橋本 真希

中興鑑言

後醍醐天皇が鎌倉の北条氏から政権を奪還し、天皇による親政を目指した「建武の新政(建武中興)」は短期間で終わり、天皇は都を追われ吉野へ逃れることになりました。
 
この一連の出来事について、江戸時代中期の儒学者・三宅観瀾が『中興鑑言』という書物を著しています。
水戸藩に仕える学者だった観瀾は、建武の新政の成功と失敗を分析したうえで、君主が国家を統治する上での心得や、後醍醐天皇の御政を他山の石として戒めとするを目的としてこの書を著したものと思われます。
 
この書物は、単なる歴史書にとどまらず、現代を生きる私たちにとっても学びとなる内容が含まれています。

観瀾によると、後醍醐天皇が天下回復を目指しながらも失敗に終わった原因は「行動」「資質」「考え方」にあったとしています。

昇平の久しき、生れながら帝王たる者、億兆の上に坐し、宮帷の中に長し、亢して降らず、日に逸楽に就く。政を為せば例に比し、材を用ふれば品流にす。倭歌伶楽、以て俗を化するの具となし、賽神佞仏、寵僧崇巫、以て永命を祈るの資となす。夫の軍国機枢の務と、征行暴露の労に至りては、挙げて之を賤しき有司なる者に委ねて、不問に置き賜ふ。天の君を立つるは、将に以て斯の民を愛せしめんとし、而して民の我れを戴くは、亦皆前王遺徳の致す所たるを知り給はず、乃ち昂然としておもへらく

実際にはいくつもの具体例が挙げられていますが、今回は「公私の区別」「過度の贅沢を慎む」の2点についてご紹介したいと思います。
 
建武の新政では、公私の区別と各種の処置が問題視されました。
私的な感情や特定の関係者への不公平な優遇が、公的な政治判断に影響し、公平な統治を妨げたのです。
また、政治全体を適切に管理する「総覧の方法」も不十分であったとされています。
このことは現代の私たちにとっても、公私の切り分けを適切に行う重要性を示唆しています。
公的な役割においては、個人的な感情や特定の人間関係に囚われず、公平な視点で物事を判断し、全体を見渡す客観性を持つことが求められます。
 
また、天下回復における「経済」への配慮不足、特に、民衆の生活や国家の財政への配慮が足りないだけでなく、私的な欲求や贅沢への支出を優先してしまったことも失敗の一因とされています。
現代を生きる私たちにとっても、家計管理や節度ある生活はもちろん大切ですが、行き過ぎた贅沢は、精神の規律を緩め、悪い習慣を根付かせ、結果として人間としての品格をも蝕む恐れがあることを忘れてはなりません。

建武の新政の失敗は、リーダーシップの在り方だけでなく、公私のけじめ、そして経済的な感覚といった、時代を超えて共通するテーマを私たちに教えてくれます。
歴史の教訓を理解し、それを現代の自分たちの生活や社会にどう活かすかを考えることで、より良い未来を築いていけるはずです。

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