見つめる同志になっていかないといけないんですよね。

そのためには、二項対立を離れた目線を持ち、その疑問を聞いていく必要があります。

営業電話をかけたとして、最初は当然、二項対立になります。で、失敗します。

顧客はあなたのサービスなど求めていなかったんです。で、そこでこの二項対立関係を離れて聞いてみます。「お話し聞いていただきありがとうございます。・・・ちなみになんでいらないとなったんでしょうか?」

そうすると一気に目線は相手側に移り、そして二項対立で、相手と対面しているだけだとみることの出来ない、相手の裏側、なぜそういう判断に至ったかの理由を知る事が出来ます。

このような質問と、二項対立の破壊。

これがあらゆる人間の関係性において重要な事だと思っています。

最近、SGでも人が増えてきました。現場が~とか、オフィスでは~という言葉が出てくるのは自然なことでしょう。

しかしそのような対立関係を離れ、我々は全員が共通の問題点を解決し、そして成果を出すための同志です。

現場と本部とか、リーダーとリードされる人とか、そんな別れ方をしてしまうと、これは必ず対立を生んでしまいます。

だから、対立の一面を必ず破壊していかねばならない。

それが良い組織と関係を作ることなのだと、そう思うのです。

いかに不安を乗り越えるか。3つの方法論

これは宗教の話ではなく、
哲学の話なんですが、


お釈迦様、ゴータマシッダールタの不安解消の手法は、
現代にも通じるものなので紹介します。


現代のもっとも大きな病は結局、不安です。
コロナとかではなく、不安で心を病む人の方が最も大きな病と言えます。コロナが怖いのではなく、コロナで自分や大切な人が死ぬのではないかということが恐ろしいのですね。


お釈迦様はその不安を解決する手段を人々に提示し、
そのため、別名が大医王と呼ばれていたりします。


で、その考え方の根本はシンプル。
お釈迦様は悟りに至った後、
その当時の最高の識者の前で、教えを披露(初天法輪)するのですが、
ここで言われるのが、四諦という話です。

『雑阿含経(大正蔵巻二、103下13~104上29より引用)』
此、苦聖諦。本所未曾聞法、當正思惟。時、生眼智明覺。
此、苦集。此、苦滅道跡聖諦。本所未曾聞法、當正思惟。時、生眼智明覺。
『ざっくり訳』
世界は苦であることをまず知り、その苦の原因を知り、そして苦のない状態を知り、その状態への手段を知る、これが悟りへの道である。

で、最近人をサポートするためには、
その人の不安を知ることが必要だと思っています。


不安という言葉で言い換えると、
①私は不安を覚えていると認識する。
②その原因は何か考える
③不安がない状態を考える
④どうすればそこに至れるか考える
ということになります。


お釈迦様の場合は、そこから八正道という、一定の貪りを認めた上で、
いろんなものに知足し、中庸たれ、という事を説きます。


一定自分を認めて、行き過ぎないようしなさい。
現実や自分をしっかりと認めて、
いきすぎや無理はしちゃ駄目だよ、ということです。
その状態が不安がない状態であり、悟りであるというわけですね。


で、現代の不安の解消法として教えてくれるのが、
デールカーネギーの「道は開ける」ですけど、
そこではお釈迦様と同じように不安を以下の様に扱うよう書いています。
①自分が不安を覚えていると認識する。
②何のどのような不安があるのかを認識する。
③その不安な出来事が起きたと仮定して考えてみる
④その結果を受け入れてみる
というわけです。


大抵の不安な出来事は、命まで取られるものではないもので、
最悪なケースを想定してみると、意外とたいしたことないものです。
上司やお客さんに怒られても、別に命取られるわけでもないですし・・・
そうすると冷静になってうまい対策が生まれてきます。
対処対処であっぷあっぷという状態から抜け出られるわけですね。


で、最後に私としてはイチロー式不安解消法と名付けているのですが、
俺は俺の出来る事をやってるんだから、その後どうなろうと俺の責任じゃない、と考えるわけです。


毎日一生懸命しっかりやっている。結果がなんであろうと、最善を積み重ねているのだからもうその結果に対して不安を覚える必要などないじゃないか、ということです。
で、このポイントは、社会とか皆から考えた一生懸命とか努力ではなく、その時点で”自分”が出来る最善を過ごしている、というだけでOKだということです。
自分を認めて、例え社会からお前サボってんだろ、と言われても、その時点の自分としては最善なんですよね。だからOKなんです。


だからコロナだって、私は私の出来る事はやった。それ以上もそれ以下もないし、結果なんて考えない。
振り返ればあーすればこーすればとあるかも知れないけど、そのときは出来る範囲で全力だった。それ以上、何ができるだろう、と。


200本いけるかどうかなんて知らない。今日という一日を全力でヒットを打ちプレーした。それだけだ、というわけです。


レジリエンスということが言われますが、
どのようにレジリエンスするかといえば、
このように不安と戦う術を身につけると言うことです。


この厳しい競争と不安に満ちた社会に生きるために、
一番大事な能力だと思うので書いてみました。


いかに世はこともなし。
ケ・セラ・セラと腹の底から思えるか、ということですね。
新人の皆さんは不安で
自分で自分を傷つけない様にして欲しいですね。

「明日よ、あらん限りの悪をなせ、われ、すでに今日を生きたれば」

よく、目標を定めて逆算せよ、といいます。

人生をPJとして考えたとき、目的のないPJなどありません。建設物を作るのに、完成イメージがないまま作るはずがありません。システムを作るのだってそうです。

それと同様に人生においても、大きな目標を立て、逆算していけ、という話があります。よくある非常に良くある自己啓発の話です。

はて?果たして、それが実践的であるのか?と最近思うようになりました。

夢を持ち、それの実現のために分割したマイルストーンに向かって努力を重ねる。それが出来る人は、素晴らしい。才能があるのだろうなぁと思います。

私なんかは小人なので、大きな目標を立て、たいそうな努力を重ねる、なんてことは出来ませんでした。無理です。大きな目標というのは、言い換えれば分相応ではないということ。そんなものを追いかけていけるほど強くはないのです。

そして多くの人はそうだと思うし、そして分相応な目標を持って、たいそうな努力を自分に課し、そして結局こなせず、自分は駄目なやつだと思ってストレスになったりします。世の中ですごい人はそれが出来るのに自分は・・・。遊んでる暇なんてないのに、全然努力が出来ていない。

・・・そんな事を思ってしまうわけですね。ドMですね。

真面目でやる気がある人ほどそう思ってしまうわけです。悲しいものです。まぁ真面目なサラリーマンほどドMが多い、なんてのは蓋然性がありそうですが笑

分相応な努力は出来ない、それは多くの人にとって事実だと思います。だから、大きな目標から逆算していこう、ということも出来ない、私はそう思います。

もちろん夢を持つことは良いことでしょう。立派な人になりたいとか、宇宙旅行したいとか。結構なことです。でもそれをブレイクダウンして逆算して分相応な努力を自分に課して自分をいためつけるなんて、なんて、なんてバカバカしいこと。

我々凡人に出来る事は、今日という一日を一生懸命生きること。それだけです。

イチローはヒットの本数を追い求めました。下がってしまう打率とか、あるいは200本から逆算してあと何本と計算はしませんでした。

今日とにかく一本でも多く、ヒットを打っただけです。だからイチローは自分を天才だと言わないのかなぁなんて思います。天才のように目標から逆算して、たいそうな努力を出来たわけではないのですから。

幸いなるは
今日を我が物と言いうる人のみ
かの人は心安らかに、叫ぶ―――
「明日よ、あらん限りの悪をなせ、われ、すでに今日を生きたれば」
―――ホラティウス

今日を一生懸命に生きること。それ以外に、出来る事はないのだろうと思うのです。大きな目標が要求する努力と未来のことなんて、私には考えられません。毎日毎日、一生懸命必死に生きること。それだけです。未来を考えて今日を暗くするなんて言語道断。大きな成果は不断の今日の努力を積み重ねるしか行う事は出来ないのですから。

自分の大いなる目標は何か。キャリアというものを考えるとき、そうした話が出てきます。そのために資格をとれだとか、技術を身につけろとか、ネットワーキングしておけとか、勉強しとけとか。そういうことがあります。

でも、正直分かりません。私は私が自分で自分を許せるレベルまで毎日努力をしています。その状況に応じてその努力の量も変わりますが、それの何がいけないのでしょうか。分相応な努力は出来ないのですから。

大いなる夢はあるにしても、大いなる目標はありません。第一、目標なんて立てられない。自分は自分の成長に満足しているし、その結果として1カ月後には違う世界が見えているのだから大きな目標なんて立てられない。

私は私の出来る全力を今日という一日で、過ごしている。毎日が満点です。誰と比べる訳でもないのだから当たり前です。

目標を定めて逆算しろなんて傲慢な方法は、もうやめました。今日という一日を一生懸命に自分の魂に嘘をつかないレベルで生きること。それ以上何がありましょうか。

「明日よ、あらん限りの悪をなせ、われ、すでに今日を生きたれば」

私の中の私とあなた。あなたの中の私。主客を入れ替えることが仕事の精髄

こんにちは。

経営企画部の中山です。

自分というものを考えたとき、そこには客体化できる自分とそうでない自分がいて、そうでない自分を見つけたのがデカルトであって、ハイデガーはそれを実存、Daseinと呼び、そして客体化できる自分、すなわち外延化した自分は風土の影響を受けるといったのは和辻哲郎でした。

まぁ有り体に言って、自分の中には、自分と、そしてあなたがいるのですね。

そして、同様に、あなたの中にも、自分を見てしまうのが、人間の愚かなところでしょうか。我々はあたかも「あなたの思っているリンゴ」と「私が思っているリンゴ」が同じように感じてしまいますが、それは決定的に異なります。あなたのリンゴはもしかしたら青いかも知れないし、黄色いかも知れない。少なくとも完全に私の同じものではあり得ない。それを指摘したのがウィトゲンシュタインの言語ゲームですね。そして、同じリンゴを見ていると思ってしまう、これはカントの言う超越論的誤謬なのでしょう。他人の頭の中を自分の頭で考えてしまう。それはさけ得ない、人間の本質的な過ちなのです。

まぁ有り体に言えば、相手を自分の論理で考えてしまうのです。人というものは。

そして仕事の精髄とは、私で考えるのではなく、あなた、で考えることだと思うのです。

私は10社ほどいろいろな仕事を体験してきました。正直どれも成果は出なかったなぁと思っています。しかしその中で得た唯一の、重要な気づきは。

「自分が作りたいものを売るのではない。顧客が欲しいものを作るのだ」

というマーケティングの神髄です。

最初は何度も自分中心でプロダクトやサービスを考え失敗しを繰り返すうちに、この神髄にたどり着きました。自分が作りたいもの、なんていうものの価値が今はもう思い出すことが出来ません。

そして最近気がついてきたのは

「私が欲しいものを求めるのではなく、あなたが欲しいものを一緒に考える」

ことがマネジメントや営業の神髄なのだ、ということです。

たやすく我々は、命じる人と従う人、営業をする人と営業を受ける人、雇う人と雇われる人というように、対立的な構造に入ってしまいます。

これはどちらも私を主張するからです。それは特にあなたの中の私に向かってアクションを取ってしまうからです。

こんなに良い仕組みを作ったんだ、きっと理解してくれるだろう。あなたは。

こんなに一生懸命働いているんだ、きっと尊重してくれるだろう。あなたは。

こんなに一生懸命説明しているのだから、検討してくれるだろう。あなたは。

これは全部目線が自分にあります。相手の中にある私がきっと自分を尊重してくれるだろう、なんて思っている。

そんなことは起こりません。

こういう二項対立の中で考えるのではなく、仕事は成果を出すことだけが重要です。ただそこにHappyを創出するだけです。それ以外の何者も必要ありません。

だから人を動かすとき、マネジメントでも営業でも、ただ相手に寄り添えば良いのです。相手の中に勝手に自分を見て、自分の論理を押しつけ、期待するのではなく。

相手の論理に徹底的に寄り添うのです。

私が買って欲しいから、あなたの問題を解決するへ。

私が従って欲しいから、あなたを良い場所に一緒に行くへ。

この商品にはこんなメリットがあるんです!

ウチはこんなに速いんです!

この仕組みはこんなに効果があるんだ!

ではなく、
〇○でお困りはないですか
どういったスピード感をご期待ですか?
現状の問題は何だろうか?そのためにはこの方法はどうだろうか。

マーケティングの神髄は、主客を入れ替えること。

リードも営業も人を動かすことは主客を入れ替えること。

そして人生においても、自己優先から他己優先に入れ替えること。それが神髄なのだと思うのです。

それはきっと私の中の私とあなたにも同じ事。

くだらない実存だのなんだの自分自身などではなく、この社会にいる等身大の自分、私の中のあなたこそ大事にしていかなくてはならないんですよね。私の中のあなたは、まったくつまらない等身大の人間ですが、それを真っ向から直視して、認めて、明日を生きていく。まぁそういうことが大事なのだと思うのです。

求めよ。さすれば与えられん

先週土曜、雪のセンター試験の日。
アメリカ海軍特殊部隊Navy Sealsの6カ月に及ぶ審査及び訓練である通称Budsのドキュメンタリーを見ていました。

180分ぐらいの動画でしたが、一気見。
本気とか覚悟とか
チームワークとかリーダーシップとか、
まぁ一見の価値あります。

思ったことは2点あります。
~したいと思うことでしか、Self-motivatedすることは出来ないのだな、ということ。
そしてごちゃごちゃ考えるやつは弱いってことです。

Budsには、Navy Sealsという最高の信頼とチームワークを誇る最高のチームに入りたいと、
海軍のエリートなどが集まります。
しかし最初80名いたメンバーは最後には20名ほどになってしまいます。

この過酷なBudsは実に6カ月に及び特に最初の数週間とその後にある通称Hell Weekは、覚悟を試す、本当に本気なのかを計る壮絶なものです。
Hell weekは特に五日間で睡眠時間が数時間しかとれないという、実に苛烈なもの。

Budsの合い言葉は
「勝者だけが報われる」

そして様々なレースの中で、チームで取り組む以外に勝者になる方法はなく、そして少しでも上手くやろうとか手を抜こうとかすると必ずペナルティを与えられるように設計されています。

「人を壊れるまで走らせることは誰でも出来る。俺たちはそんなことは望んでいないし、覚悟のないやつが自然とやめていくことが望ましい」

限界まで絞り出す訓練が毎日続き、そして冬の海につかるような訓練や、徹底的な部屋の清掃チェックなど心身共にすさまじいプレッシャーが与えられます。
数日おきに行う健康診断が行われ、低体温症のギリギリまでの追い込まれます。

そうすることで本当にSealsになりたいのか、
戦地で仲間として後ろを任すことが出来る人間であるのかを
徹底的にあぶり出していくのです。

ドキュメンタリーの中で多くの優秀な兵士が自分から離脱していきます。
「所詮は仕事だ」
「人生にはもっと大事な事がある」
「家族の不幸があったんだ。だから仕方ないんだ」
「俺はSealsにふさわしいと思っていた。でもそうではなかったんだ」

「訓練が厳しくなってくると、脱落するやつはいろいろ考え出す。こんなことなんでしなくちゃいけないんじゃないか、とか。これからずっとこれが続くのか、とか。なげやりになると離脱していくのさ」

愛国心だとか、最高の部隊だからトライしているとかいう兵士はどんどん脱落していきます。

最後まで残るのは深く考えずシンプルに楽観的に考えられる兵士、そして本当にSealsに入りたいと思っている兵士です。

「どうせ人生の半年程度。後になったら良い経験だと思うし、別に何でもないよ」
「リベラはすごいやつだ。どんな訓練も軽くこなすし、いつも周りに気を配ってる。やつは部隊でママと呼ばれてた」

このドキュメンタリーは、偽りのMotivationでは、
最後まで自分を追い込むことが出来ないということをまざまざと見せつけてきます。
一見正当で素晴らしい理由は、極度の緊張と疲労とプレッシャーの中では、全く役に立ちません。
ただシンプルにSealsになりたい!という気持ちが強い人だけが、
極限状態の訓練を乗り越えられます。

仕事上、どのようにSelf-motivatedすればいいのか、と考えます。

よくタイムマネジメントが出来なければいけない。生産性を上げなければいけない。
そういう問題提起をする人を見ます。自分もそうしがちです。

しかし、多分それでは自分のMotivationにはなりません。
そういう問題設定をして、スマートにそれをかなえている人など私は見たことがありません。

だから「~しなければいけない(Must)」「~すべきだ(Should)」という課題設定は間違っているのだと思います。

多分「~したい(Want)」じゃないといけない。
仕事を楽しみたい。仕事で気分よくなりたい。
先にそれを強く思わないとMotivationは生まれない。

そう思うから、じゃぁタイムマネジメントしなくちゃ、生産性も上げないとね、ということに対して強いMotivationが生まれるのです。

極限状態でも揺らがないMotivationは、
結局「~したい」じゃないとダメなのだな、と。

受任促進をしなくちゃいけない、だと、だれもMotivationが湧かないと思います。
でも、めっちゃキャリア立てて良い仕事をしたい!という気持ちがあれば、
Motivationが湧いてくるのだと思います。

もし、やんなくてもいいかな、とか。
もっと楽しいこと一杯あるしとか、そう思うようであれば。
やっていることは「Must」や「Should」に動機付けされたものだと思うのです。

「Want」ならごちゃごちゃ考えない。
ただやるだけだ。

とりあえず私は楽しく仕事をしたいと、そう思うようになりました。

楽しく仕事をしよう。
そのためには何が必要か・・・

    難しいんだよ、ロックンロールをやり続けるっていうのはね。

    5年ぶりに7つの習慣を読んでいます。


    はじめて読んだのは、初めてのインターンになった不動産広告の営業のときで。
    神奈川県全域と豊島区台東区全域の
    宅建業者に電話していたときでした。
    キツすぎてちょっとハゲました。


    7つの習慣は妙に読みにくい本で、
    結局自立の習慣である第三の習慣までしか
    読まなかった覚えがあります。


    で、今は相互依存のパラダイム。
    第4の習慣まで読み進めてきています。


    まぁ結局この手の本は、
    人生のフェーズが進んでこないとしっかり理解出来ないし、
    実行することなど出来ないよなぁというのは所感です。
    当時自分は出来る範囲で理解したし、出来ないまま実行してきたように思います。
    今だって熱心に読んでもまだ、うまく実行できない部分が多いです。
    で、当時は、まぁそうだなぁ、でもなんかなぁと思っていた部分が、
    今は、なんかな、と思うようになりました。


    カトリックとフロンティアスピリッツが混じったような、
    マッチョな思想がベースなのですけど。


    うーん。


    聖人にはなれないって、人間は。


    思うに、人生哲学だとか自己啓発には、二つの方向性があります。
    善い人間になろうという方向と、楽しく生きようという方向です。
    前者は奉仕の精神だとかで、精神的な勝利や人生の充足をしようと言ってきます。
    享楽の楽しみではなく、魂の喜びを、と言うわけです。
    そういう世界では、例えばアウシュビッツでも尊厳を守り他人のために働いた人とかが最高の理想になります。
    魂の尊厳を持って、精神の喜びに殉じよう、みたいな。


    その反対は、やりたいことをやろう、という享楽型です。
    もちろんやりたいことをやることと、精神の喜びは一緒だというハイブリッド型が多いのですが、まぁ無理ありますね。
    やりたいことが出来るのは、貧乏じゃないからです。
    才能だって必要だし、もって生まれたものがものをいいます。
    好きなことやって生きればいい、やりたいことをやればいい。
    まぁそうですが。そんな世の中も人間も単純じゃない。
    二つとも努力だの人間の意志の力とか過信しすぎです。


    正直両方ともその成功者は、異常者だし、一種の病気だよなと、歯に衣着せずいえばそう思います。


    どっちにしたって画一的に人間の生き方をアドバイスするという時点で、
    ナンセンス極まりないんですよね。自己啓発系って。


    7つの習慣に則って、
    ミッションステートメントを書いて、
    毎朝それを復唱してみたのですが、全然しっくりこない。
    善い人間になりたいとか、人を愛するとか、
    あるいは人生を楽しむとか、やりたいことをやるとか、
    そんなのでははっきり言ってウソなので、
    全然しっくりこないんですよね。


    で、なんならしっくりくるかなと思っていたのですが、
    ひらめきました。


    ロックですね。ロックンロール。


    やりたくないけどやるし、そのためにつらいことがあったらつらいと言うけど、
    それでもやる。報われなくてもかっこ悪くてもまぁいいんだが、
    とにかくやる。報われたいが、報われないとか目立たないとか下手に褒められる方が、かっこ悪い。どこかバツの悪さがある。
    人のためとか馬鹿馬鹿しい。好きなことをやるとかいうのも反吐が出る。
    そんなことは口に出したりすることじゃ、ないんだ。


    ただ、ロック。


    ロックに行く、ってだけなんですね。


    rock ‘n’ roll

    企画というのは焚き火に似ている

    企画というのは焚き火に似ているなぁと思います。

    まずは燃えやすい、落ち葉のようなものを拾い集めて、
    マッチかライターか、あるいは錐揉み式で火をつけて、
    そして太い薪を継ぎ足していき、大きな炎になっていく。

    燃えやすい物を集めて、火をつけて、火を大きくしていく。

    燃えやすい物…企画の種というのは、皆、心の中にいろいろあると思います。これが出来たら良いな、と多くの人がいくつも持っていると思うのです。

    しかし、それだけでは何も起こらない。

    マッチもライターもない森の中で、乾燥した葉がいくらあっても、火をつけることはほぼできません。(山火事のように、落雷で火が付くことはあるかも知れませんが)

    ですが企画にするためには、火をつけることが必要です。

    企画をしたことがない人は(誰だって最初はそうです!)、マッチもライターもファイアスターターもなく火をつけなくてはいけません。

    道具は錐揉み式です。

    仮に道具があっても、火をつけるのは大変です。

    何度も手が擦りきれるまで、錐揉みさせていく、この労力は必要です。

    例えば企画作成の本を読む、ということは、あくまで錐揉み式の板だったり紐だったりを手に入れるだけで、火をつける労力そのものを手に入れることは出来ません。

    何を読んだって、錐揉みを回す労力を省略することは出来ません。

    で、やっとの思いで火種をつくって、でもそれが集めた落ち葉に引火するかも、これも運です。

    そして・・・やった!火が付いた!

    しかしそこからがスタートです。集めた落ち葉はすぐ燃え尽きてしまいます。

    そうなる前に必死で薪を探して、くべて、探して、くべて。大き炎にするために、くべてくべてくべて。くべて。

    これが企画という物だろうなぁと。

    でも、いくらやっても雨がふれば、焚き火は消えます。
    またどんな企画もせいぜい一晩程度。夜の間程度しか続きません。

    しかし何かを変えて何かを作るためには、企画を立てないことにははじまりません。

    人の企画に火をつける

    錐揉み式で火をつけた経験を重ねていくと、火をつけること、それ自体が上手くなっていきます。ノウハウもたまっていき、マッチやライターをつけるぐらいに簡単に火をつけることが出来るようになります(そうなると集める落ち葉やくべる薪が問題になってきます)。

    しかし、それだけでは人の企画を大きな炎にすることはできないのだな、と実感します。

    企画という物は、原則、自分の森で、自分の樹の落ち葉を使って、薪を使って、必死こいて火をつけてやる物です。よその人間が火だけつけに来ても、薪を拾い、くべるといった実際の重労働は、誰かがやるしかありません。

    そして自分で火をつけた経験がない人に、いきなり火を渡したところで、その火を大きくするための努力を引き出すことは出来ないのだな、と。

    企画のための努力を延々とするためには、日常の業務と合わせてやらなくてはいけません。自分の企画だと思って、時間や体力を削ってゴリゴリやった経験がないと、企画になりました!さぁ時間を割いてください!といきなりやっても、絶対に動けないんです。

    実務が忙しい。緊急対応があって。

    そういった言い訳をしているうちにつけた火は消えていき、後に残るのは企画の燃えかすだけになります。イノベーションのジレンマに近いかも知れませんね。大きな企業にはこうした燃えかすが澱のように溜まってよどんでいるんでしょう。(決裁の厚さで諦めるという点と、忙しくて諦める、そうしていく内に、死んだ企画が溜まっていき、燃やせる葉っぱもなくなっていく…)

    企画屋として重要なのは、ロジカルシンキングとかをつかって、スマートに分析して企画を立てることではないのだな、と思います。

    その人が企画に対して真剣になり、プラスアルファの時間や労力を割いてくれるように誘導すること、これが一番重要だと思うのです。

    企画屋が入ったことのない森で、落ち葉を集めたり薪を集めるのは、難しいです。その道何年という人に、素人が数週間やそこらで気づきやアイディアで敵うはずがないのですから。

    だから、企画の種、宝を持っている、その人を主人公にしなくてはいけません。その人の中を掘り下げていき、これは行けそうだ!というネタをまず自分で見つけてもらう。可燃性の葉っぱを自分の力で、労力をさいて集めてもらう。

    そして企画屋がマッチで火をつけるのではなく、その人に錐揉み式の道具を渡すのです。もちろんそれだけでは絶対に火はつかない。だから台を支えてあげるとか、そういったサポートをする。

    あるいはあえて錐揉み式を企画屋がやってあげる。で、作った火種をその人に任せるんです。火種から引火させるのは結構難しいので、何度も失敗します。でも労力を割いてなんども何度も火種を作ってあげる。何度も何度も。

    そして火が付いたとき。自分で薪を率先して探しに行くようにリードしておかないといけない。

    あ、なんか火が付いたなぁ、ぐらいの認識ではダメで。一緒に手を取り合って、努力を共有して、火がついに付いた!という感動を自分の物だと思ってもらわないといけない。

    企画屋の仕事って、人を導く事なんだろうなと思います。火をつけてあげるのではなく、一緒に火をつける。自分の火を大きくすることではなく、その人の火を大きくしてあげる。

    これを絶対に外していけないですね。

    企画屋は自分の企画以外、常に裏方でいなくては。火起こしのインストラクターでなくてはならないのだな、と。

      If today were the last day in my life, Would I wanna do what I am about to do today.

      人生の成功というものを定義することは難しいことですが。

      ”人間の器”の大きさを、大きくするということは、人生の成功に直結することでありましょう。

      人が何のために生きていくのか、と問うことには特段生産的な意味を持ちませんが、しかし、善い人間になるということは、一つの大きな方向性です。

      どんな人間も形容する際には、たった一つの切り口ですみます。どんな社会的な成功者も、どんなモデルだの芸能人でも。結局、その人の人間の器はいかほどか。それだけでスパッと切れるものです。

      相手の価値を真に測るためには、たったそれだけで良いのです。

      そして自分を見返してみたときも、年収とか容貌とかスキルとかそういったもので捉えがちですが、自らに問いかける言葉はたった一つで。

      自分の人間としての器はいかほどだろうか、ということ、たったそれだけにつきます。

      果たして自分が何を生み出しているか、とか。
      自分の社会的価値は何だ、とか。
      自分は何をするべきだろう、とか。

      あるいは、このままでいいのかなぁ/やりたいことはなんだろう/なんとなく不満を感じている/なんとなく日常が過ぎ去っている…

      人生の様々なフェーズでの、そういった悩み、不安の中で。

      答えを出す方法は一つだけです。

      自分は、自分の人間の器を大きくするための日々を送っているか?ただそれだけなのだろうと思います。

      ・・・とすると、人間の器とは何か。大きくするためにはどうすれば良いのか?そういった疑問も生まれるかと思いますが。

      人間の器をわざわざ言葉で定義することは、著しくナンセンスでしょう。

      きっと「器の大きな人間」。これだけで全て伝わるし、分かるはずだと思います。

      さて。自分は、自分の人間の器を大きくする、そういった日々と努力をしているのでしょうか。やはり改めていく必要がありそうです。

      2019/10/07 中山

        その時々のテーマソング

        今先輩の三瓶さんがサムスミスのStay with meをバックにくだらない話をする有吉のラジオの話をしています。
        横で聞いていますが、なんというかギャップが面白いなぁと思いますねぇ。
        サムスミスは自分がフィリピンにいた頃によく聞いていました。特に歌詞も意識せず「I know I’m not the only one~♪」と口ずさんでいたら、横を歩いていたフィリピン人に「You are only one!」と言われた記憶があったりします。

        ところで、人生のそれぞれの時期になんかテーマソングってあったりしませんか?

        明確に覚えてなくても、後々思い出すとこれだったなぁとか。久々に聞くと、そのときの記憶が情景に色や匂いまでつけて思い出してしまうような。

        個人的な曲を思い出す限りちょっと書き並べてみると。
        高校低学年:My Sweet Darling/矢井田瞳
        高校高学年:閃光少女/東京事変 小さき負傷者達へ/中島みゆき
        大学前半:主人公/さだまさし 空と君のあいだで/中島みゆき
        大学中盤:飛行機雲/ユーミン
        フィリピン時代:Bohemian Rhapsody/Queen
        大学後半:Cleanin’ Out My Closet/Eminem
        アメリカ時代:Come As You Are/Nirvana
        大学最終:Feel Good Inc./Gorillaz
        最近:I Need To Be In Love/ The Carpenters

        こんな感じでしょうか。

        いろいろ聞いてみるとなんか半生が見えるようで面白いですね。

        で、今のテーマソングは、あまりない、というのが現状ですかね。

        音楽をいつも聞くことも減り、音楽の力に頼ることも少なくなったことを感じます。
        とはいえ、人生が何か激動しているとき、一定音楽を聴いているのであれば、そのときには必ずテーマソングがある気がします。

        挑戦をし、一歩先が落とし穴みたいな日々を過ごしていると、音楽の力は必要です。

        そう考えると、最近の自分は挑戦してないのかも知れないなぁ、と。停滞し安定してしまっているのかも知れないなぁと。

        本もそうですが、音楽との出会いも運命的なものです。

        次の自分の音楽との出会いに期待してます。それはもっと派手でパワーに溢れた曲だといいなぁ。

        厳しさと優しさ 対策を迫るということ

        本日、代表の鈴木から、予実管理の話の中で、
        経営理念の2つ目について解説がありました。

        SGの経営理念には
        「不満を言わず対策で解決する」
        という理念があります。

        予算(目標)を設定し、不達だった場合に、
        周りからは正しいリードとミスリードがあります。

        正しいリードは「対策を練り一緒に行動すること」。
        ミスリードは「気にするな、大丈夫など声をかけることや、あるいはそもそも触れないこと」。

        飲み屋に行くと、このミスリードばかりが起こります。
        それどころか社内であっても、ミスリードが頻繁に起きると代表は言います。

        ですが、こうしたミスリードを繰り返し受けていると人材は、腐ってしまう。
        そして30代になる頃には、適切なリードを受けていた人とそうでない人の間は、取り返しの付かない差が開いてしまっている。
        だからSGのスタッフはみんなが正しいリードをして欲しいし、また、正しいリードの結果として”仕事が出来る”という人生のコアスキルを皆がもって、成功のスパイラルにのっていって欲しい。
        SGに入社してくれた皆に、絶対に自分がプレゼントしていきたい事は、こういうことだ、と。

        正しいリードは、大勢において反発を招きます。それは”厳しさ”として相手に見えるからですね。「予算未達だね。対策するぞ」というリードは、自分の体の中にパワーがないと付いていくのが難しいことです。

        そんなにやらなくてもいいじゃん、頑張ってるのに、という自分の心の声に、さらに頑張れ!と言うわけですからね。君の頑張りは、本当に必要なレベルの頑張りじゃない。全然足りないよ、と言うわけです。

        日頃生きていく中で、プライベートでいろいろなんだかんだ大変な中で、それを要求されるのはつらい、だから対策を要求されて不満を持ったり反発を持つものです。

        でも代表やSGはそこに迎合せず、厳しく行きます。

        なぜって?

        それはその厳しさこそが、優しさだと知っているからですね。
        本当の優しさだと。

        ミスリードをするのは一見優しく見えますが、実は少しも優しいわけではありません。相手の人生に何の責任も持たない、飲み屋での会話にしか過ぎないからです。

        リードはとても厳しく見えます。ですが、相手の人生に責任を持って、こうしていこう!とやることほど、大変なコストを払う事はありません。別にしなくても良いし、反発を呼ぶことをするのだから、実はそっちの方がとても優しいのです。

        流れやすい方に流れていくのか、厳しい優しさの中で進んでいくのか。

        SGは厳しい優しさの中で、皆が進んでいくようリードをして行きます。

        ”提案”は批判的精神から。否定的精神は”嘆願と不満”を生む。

        と、非常にゴリゴリのタイトルをつけましたが。

        今回は提案を生むためにどのような姿勢を持てば良いのか、という点をお話ししようかなと思っています。

        欧米では大学の基礎学習としてリベラルアーツを学びます。リベラルアーツにもいろいろありますが、結局は”批判的精神”を身につけること、これにつきます。

        批判的精神とは何か?

        自己批判を繰り返し決して思い込みをせず判断を保留する賢さと、物事を主張する際に客観的な事実を徹底して尊重しその場その場の最適解を導き出す方法を身につけることです。

        日本語の”批判”と実はリベラルアーツ≒哲学における”批判Critik”は異なることに注意してください。日本語の批判は、なんか悪口言うとか、対案もなく否定的意見を言うとか、当事者意識もなく勝手な意見を言うとか、どちらかというと批評といった意味が大きいですが、批判は本来的にはそういう意味ではありません。

        あらゆる誤謬(惑わしてくる様々なものにだまされてしまうこと)を振り払い一歩横に置いて、しっかりとした判断を下すためにするのが批判なのです。

        人間はいろいろな判断をするとき、様々な先入観がその判断を邪魔してきます。先方は怖そうなおじさんだ、とか。この案件はニュースで言ってた落ち目の業界だな、とか。

        見た目やメディアの情報、経験、そういったものが自分の判断を侵害してくるワケです。

        でも、それを一つ横に置いておく。いかに権威ある新聞でも、確からしい経験でも、見た目がどんなに怖くても(あるいは美人でも)、それは一つ横に置いて、あくまで参考情報だと思って、ゼロベースから考える。

        これが批判的精神なワケです。

        これはこういったものだ、という反応に惑わされず、というところでしょうか。

        対してそういった心の動き、反応を一歩横に置くことが出来ず対応してしまうことが否定的精神を生んでいきます。

        あ、見た目怖いからいやだな。面倒な案件だからいやだな。新聞でこう言っていたから、きっとこの業界は駄目な業界なんだな・・・

        状況や情報に反応的に対応すると、心は否定的になっていきます。否定的になるとそこから提案を生み出すことは出来ないのです。

        提案は批判的精神から。否定的精神は”嘆願と不満”を生む。

        何か問題があったとします。それに対して嫌だ!と言っていると、それは不満になります。嫌だからなんとかして欲しい!これは嘆願になります。

        社会のいろいろな問題に対して、不満を言うのはTwitterとかでしょうか。で、なんとして欲しいというのは、サポートセンターへの苦情であったり、政治家への嘆願がこれにあたります。

        ですが、もちろんそれでは何も変わることはありません。

        さて、問題があったとします。

        問題は嫌だから、解決したいと思うとします。

        すると解決するためにどうすればいいかを考える必要が出てきます。

        一体何が問題なのでしょうか?
        一体どこに問題があり解決していないのでしょうか?
        そもそもどういった経緯でこういった状況になったのでしょうか?
        どのような解決がこれまで図られそしてどういった推移をたどって今に繋がるのでしょうか?

        そういった事を考え、調べていきます。

        すると、何か誰も試していない解決方法が見えてきたりします。社会全体ではまぁ無理だとしても、自分の生活上ではじっくり考えれば大抵の解決方法は見えてきます。

        あとはそれを実行するだけ。これが提案になるわけです。

        だけど、問題があって、それを誰かのせいとかにしだすと、もうどうにもなりません。
        環境のせい、上司のせい、会社のせい。まぁそうなのかもしれませんが、そういった否定的精神から生まれるのは不満と嘆願だけです。みんな概ね真面目に生きて真面目にやった結果だと、そう気がつくほどじっくり一歩横に置いて考えると、提案がでてくるのです。

        議論は批判をもってする

        リベラルアーツを学ばない日本人はまぁまぁ苦手だと思うのですが、議論の最中に否定を持ち込まず、批判で行うというのは最も重要なことです。

        誰かが意見を言い、それに対して批判をするのか、否定をするのか。

        誰かの提案や意見に対して、批判的目線で対案を出したり客観性の欠如を指摘したりするのか、自分の現状からただ反応し、否定的なことを言うのか。

        誰かの提案や意見、アイディアに対して、それが素晴らしいものだと尊重の上(素晴らしいものだという前提の上)よりよくするためにどうするのか、あるいは自分の状況に変化を加えるものとして否定的意見を反応的に述べるのか。

        批判的議論を行うためのコツを列挙します。
        1.決して否定をしない(あら探しをしない)
        2.前の意見に反対だったとしても、それを尊重しそれを踏まえた対案をだす
        3.どの意見の中にも使えそうなアイディアを探し、それをどんどん積み立てていく

        議論というものは、ダメそうな意見を言ったとき、それを即時で否定する人がいます。これはよくない。まぁその意見がダメで、否定が正しいこともあるかもしれませんが、これは本当によくない。

        否定された人はもう意見を言うことはないでしょうし、一見駄目そうに(あなたに)見える意見は、それはその人なりの道理と理由があって、一定の合理性があることは違いありません。その合理性にこそ、議論をする意味があるのですから。自分の論理とは違う論理を尊重することとは、一見駄目そうに見える意見の中に、気づきを見いだすことなのです。

        とかく人間は反応的になると防衛的になり、否定的になりがちです。それをせず理性的に物事を考え適時適切な批判を己に行うこと。それが重要な事なのですね。

        SGの理念、不満を言わず提案に変える、とは、批判的精神を持って行動することに他なりません。そしてビジネスリーダーにとって批判的精神は、必要条件だと言えるでしょう。

        SGで今行っている日経新聞読み合わせも、これは世の中をしっかりと批判的に見ることを鍛えるものです。

        みんなで批判的精神を身につけ、良き議論と世界のリーダーの必要条件を満たしていきましょう!

        理屈で体を鍛える

        SGの仕事は座り仕事が多く、
        結構皆太ります。
        特に社内にいることの多い私は特に・・・

        高校生の頃。
        週6日以上部活で剣道をしていました。
        当時はかなりバキバキの体をしていました(弱かったですけど)。

        それから8年。SGに入社して1年と少し。
        体脂肪率は+15%以上、体重も+10kg以上のぷよぷよボディになった自分がいました。
        お腹をたたくと、背中の方までぷよよんっと脂肪が揺れるのを感じます。
        (これ妙に気持ちいいんですよね・・・)

        部活を引退した時、母親に自分の写真をとっとけと言われて、
        いや、俺運動続けるし、太らんし、と言って、写真を残していないのを
        結構後悔してます。

        鏡を見ることももはやなくなり、
        かつていくら持ち上げても
        気にならなかったダンベルを、
        どかすことするおっくうになり、
        ふとした腕立て伏せでは10回も出来なくなり・・・

        なんとなく疲れがとれなくなり、
        ストレスに弱くなり、恫喝に弱くなり、
        眠気がとれなくなり、疲れがとれなくなり・・・

        こりゃいかんな、と。

        で、鍛えはじめました。

        3年前も諸事情あって、腹筋割れるまで
        鍛えたことがあったのですが、
        結局、あんまり理屈もなく習慣もなく、
        鍛えた訳でもなかったので、すぐに戻ってしまいました。

        今回は、キチンと理屈を持って、そして習慣化して
        体を鍛えていこうと思っています。

        大体1ヶ月ほど経ちました。
        やったこととしては、
        ①週1回10kmのランニング
        ②週1回以上の剣道の稽古
        ③朝夕の素振りと筋トレ

        結果としては、
        体重を量るルーティンが出来てなかったのであれですが、
        体重で1キロ程度、体脂肪率で2%程度落ちました。

        筋肉が一気に増えたのを感じます。
        あとお腹の肉が日に日に減っていっていて、
        今では、まっすぐ立っているとつまむのが難しいぐらいになりました。

        ベルトの穴も限界だったところから3つめの穴で締められるようになりました。

        食べ物も、アミノ酸をとったりミネラルをとったりと、
        運動効果を高めるものを摂取し、糖質も減らしてきました。
        この前、はじめてサラダチキンを作りました。
        ローレルを入れてコンソメで煮たんですが、
        ローレルの偉大さがダイレクトで分かる味でした。
        ローレルすごい。
        サラダとサラダチキンの御飯は味気ないので、
        もうちょっと食事関連は勉強しないとですね。

        トレーニング2ヶ月目は、
        ランニングを20キロに増やし、
        水泳もやっていこうかな、って思っています。

        なんか筋肉が付いてきて、簡単な負荷では効かなくなってきたので、
        加圧トレとかいろいろ考えなきゃいかんかもしれないっすね。

        体を鍛えて〇〇する、だと続かない、体を鍛えることそれ自体が目的にならないと続かない、
        というのを誰かから聞いたことがありますが、
        なんか体を鍛えること自体が目的だと良い感じですね。
        今までなんで鍛えなかったんだろう?ぐらい、当たり前な感じになってきました。

        まぁ別にボディービルダーになりたいわけではないので、
        体を維持することの当たり前レベルを上げていきたいです。

        いろいろビジネスをやっているとキャリアのために優先順位があるのですが、
        この3ヶ月ほどは私のプライオリティは、体を鍛え習慣化することです。

        何にしても体は資本。

        しっかり鍛えられた体をまず用意して、
        その上で仕事が出来るように取り組んでいきます!

        失敗は成功のもと。失敗は成功だ。

        経営企画部の中山です。

        入社して1年半にもなりますが、社内で誰が一番失敗したか?という質問されれば、自信を持って自分だと思います。ミスをいっぱいしたと言う意味ではなく、トライして失敗した回数、ということでしょうか。ご迷惑をおかけしております。

        空回りとか、浮いてるとか、そういうこと辞めた方が良いとか、まぁ、とても言われたように思いますし、やっぱり今でもそういうところありますね。悲しいけれど。

        私は経営企画部として、社内で浮いている分も正直ありますが、それはチャレンジと、そして失敗の証だろうなと思っています。

        そのときそのときでまぁまぁ妥当な判断をしてきたつもりですが、実際に行動してみると失敗ばかり。まだまだ結果や私に対する評価が上がった感があるわけではありません。

        ですが実感するのは、この失敗なくして、成功などないな、ということ。

        いろいろ挑戦して体験してみるしかないのです。で、痛い目を見てみるしかないのです。

        誰がなんと言おうとそれしかない。

        何か改善したいと言うとき、”いままで変えられなかった理由やそうなってしまった道理”をぶっ壊し、新しく善いことを実現するためにはまず跳ね返されてみるしかありません。

        そのうちもっとスマートに改善も出来るようになるのかもしれませんが、それはすでに失敗したことを繰り返さなくてすむということだけ。どんなになってもかつて経験したこと以外に挑戦する限り、失敗は前提なのだと思います。結局改善にチートやスキップはなくスマートさなんてないんです。

        必要な”失敗”と言うプロセスなしに、例えば頭の良さとか要領のよさとかで、そのプロセスをすっ飛ばすことなど出来ないのだと失敗し続けて切に思います。スマートに生きるなんて、無理です。

        それはよく分かっているので、今大量の失敗を詰め込んでバンバン経験しています。企画して失敗し、営業して失敗し、声がけして失敗し、試してみて失敗し・・・

        その失敗に巻き込んでしまっている皆様には申し訳ない気持ちが多いです。でも、まぁいつになるかはともかく成功のために必要な失敗と思って、やっています。

        浮かないように出来るかはともかく、目立たないようにすることは私にだって出来ます。静かに自分の実務をやっていれば、まぁそんなに問題はないだろうなぁと。

        でも、明日の改善のために、未来の改善のために、今日の失敗を積み上げることしか、正直自分に出来ることはないので、ご迷惑をかけることも多いですが、今日も失敗していきます。

        失敗、失敗、また失敗。でもこの失敗は明らかに成功のための一歩、まぁある種の成功なので、今日もめげずにやってきます。

        さぁ、良い会社にするぞ!

        ゲームをプレイするな。ゲームを作れ。

        SGにジョインして1年が過ぎますが、「ゲームをプレイするな。ゲームを作れ」が結局一番大事なのだなと痛いほど実感します。

        弊社サポート行政書士法人は、代表鈴木の社会的理念「世界的リーダーを創出する」を元に運営されている企業です。これは一般的には経営理念と言うよりも人事理念にくくった方が良い理念ですが、SGにおいては人事理念、経営理念を超えてその存在意義であると言えます。

        SGは社会的リーダーを創出するために存在する企業なのです。

        代表は言います。誰もが自分で考え、提案し、改善を己の手で出来るようになる。そうした人材が育つインキュベーション的組織を作りたい。世界的リーダーを輩出することがSGの使命であり、自分が経営という厳しい闘いをやっている理由なのだ、と。

        そのためになにが一番重要か。

        誰もが自分で考え、提案し、変化を生み、そしてゲームチェンジャーとなるために必要なことは、何か。

        それが冒頭の言葉「ゲームをプレイするな。ゲームを作れ」ということなのです。

        ゲーム内の最強キャラでは現実には叶わない

        例えばあなたがあるゲームの中で、ものすごいパワーを持っているとしましょう。
        ゲームプレイはさることながら、伝説の武器とか防具とか、おっきなプレイヤー組織を運営しているとか・・・。

        なるほどそれはそれですごいことです。別にそれはそれでいいんです。

        でも、例えばゲームの運営者が、ゲームバランスを壊すような新しい武器とかを作ったらどうなるでしょう?いや、ゲームデータの入ったサーバーが吹っ飛んでしまったら?あなたのアカウントを停止してしまったら?

        ゲーム内で強い事なんて何の意味もありません。

        ・・・もしあなたがゲーム内のボスを倒さねばならないとします。

        さて始まりの街から仲間をそろえて長い冒険をして、そしてやっとボスのところに至ります。ゲームをプレイするとはそういうことです。

        でも、ゲームを作る側だったらどうでしょう?ボスの存在なんてワンクリックで吹き飛ばせます。ボスの目の前に最強のキャラをいきなり出すことも出来るし、ボスのHPを1にすることもできます。ゲーム内のことなど、管理者からすると指先一つのことです。プレイヤーが何十時間かけることも一瞬です。

        これを現実世界に置き換えると。

        あなたの子供がいじめられているとします。あなたはPTAに相談し、児童相談所に相談し、先生に相談しました。正規の手続きです。でも時間が掛かります。子供はいじめを苦に自殺してしまうかもしれません。あるいは今日、すぐ対応しなかったせいで一生の心の傷をおってしまうかもしれません。社会的には”正しい”判断をあなたはしました。でも、本当にそれは正しい判断でしょうか?体裁や常識、そういったものに則ったあなたは、それより大事なものを壊してしまいました。社会というゲームをプレイするとそうなります。

        もし、あなたの子供がいじめられているとします。毎日暗い顔で学校に行き、夜中部屋で泣いているのにあなたは気がつきました。あなたはまず、子供を学校に行かせるのをやめさせました。そしてすぐに転校の手続きと自分で話を聞くほかカウンセラーについても調べます。まず、子供を無理矢理学校に行かせるのをやめさせました。

        もしかしたらうるさい小姑が学校に行かせないなんて、とか、学校の先生が来ないと進級に響きますよ、なんて言ってくるかもしれません。でも、何ほどのものがあるでしょう。あなたの子供の心の健康と、社会の常識というもの、どちらが優先されるかなんて自明の理です。

        目的の前に手段を選ぶ必要はありません。その目的が本当に大事なものであればあるほど、ゲームでプレイしていたら守れなくなります。

        ゲームの中でプレイすることは楽です。

        あなたは村人Aなり、魔法使いBなり、商人Cなり、もう役割が決まっています。ある状況の中でその役割が果たせる役割は自動で決まっているのです。楽です。

        でも、ゲームをプレイする限り、やはり押し流されていくだけなのです。

        ゲームをつくる力は陳腐化しない

        皆さんは目の前の仕事があると思います。実務は竜巻のようです。毎日が瞬く間に過ぎていきます。あなたはコンサルタント、行政書士として着実に経験値をため、レベルアップしてることでしょう。それ自体は素晴らしいことです。

        ですが、市場は変わります。もし行政書士の仕事がAIにとられてしまったら?弁護士事務所が本腰を入れてきたら?日本の許認可制度そのものが大きく変わってしまったら?

        知識や技術は必ず陳腐化します。ゲーム内でいくら強くても、半年後にはもう取り残されています。でもゲームを作る技術は決して陳腐化することはありません。

        人を動かす力、物事を改善する力、プロジェクトをマネジメントする力、経営判断する力、企画を立案実行する力、タイムマネジメント力、マーケティング能力、PDCA、仮説検証能力。。。

        仕事が機械に代替されようと、人を動かす術が代替されることはそうありません。

        ゲームをいかにプレイするかは、機械に出来ても、ゲームを作る力はまた次元の違う話です。

        あなたの仕事はなんだろうか

        自分の仕事をしていても、そこにレバレッジは掛かりません。1×1です。

        どんなにゲーム内でレベルを上げても1×1、10×1、100×1です。それはなぜか?ゲームのプレイヤーはあくまでゲーム内のお客様。ゲームの本当の主人公じゃないからです。プロレタリアートとブルジョアで言えば、前者です。使われる者は、使う者の経費から捻出される費用しか配分されません。利益はいつも使う者の懐に収まります。

        あなたのゲームプレイは当然、運営会社の懐に収まるだけです。

        ですが、あなたがゲームを作り出すと、あなたの仕事にはがんがんとレバレッジが効いてきます。

        雇われ社長と創業社長では、全く手に入る金額が違います。一部上場企業の代表取締役でも年収は5000~1億程度でしょう。ですが、創業者として株式の10%を持って1部上場すれば、3000億円の資産になります(2018年度東証1部上場企業平均時価総額より)。

        あなたはゲームをプレイする以上、評価が気になるでしょう。多くの場合評価とは給与と相関関係にあるからです。ですが、評価を作る側、あるいは評価する側になったらどうでしょう?自分の評価が出るようにも出来るし、そもそも評価なんて気になるでしょうか?

        給与にしても、職務分掌にしても、転勤転属にしても同じ事です。

        あなたがゲームを作る人間になったなら、ゲーム内のことなど全て些細な事なのです。

        そして自分の市場価値を考えたときに、そうしたゲームを作ってきた経験はレバレッジとしてあなの価値に掛け合わされてきます。

        なぜって?今の仕事の技術や知識は、今の職場でメインで生きるもので、外に出たらマイナスさえもあり得ますが、ゲームを作る力はどの世界のどの職場に行っても役に立つからです。与えられたゲーム内のプレイ知識はそのゲーム内でしか使えませんが、よりよいゲームを作る力は、どのゲームにでも応用可能なのです。

        SG代表の願い

        ゲームを作る・・・そんな言い方を代表はしませんが、しかしこう漏らしていたことがあります。

        様々な決裁や判断の権利をスタッフに委譲している。それはひとえに自分で決めて判断することが出来る、そういうメッセージなのだ。そういうことが出来るリーダーに皆がなっていって欲しい。

        あなたはゲームをプレイするプレイヤーですか?それともゲームを作るゲームクリエイター、ゲームチェンジャーですか?

        様々な問題、不満、理不尽に対して、それを単に不満ととるのか、じゃあ俺が変えてやる、俺の責任で良くしてやる、どちらを思いますか?

        ゲームをプレイするな、ゲームを作れ。

        枠を外して考えれば常に最善手が見つかります。

        ゲームを作る人が生まれる組織。SGをそういう組織にしていきたいものです。

        You can pretty much prove anything(どんなことだって大概ロジックで証明できる)

        最近、中山さんってすごいロジカルですね、と。
        若干含みもありつつ言われることも多くなりました。

        先日就活生からインタビューを受けたときに、非常にロジカルでコンサルになるべくしてなったなんて書かれて、うーんと思ったものです。確かにビジネスの基礎としてロジックを使いこなせるようになりたいとここ数年やってきたので、その成果は出ているのだと自分でも思います。

        確かに物事を考える際に、MECEとロジックツリーで考える癖がつき、いくつかのフレームワークを使いこなせるようになりました。

        ロジカルな思考は、自分を年上に見せる効果もありますし、ビジネス界の中のしっかりしたプレイヤーであると相手に見せる効果もあります。(この前、部長ですか?とか聞かれて苦笑いしました)

        またロジカルに考えることで、話を聞くときに相手にバリューを提供できるようになります。偉い人や自分より優れた人の話を聞くときに、ただうんうんと聞くだけでなく、相手の話をサマライズして整理したり、話の整合性や足らない部分を補うことが出来るようになりました。そうすることで通常はただ与えられるだけの時間から、相手に話すことで整理できるというバリューを提供できるようになります。与えて頂くモノに対して些細なモノですが。

        ロジカルシンキングも概ね出来るようになり、まぁ、それは良いとして。

        やっぱりロジックは役に立たんな、と。

        ロジカルクソ野郎は使えないとは言いますが、ロジックはあくまで道具。ロジックで何かを証明したり、ロジックで相手を説得しようと思ったり、ロジックで何か提案を通そうと思ったり、それは全部無駄なことだと思います。

        実際のところ、
        You can pretty much prove anything(どんなことだって大概ロジックで証明できる)
        というところ。

        ロジックは何でも証明できます。決断の選択肢の両方をそれらしく説明することが出来るのです。極端に言えば「人を殺して良い」ということさえ、ロジックを使えば証明できます。私の案が素晴らしいです!といかにロジックを使って言ってもしかたありません。だって、別の案だってロジックを使えば、それと同じぐらい正しいと証明することが出来るのですから。

        こんな極端なことじゃなくても、我々は人に指導するときなどにたやすくロジックに頼ります。これこれこういった合理的な理由があるから、こうするよね。なんでしないの?みたいな。

        しかしロジックの精度をいくら高めて、いくら正しく合理的な理由をつけてみたところで、人を動かすことなど出来ません。

        なぜって。ロジックは道具であって、何だって証明できるつまらないモノだからです。

        人を動かしたり、信頼を獲得したり、誰かの背を押そうと思ったり、面倒だけど必ず効果のあることを人にやってもらおうとするときに。ロジックは何の役にも立ちません。

        以前のブログでロジカルシンキングについて書いていますが、ロジカルシンキングは必要なものだというのは事実ですが、しかし本当の意味では役に立たないのは事実です。

        ロジックはあくまで自分の熱意や気持ちを形にする手段でしかなく、結局大事なのは気持ちです。ロジックを使いこなせるようになり、なおさらそう思います。

        実を言うと私はロジカルタイプではなく、おもいっきり直観タイプです。だからロジカルですね(冷徹なロジカルやろうですね)と言われると、どうにも違和感を覚えます。自分はロジックなんて嫌いで、後から必死こいて学んだと言っても誰も信じてくれません。
        私はロジックに頼る人間が心の底から嫌いなのですが。そういう人間に周りから見えているのだなと思うと、未熟を痛感します。

        いろいろ説明する為にロジックを後からゲットしましたが、結局、ロジックだけでは何の意味もありません。

        今後5年の歩みは、ロジックを使いつつ、ロジックではどうにもならない部分をやっていきたいなと思っています。

        第一回SG杯開催!!栄えある優勝者は・・・!?

        2019年4月12日金曜日。
        30年続いた平成の終わりまであと2週間。
        呑兵衛とメイドが溢れる金曜夜の秋葉原の一角で、ひっそりと、しかし大々的にそのイベントは始まった・・・。

        第一回SG杯争奪麻雀大会!!!

        前日から社内メールを飛び交うルールに関するやりとり…
        別オフィスでなぜか生まれたテニス同好会…

        そしてツッコむ24才女性社員…

        明日運動会でそわそわする少年か!

        そんな第一回SG杯争奪戦の結果は…

        優勝:三瓶さん
        Champion_sanbe

         

         

         

         

         

        才能賞:塚本さん
        talent

         

         

         

         

         

        令和賞:木戸さん
        reiwa!!

         

         

         

         

         

        <<参加の皆様>>

        all_of_participants

        お疲れ様でした!