投稿者: shigyo_user

チェコ旅行

前回の「トルコ旅行」に続いて、「チェコ旅行」を書きます。


〇チェコのアウトライン



・正式名称: チェコ共和国
・面積: 約7.8万平方キロメートル(日本の約1/5)・人口: 約1,050万人(2021年推定)
・首都: プラハ
・民族: チェコ人(約90%)、その他(約10%)
・言語: チェコ語
・通貨: チェココルナ
・宗教: 無信仰(68.3%)、 ローマカトリック(10%)等・政治: 共和制。現在の大統領はペトル・パベル。
・GDP: 約3,200億USドル(クロアチアの3倍、ギリシャと同程度、日本の1/15)


◯翻弄された美しい国

ヨーロッパ大陸の中央に位置するチェコは、美しい国だ。

特に首都プラハはその象徴と言える。
荘厳なゴシック様式のティーン教会、重厚なロマネスク様式の聖イジー聖堂、
調和の取れたルネサンス様式のシュヴァルツェンベルク宮殿、
華麗なバロック様式の聖ミクラーシュ教会だけでなく、
街中にある普通の住宅や店舗の建物にもそれらの建築様式が静かに息づいており、
異なる時代の建築様式が折り重なるように街並みを彩っている。

滞在三日目には、街を歩いている時にその様式の違いが感じ取れるようになってきた。
石壁の風合い、尖塔の鋭さ、曲線の優美さ。それらはまさに歴史の流れそのものを物語っている。

だが、このように美しい街に暮らすチェコの人々の多くは、宗教をあまり信じていないという。
人口の60%が無宗教を自認しており(チェコ共和国統計局、2021年調査)、
カトリックかプロテスタントの割合が多いヨーロッパ諸国の中では異例なほどである。

その理由は、チェコという国が辿った激動の歴史にある。

15世紀のフス戦争では、フス派(プロテスタント)とカトリック派が激しく争い、
多くの命が失われ、街は荒廃した。
さらに17世紀には、宗教と領土を巡る三十年戦争がヨーロッパ全土を巻き込み、
ボヘミア(現在のチェコ)は特に深刻な被害を受けた。
この戦争でも再び街は破壊され、多くの人々が命を落とした。
さらに20世紀には共産主義革命が起き、社会体制は根底から揺さぶられ、
その後再び資本主義へと転換することとなった。

何度も思想や宗教、社会制度に翻弄された歴史を持つチェコの人々にとって、
宗教やイデオロギーから距離を置くことは自然な選択だったのかもしれない。

プラハの美しい街並みを眺めていると、その背後にある複雑で時に悲しい歴史を思わずにはいられない。
鮮やかな景観の裏に隠されたチェコの歴史の重みを感じるのである。


〇カレル橋とザビエル


歴史の授業で学んだフランシスコ・ザビエルを覚えているだろうか。

フランシスコ・ザビエルは、16世紀の日本でキリスト教(カトリック)の布教を行ったスペイン人の宣教師だ。
教科書で習った多くの歴史上の人物はやがて忘れられてしまうが、
なぜかザビエルだけは多くの人の記憶に残っている。

そのザビエルの彫像を、意外にもプラハのカレル橋の上で見つけた。

カレル橋はヴルタヴァ川に架かる石橋で、プラハの旧市街と小地区を結んでいる。
橋の長さは約520メートル、幅は約10メートルあり、15世紀初頭に完成した当時としては
非常に規模の大きな橋だった。
欄干には時代を経て加えられた合計30体の聖人像が並び、
その美しさからヨーロッパで最も魅力的な橋の一つとされている。

ザビエルの生涯は波乱に満ちている。

彼は16世紀初頭にスペイン王国に併合されたナバラ王国(現在のスペイン北部)の貴族の家に生まれた。
しかし、併合に伴う戦乱によって家族は離散。兄たちは抵抗運動に参加して失敗し、一族は没落した。
ザビエル自身も母や姉と共にナバラに留まり、戦乱の影響を強く受け、苦難に満ちた少年時代を過ごした。

その後、パリ大学に進学したザビエルは、学友イグナチオ・デ・ロヨラとともに聖職者を志し、
イエズス会(宗教改革に対抗して世界各地で宣教や教育活動を行った修道会)を創設する。

当時のヨーロッパは宗教改革が進み、それまで権威を誇っていたカトリック教会の影響力が揺らいでいた。
この状況は、現代において国内市場のシェア低下に直面した大企業が、海外市場への進出を図るのに似ている。
カトリック教会も同様に、世界各地への宣教活動を強化したのだった。

ザビエルは1541年にインドで布教を開始し、1549年に日本の鹿児島へと上陸。
当時の日本では2年ほどで数百人から1000人ほどが改宗したと伝えられる。
彼は日本布教を深めるべく中国での布教も目指したが、許可が下りないまま、
1552年に中国南部の沖合で病に倒れ、46歳の若さで世を去った。

激動と苦難に満ちた少年期を過ごし、学問と信仰に青春を捧げ、
東洋での布教活動に壮年期を費やしたザビエルは、
1622年にローマ教皇グレゴリウス15世によって聖人の列に加えられ、
現在もカレル橋の欄干に彫像が残っている。


〇プラハの天文時計と常識の移り変わり

写真はプラハの旧市庁舎に設置された「プラハの天文時計」だ。

15世紀に建造されたこの天文時計は、稼働するものでは世界最古と言われている。
時計右上の骸骨(死神)像が鐘を鳴らすと、
二つの小窓が開いてイエス・キリストの12使徒の人形が順に現れる。
この仕掛けが毎時間行われるため、周囲には常に観光客がカメラやスマホを手に待ち構えていた。

しかし、この美しい天文時計には現代の科学的常識とは異なる驚きの仕掛けがある。
時計盤の中心には地球が置かれ、その周りを太陽と月が回っているのだ。

これは、15世紀当時主流だった「天動説」を基に設計されている。
天動説とは、「地球が宇宙の中心にあり、天体が地球の周りを回っている」という説だ。
現代人にとっては非科学的で滑稽な考え方に映るかもしれないが、
当時の人々にはこれこそが疑う余地のない真理だった。
天動説は単なる学説ではなく、教会の権威や社会全体の信仰と深く結びつき、
人々の暮らしや価値観を形成していたのだ。

天文時計を見ていると、私たちが普段何気なく信じている「常識」が、
時代によっていかに大きく変わるかを改めて考えさせられる。

ところで、「常識の変化」は過去だけの話だろうか。
実は私たちが当たり前と感じている現代の価値観も、
未来の人々から見ると奇妙で不合理に見える可能性がある。

例えば、ヨーロッパの観光都市では馬車が観光客向けに運行されていることが多い。
プラハの旧市街でも、美しい街並みを馬車に揺られて楽しむ観光客の姿を見ることができる。
しかし近年、動物福祉の観点から馬車利用の廃止を求める動きがヨーロッパ各地で広がりつつある。
バルセロナなどでは既に動物虐待に当たるとして馬車観光が禁止され、
電気自動車などへの切り替えが進んでいる。

将来、馬車観光が完全に過去のものとなった時、未来の人々はこう振り返るかもしれない。
「かつては動物を酷使してまで観光を楽しんでいたとは、なんと野蛮な時代だったのだろう」と。

歴史の中で常識は繰り返し変化し、現在の私たちも例外ではない。
Netflixで配信中のアニメ『チ。-地球の運動について-』では、天動説が常識だった時代に、
命の危険を冒してまで地動説の真理を追い求めた人々の葛藤が鮮やかに描かれている。
この作品を通して、プラハの美しい天文時計の背後にある複雑でドラマティックな歴史を、
さらに深く味わうことができるだろう。

〇チェコ料理


チェコ料理で有名なのは肉料理、特に豚肉を使った料理である。

写真は豚の膝肉を骨付きで焼いたものだ。とても美味しかった。
しかし、そのボリュームにより一人では注文してはいけないと言われている。

私も全部食べることはできなかった。

そして、チェコはビールが安くて美味しい。
ビールの消費量は世界で最も高い国の一つとされている。

〇オペラ

生まれて初めてオペラを鑑賞した。

写真は劇場となったプラハ国立歌劇場である。この劇場は息を呑むほどに美しい。
プラハはオペラが盛んであり、チケットの価格は日本より遥かに安い。
今回のボックス席は1人4000円だったが、日本ではその倍程度の価格になる。

当日の演目は「オテロ」で、シェイクスピアの四大悲劇「オセロー」を元に、
イタリア人作曲家のヴェルディが作曲したものだ。
舞台上のディスプレイに英語字幕が表示されるものの、
演目はイタリア語で歌われるため理解が難しい部分もあるのだが、
舞台上の演者の歌唱、振る舞い、エネルギーは直感的に「凄い」と感じたし、ラストシーンには感動した。

ちなみに、旅の計画にオペラ鑑賞の予定はなかった。

しかし、プラハのレストランで話しかけてくれたスウェーデン人老夫婦の観光客から、
「プラハにはオペラを観にきた」と聞いたことがきっかけで行くことになった。

旅の思い出の多くは、予定になかったことである。

20代前半でバックパッカーとしてアジアを旅した時、
マレーシアの空港でぼったくりをしようとしてきたタクシー運転手に
「いや、お前ぼったくりだろ」と突っ込んだことから妙に仲良くなったことがある。
その時に彼から勧められて、急遽向かったのがインドネシアのバリ島だった。

それからバリ島は私の好きな場所の一つになり、その10年後にも訪れている。

旅の思い出は偶然だ。

コンサルタントへのステップアップ

東(アズマ)です。
 
弊社のHPの「スタッフ紹介欄」では、
各スタッフの氏名とあわせて、その役職が記載されています。
 
弊社は行政書士法人ですので、
「行政書士か/その補助者か」という区分もあるのですが、
もう1つ、「コンサルタント」に関する役職があります。
 
このような役職が設けられているのは、
弊社が目指しているのが、行政書士事務所としての、単なる「手続きのプロ集団」ではなく、
手続きの外も含めた、様々な「課題解決(コンサルタント)のプロ集団」であるからです。
 
顧客にとって、行政手続きにより許認可やビザ・補助金等の取得をすることはゴールではなく、
これを通して実現したいことこそがゴールです。
このゴールにたどり着くため・課題を解決するため、
弊社では「コンサルタント」としての能力が重視されています。
 
コンサルタントとしての能力に応じて、
入社時(役職無し)から「コンサルタント」に、
「コンサルタント」から「主任コンサルタント」にステップアップしていく、というのが
(現時点の)弊社の役職制度となっています。
 
私は新卒で入社して3年目なのですが、
この11月から、晴れて「コンサルタント」にステップアップしました。
 
3年というスピード感で、
プロのコンサルタントとして求められる能力が一定程度身に付いたものとして
社内で評価されたことは、とても喜ばしいです。
 
このスピード感で成長出来る弊社の環境を、
今後も維持し・またより発展させていけるよう、
私も一社員として貢献していきます。
 
また、コンサルタントという役職自体は、目的ではなく、
一つの結果・指標にすぎません。
 
これまで培ってきた能力・これから培っていく能力を総動員して、
これからご依頼いただくお客様にも、よりご満足いただけるような
課題解決を提供していきます。
 
ゴールではありませんが、一つの節目であるとは思い、
このブログをアップしました。
節目節目、次の目標を意識しながら、引き続き頑張ります。
 
弊社と接点のある方、また私と接点のある方、
引き続きよろしくお願いします。
 
まだ接点のない初めましての方、
これから出会うときにより成長した私になっておくので、
よろしくお願いします。

近代日本におけるモダニズムの展開と「豊かさ」について

最近、これまで身近に感じることが少なかった日本の近代建築やモダニズムについて触れる機会がありました。

 

近代日本におけるモダニズムの動きは、19世紀末から20世紀初頭(昭和後期までと定義するものもありますが、今回は昭和前期までを対象とします)にかけて西洋からの影響を受けて発展したもので、それまでの伝統的な建築様式から脱却し、機能性と合理性を重視した新しいデザインの流れを生み出しました。
この時代、多くの建築家が新しい技術と素材を駆使し、社会の変革に対応した空間づくりに挑戦しました。
特に、鉄筋コンクリートやガラスといった新しい素材を用いることで、軽快で開放的なデザインが可能になり、都市の景観や人々の生活にも大きな影響を与えました。
近代建築は、単なる目新しい建物としてだけでなく、時代の象徴として成長してきた側面があります。

日本における近代建築の発展はモダニズムの動きと強く結びついており、見た目で分かるような建物の意匠の変化だけでなく、都市計画や芸術、文化、消費者行動に至るまで大きな影響を及ぼしました。
モダニズムの性格の一つとして、機能性と美の調和を追求し、無駄を省きながらも新しい技術やアイデアを取り入れることを重視する側面があるように思われます。
 
特に今、個人的に興味をもっているのが当時「大大阪」の名を国内外に轟かせていた大阪において発展したモダニズムの動きです。
当時(20世紀前半)の大阪は、市域ベースの人口で東京市を抜いて日本一、世界でも第6位の規模の大都市となっていましたが、同時に近代日本のモダニズムの動きを象徴する都市としても君臨していたようです。
梅田の大阪中央郵便局や中之島の大阪市庁舎など、都心を中心に多くの近代的な建築が建てられるとともに、都市計画全体にもモダニズムの考え方が反映されていました。
また、住友ビルや大阪倶楽部などの商業施設や社交クラブも、急速に流入する西洋文化の影響を受けながら日本独自の文化と融合したスタイルを取り入れていました。
鉄筋コンクリートという新しい建材の使用により、高層化が可能になった点も特徴です。
大阪府立中之島図書館は、古典主義のデザインを取り入れつつ、近代的な材料と技術を駆使した新旧融合の象徴でした。
 
  

モダニズムの動きは建築だけでなく、消費財にも影響を与えました。
大正時代は、日本におけるモダニズムが最も花開いた時期で、都市化と経済発展に伴い、都市部を中心に初期の大衆消費社会が形成されはじめ、企業は新たな消費者層をターゲットに広告を活発化させました。
雑誌広告やポスターにもモダンなデザインやキャッチコピーが使われ、例えば寿屋(現・サントリー)の「赤玉ポートワイン」のポスターが話題を呼びました。
 
この頃には、大戦景気で急成長する日本の民間消費に目を付けた欧米企業の日本進出も本格化していました。
新しい技術を取り入れた電化製品や自動車等の製品が登場し、生活をより便利にするとともに、「モダンなライフスタイル」の象徴ともなり、生活様式を変えていきました。
デザイン面も、アール・ヌーヴォーやアール・デコなどの西洋の美術様式が取り入れられ、商品パッケージや広告のデザイン要素として反映されたほか、製品のデザイン性が重視され、目新しさやハイセンスな感覚を武器に消費者の購買意欲を高めていきました。
 
  

こうした新しい建築や都市計画の中で、伝統的な町並みや風景が失われていく側面もありました。

新しいスタイルや生活習慣を取り入れることには、光と影が伴っていたように思います。
方々で言われていることですが、旧来の伝統的な価値観を未開的なものであると断じて積極的に破壊しようとする動きもあり、近代化の過程で多くの大切な文化や生活慣習が失われていきました。
 
 

明治以降、都市景観や建築において失われた要素として、例えば地域独自の風景や歴史的建物が挙げられます。
廃城や廃仏毀釈により多くの城郭や寺院が取り壊されたほか、木造建築や伝統的な技法が新しい建材や工法に取って代わり、技術的な多様性が失われ始める契機にもなりました。
効率性を追求する中で、歴史的な価値や文化的な豊かさが犠牲にされてきた側面があることは否めません。
 
一方、こうした失われたものを回復しようとする動きも少なくありませんでした。
建築に関しては、大正から昭和初期にかけて、伝統建築の価値が再認識され、京都や奈良を中心に修復や復元の活動が行われました。
古建築の修復には地元の職人たちの技術が活かされ、失われつつあった伝統技法が再評価されました。
この動きは、地域の文化的アイデンティティを守るための試みの先駆けといえるものであり、西洋的価値観を絶対善としていたようにも思われる明治・大正期の日本においても文化遺産を保護しようとする動きが一定の共感をもって受け入れられていたを示しているように思われます。
 
また、柳宗悦を中心に始まった民藝運動も代表的な取り組みの一つです。
民藝運動は、生活様式の変化(大量生産・大量消費社会への移り変わり)によって失われつつあった数多くの無名の民芸品の価値を見直し、それを復活させようとした運動で、各地でごく普通の生活を営んでいる数多の無名の作り手達が生み出す日用品に改めて美を見出し、近代化の波に飲み込まれないように、それらの技術と精神を保存しようとしました。

 

民芸品や工芸品のような手仕事の品々には、同じものを再び作ることはほぼ不可能という「一回性」が際立っています。
その唯一無二の存在感を認識するにつけ、まるで生き物のように強い魅力を放っているように感じることがあります。
これらの品々は、制作される過程だけでなく、日々使われることで命が吹き込まれ、生活に溶け込んでいくものでもあります。
それに対して、大量生産された「モノ」たちはどうでしょう。
その多くが使い捨てを前提としているため、「生活に根ざす存在」とは言い難く、機能的に使いやすいと感じることはあっても、愛着を持ったり大切にしようという感覚にはなりづらいように思います。
建物についても、前例をもとに精緻に合理的に設計していくことで、一定の手順を踏めば機能面でもデザイン面でも高品質な建物を建築することができるようになった一方、その再現性の高さ故に個性や人間味は失われているように思います。
 
また、普段の生活の中で、人間がモノを使うというより、むしろモノに使われているのではないかと感じることもよくあります。
それはモノだけでなく、サービスについても同じことが言えます。
現代の都市もどこか無機質で、人々は都市の一部としてただ存在している(半ば機械的に動かされている)、そんな受動的な印象を受けます。
最近は再開発等も盛んで、そこを利用する人々にとって快適な空間づくりに重きを置くようになった風潮もありまっすが、現代の都市空間はそれでもまだ効率と機能性を担保することが前提にあり、それはもちろん重要なことではありますが、多くの場合冷たく無機質なイメージが拭いきれないように感じられます。
 
 

自分の感覚でモノに触れ、それを使い、生活に馴染ませるという感覚は、大量生産品ではなかなか得られませんが、こういった感覚こそが、生活や精神性の「豊かさ」を取り戻すための大切な要素の一つだと思います。
民芸や工芸的なものは、使い手の存在によってその輝きを増し、人間側もまた主体的でいられる関係を築くための媒体として、その手がかりになり得るものだと最近感じています。
これらの品々は、使い込むほどに手に馴染み、時間とともにその価値が増していきます。

同様に、建物にもまた、自然素材を生かした建物や設計から関わった建物には、画一的な設計や大量生産の建物では得られない感覚があるのかもしれません(個人的にはそういった建物に住んだ経験がないので実感を伴って言うことはできませんが)。
そうでなくても、自分の感覚で触れ、住み、生活に馴染ませることで、その真価が発揮されるのではないかと思います。建物も、単なる滞在する場所としてではなく、暮らしや地域と共に成長し、その価値が時間と共に増していく性質は変わらないと思います。
 
 

モダニズムの時代は、「人間が主体だった時代」と「モノが主体の現代」の境界に位置しているのかもしれません。
「人間が主体だった時代」については、もはや現代とかけ離れていて、正直なところ感覚的に理解できる自信がありませんが、明治から戦前あたりの移行期は、それよりはまだ身近なものとして感じることができるように思います。
戦前の建築やデザインには合理性と美が同居していて、機能性を追求しながらも、まだ人々の生活に寄り添うような性格があったように感じられます。
だからこそ、モダニズムの時代の建築や生活様式に対して、個人的に何か惹かれるものを感じるのかもしれません。
近代のモダニズムとじっくりと向き合い、その背後にある物語を考えることで、失われた何かを取り戻し、物質的な面以外でも豊かな生活を築くことの大切さを再認識できるのではないでしょうか。
 
 

効率性や経済性が重視される中で、モノに触れて、それを生活の中で大切に使うことが、豊かな時間を過ごす一助となります。
また、ただ一つだけの民芸品や工芸品に込められた職人たちの思いや技術、それを使う人々によって命が吹き込まれる瞬間というのも、私たちの生活をより豊かで意味のあるものにしてくれます。
こうしたモノたちとの関係性は、現代の大量生産品では味わえないものです。
大量生産されたモノや建物は厳密に規格化されており、個別の物語が欠如しています。
使い捨てを前提としたモノに、私たちが心を寄せることは難しく、それはただの道具でしかなくなってしまいます。
一方で、手仕事から生まれるモノは、その背後にある作り手の物語や、制作の過程で培われた技術と経験が感じられます。
それらのモノを使うことで、私たちは作り手との間にも見えないつながりも再確認することができるのではないかと思います。

成長を楽しむ:日々の小さな挑戦が広げる新たな自分

 成長とは、何か大きな計画を達成することだけでなく、日常の小さな挑戦や興味が積み重なることで実感できるものです。ふとした興味や好奇心から始まる行動が、新たな知識やスキルを身につけるきっかけとなり、結果として自己成長に繋がっていきます。たとえば、星占いについてもっと学びたいと思ったり、新しい趣味やスキルに挑戦したりすることも、成長の大切な一歩です。こうした小さな挑戦が積み重なることで、いつの間にか自分の視野や可能性が広がり、新しい自分を発見することができます。

 一方で、新しいことに挑戦する際には、少なからず不安や戸惑いも感じるものです。特に、未知の分野に足を踏み入れるときには、初めてのことが多く、途中で「やっぱり無理かもしれない」と感じる場面もあるでしょう。しかし、不安や戸惑いを乗り越えたときに得られる達成感や喜びは特別なものです。この達成感が、次の挑戦への自信とモチベーションを引き出し、「もっとやってみよう」という前向きな気持ちを育ててくれます。こうした積み重ねが、自己成長を持続させるエネルギーとなります。

 また、成長の過程で他者からのフィードバックや共感も大きな役割を果たします。たとえば、星占いの知識で周りの人にアドバイスをして喜ばれたり、新しいスキルが評価されたりすると、「自分の成長が誰かにとって役立っている」と感じられるものです。他者からの肯定的な反応は、成長への喜びをさらに強化し、次の挑戦へと背中を押してくれる大切な要素です。このようにして、成長が他者とのつながりの中で認識されることで、より深い自己肯定感が生まれ、自己の価値をさらに実感できるようになります。

 私たちのコンサルティング会社では、こうした日々の小さな成長が積み重なり、最終的に大きな成果につながるよう、クライアントの皆さまをサポートしています。日常の小さな挑戦や興味が自己成長の出発点となり、充実した未来へと繋がるよう、私たちのアドバイスやフィードバックを通じて、皆さまが目標達成へと導かれるようサポートすることが私たちの使命です。成長は、特別なことではなく、日々の中の小さな喜びや達成感からも生まれるもの。私たちはそのプロセスに寄り添い、価値ある未来への挑戦を後押ししていきたいと考えています。

トルコ旅行

先日、トルコとチェコに旅行してきました。

トルコとチェコは互いに大きく異なる文化圏です。
建物、食事、街や人の雰囲気等が違って面白く、とても良い旅になりました。
移動距離は旅の重要な要素だと思います。
せっかくなので、まずトルコ旅行の報告をします。プラハ旅行の報告は後ほど。

〇トルコのアウトライン


・正式名称:トルコ共和国
・面積:約 78 万平方キロメートル(日本の約 2 倍)
・人口: 約 8,500 万人(2022 年統計)
・首都: アンカラ
・民族: トルコ人(約 75%)、クルド人(約 20%)
・言語: トルコ語
・通貨: トルコリラ
・宗教: イスラム教(約 99%)
・政治: 共和制、現大統領はレジェップ・タイイップ・エルドアン
・GDP: 約 1 兆 1,000 億 US ドル(タイの 2 倍、オランダと同程度、日本の 4 分の一)


〇古都イスタンブール

トルコ滞在の三日間はイスタンブールで過ごした。
写真の左手奥はアヤソフィアモスクである。
元々は 6 世紀に建造された大聖堂でギリシア正教の総本山だったが、
15 世紀にこの地を征服したオスマントルコ帝国によってモスクに改修された成り立ちをもつ。
真ん中奥は 17 世紀初頭に建設され世界で最も美しいモスクと評される
スルタンアフメトモスク(通称ブルーモスク)だ。
朝日が差し込む中、歴史ある二つのモスクの脇を路面電車が走る光景は、なんとも美しかった。

イスタンブールは人口 1,500 万人を擁するトルコ最大の都市であり、
ローマ帝国時代後期からアジアとヨーロッパを結ぶ通商の重要拠点として栄えていた。
2018 年開港のイスタンブール国際空港は 7,650 ヘクタールの敷地面積を持つ世界屈指のハブ空港
(成田空港の 7 倍以上)で、単一ターミナルは世界最大級の大きさを誇る。
今回、帰国時にトランスファーをしたイスタンブール国際空港では 7 時間の待ち時間があったのだが、
空港内は A から F の7 つの環状型のエリアに分かれ、一周散策するのに相当な時間がかかったのを覚えている。
各エリアの構造は似通っており、2 軒目のスターバックスを見て同じエリアに戻ってきたかと錯覚するほどだった。

また、イスタンブールは 1,600 年間も首都として存在し続けた世界有数の歴史を持つ都市である。
330 年にコンスタンティノープルとしてローマ帝国の首都となり、
その後は東マ帝国の首都として約 1,000 年間機能する。
1453 年のオスマントルコ帝国によるコンスタンティノープル征服後はイスタンブールと改称され、
オスマントルコ帝国が崩壊する 1923年まで首都であり続けた。
都として栄えた都市の期間で比較すると、パリ(約 1,500 年)、京都(約 1,100 年)、
北京(1,000 年以上)、ロンドン(約 1,000 年)、カイロ(約 1,000 年間)より⾧いということになる。
もちろん、東京(約 400 年)より遥かに⾧い。


〇猫の街

イスタンブールは猫の街と言われている。

写真は、朝の散歩中スルタンアフメット・モスクのゲート前で撮った。
イスタンブールでは地域住民に可愛がられ「地域猫」が多い。
実際、街中の地域猫は人間に慣れている。日本の野良猫のように人間を避けるようなことはせず、
路面電車停留所のベンチに座っていたり、階段で昼寝をしていたりしている。
餌を沢山もらっているのか、やせ細った地域猫は見ていない。毛並みもいい。

トルコでは、動物愛護の動きが法的に強化されている。
元々、オスマントルコ帝国の時代から猫は街の一部として受け入れられていた。
イスラム教で猫は清潔な動物とされ、預言者ムハマドも猫を大切にしていたという伝説がある。
猫は都市やモスクで保護され、地元住民によって世話をされてきたという。
1950 年から 1970 年代には都市化の進行に伴って動物福祉が軽視されるようになり、
野良動物の公的処分が多く行われたこともあったが、
1980 年代から 1990 年代にかけて逆に動物愛護団体等が動物福祉の改善を政府に求めるようになっていく。
反動しながら進むという人間社会の一面を思い知らされる。

そして、2004 年の動物愛護法の制定により、自治体に野良猫や野良犬の保護が義務付けられた。
2021 年に制定された動物の権利法では、「動物は物ではなく生命のある存在」として法的に明文化されている。
(日本では、動物愛護法により動物は「特別な配慮がされる存在」とされる一方、
「生命のある存在」としては明文化されていない。また、民法では財産権の対象の「物」と定義されている。)
これにより、動物の虐待や殺害が厳罰化され最大 4 年の懲役刑が科されるようになったり、
ペットショップは飼い主が決まるまで自然な環境での動物飼育が義務付けられ(ケージに閉じ込めない)、
実店舗での動物販売禁止されたりするようになった。


〇トルコ料理

トルコの料理は美味しかった。
写真はイスカンダルケバブといって、刻んだ平パンの上に牛肉、トマトソース、バター、
ヨーグルトをかけるものだ。
この料理を食べたレストランはホテルの隣にあり、滞在中に二回訪れた。
二回目の訪問後の帰り際には、店⾧らしき男性が何故か熱い握手を求めてくれた。
圧倒的な主観に過ぎないが、トルコの男性は爽やかで男らしいが雑ではないナイスガイが多い。

ちなみに、このレストランはホテル滞在者には料金が 20%引きになる。
金額は忘れたが、20%引きは馬鹿にならない。
現在トルコの物価は非常に高くなっているからだ。
2023 年、トルコの消費者物価上昇率は 64.8%を記録した。
日本では 3%上がっただけで「物価高」と騒がれたが、
トルコで生活している人にとってその影響の大きさは比較にならない。


〇コーヒーショップ

写真は滞在したホテル近くの人気のコーヒーショップ。
ピスタチオ入りのコーヒーが有名で他の観光客が作り方を聞いていたが、
店員さんは「企業秘密だよ」と答えていた。
写真右のボックスで店員さんが独特な方法(熱した砂で煮立たせる)で
コーヒーを淹れる様子を動画で撮っていると、「やってみる?」と淹れ方を教えてもらった。


〇ハマム

トルコ式の伝統的な蒸し風呂であるハマムを体験した。
ハマムは、古代ローマの公衆浴場に起源をもつとされる。
入浴前後に休む個室の「冷たい部屋」、中温で体を慣らす「温かい部屋」、
蒸気が充満して体の洗浄やマッサージを受ける「熱い部屋」で構成されている。
今回のハマム「Cagaloglu Hamam」は、300 年前にオスマントルコ帝国によって
図書館建設費用を拠出するために建設された。
大理石の床、荘厳なドーム型の天井、弦楽器の生演奏等、ラグジュアリーな空間だった。

ネットの口コミ通り、屈強な男性が担当してくれた。


◯日本人妻と離婚したトルコ人男性

旅の醍醐味は人との出会いという。
今回の旅も面白い人と出会った。写真は、シーシャバーのスタッフのトルコ人男性である。
ネットで出会った日本人女性と結婚して 10 年間日本に住んでいたが、現在は離婚している。
元妻の実家は群馬県藤岡市で創業 80 年の老舗和菓子屋を営み、当時はその二階に住んでいたらしい。

日本語もペラペラで 30 分以上(彼が)話していたのだが、イスタンブールという巨大都市出身の彼は、
「グンマ、タカサキ(高崎市)は OK、マエバシ(前橋市)も OK。でもグンマフジオカ(藤岡市)、何もない。
グンマフジオカ」とグンマフジオカの恨み節を連呼していた。

だいぶマシンガントークだった。

曰く、「藤岡市でトルコ料理店を開いたが、閉鎖的な地域のため馴染みのないトルコ料理の店に客が来なかった」
「スタバまで 20 キロ、マックまで 10 キロ」とのこと。

元奥さん(彼は度々、「アクマちゃん」と呼んでいた)との離婚手続きは大変だったようで、
日本の離婚手続きは書面で簡単だったが、トルコではアクマちゃんが非協力的で手間と時間を要したらしい。

まさか、イスタンブールに来て群馬県の老舗和菓子店二階に住んでいたトルコ人と話すことになるとは思わなかった。
ここのシーシャも高かったが、面白い話を聞かせてもらったので良かったと思っている。

Embracing Shared Leadership(シェアードリーダーシップ)

This is Candy from Support Gyoseishoshi Law Firm.
Over the past few months, I’ve been part of a Women’s Leadership Program organized by the Tokyo City Government.

One of the most inspiring aspects for me has been the concept of shared leadership.

Shared leadership is a collaborative model where leadership responsibilities are distributed across the team rather than being centralized.
This approach creates a team-oriented environment, empowering each person to contribute their expertise and assume leadership roles according to project needs.

Unlike a traditional top-down structure, shared leadership allows everyone to step up based on their unique skills, perspectives, and situational insights, fostering engagement and flexibility.

At our firm, we promote an “All-Star” approach, where each individual can take responsibility in areas they are eager to grow in.
Personally, I’m passionate about expanding into global markets and connecting with clients from diverse backgrounds to exchange different perspectives and cultural insights.

I am excited to carry forward the principles of shared leadership, actively working to develop a globally diverse clientele!

バックトラッキング

最近、友人から「バックトラッキング」という会話のテクニックについて紹介してくれました。

「バックトラッキング」とは、相手の言葉の一部分を繰り返すことで、

こちらが聞いていることを示し、相手を受け入れ、大切にしていることを伝える方法です。

例:

相手:「この前初めてハワイに旅行に行って、すごく楽しかったです!」

テクニックを使わない返事:「えー、本当に!いいですね~」

テクニックを使った返事:「わあ、ハワイに行かれたんですね!すごく楽しそうですね!」

この方法を使うと、相手に「話をしっかりと聴いてもらっている」という安心感や、

「自分を受け入れてくれている」という肯定感、

そして「大切にされている」という重要感が無意識のうちに伝わり、

相手の心に積み重なっていきます。

こうした小さな工夫が、お互いにとって心地よい関係作りに役立つと感じていますね。

いつ死んでもいいように

こんにちは。新宿本社の坂本です。
私はよく後輩に「人間いつ何があるか分からないから、いつ死んでもいいように仕事をしよう」という話をします。

ちょっと言葉が過激ですが、
記録を残しておく、分かりやすく保管する、進捗を共有する、みたいなことです。

仕事は一人で進められるものは非常に少ないです。
誰かと連携して、誰かと協力して、進めていけるものです。
そういう意味で「いつ死んでもいいように」と言っていました。

自分がコントロール不可の体調不良に見舞われたとき、
そうは言っていたものの、日々に忙殺されてきれいに整理や共有ができていなかったことも露呈し、
反省だなぁと思う日々です。

物騒な世の中でありますし、事故などで急に仕事ができなくなる状況も0とは言えません。

自分がいなくなった時、それでも仕事が回るようにしておかないといけませんね。

肌寒い日も増えてきました。
皆様もどうぞご自愛ください。

職業病

私は、在留資格(ビザ)の申請を担当しています。

外国人の方々が日本で生活したり、仕事をしたりするためには在留資格が必要なので、そのための手続きです。

在留資格(ビザ)といっても、種類は様々です。

例えば、「飲食店で働いている」という状況でも、

料理人なら「技能」、ホールスタッフなら「特定技能」や「特定活動(告示46号)」、店舗マネージャーなら「技術・人文知識・国際業務」かもしれません。

また、これらの就労ビザではなく、「永住者」や「日本人の配偶者等」など、就労制限のない在留資格の可能性もあります。

近年、飲食店・コンビニ・ホテルなど、

いろいろなところで外国人の方々が活躍されている場面を目にすることも多くなりました。

提携先・取引先にも、外国人の方々はたくさんいらっしゃいます。

私は普段ビザ申請のサポートをしているので、日常で働く外国人の方々を見かけると、

何のビザかな?これかな?あれかな?とついつい考えてしまいます。

さすがに何のビザか聞くことはしませんが、、、

この仕事ならではの、職業病と言えるかもしれません。

判断するということ

仕事をするうえで、判断をする場面が多くあります。
決裁者として毎日様々な判断をする中で、現場の意見に流されてしまいそうになる時もありますが、
正反対の意見を持つことが大切であると社内でも共有され、それを実践できるように心がけています。

最近読んでいる”THE MIDNIGHT LIBRARY”という本は、
やり直しがきかない人生の
「あの時違う判断をしていたら」
「この判断をしていたら今の自分はどうなっていたか」
という、自分が選択しなかった人生の決断について描かれています。

たまたま友人とそういう話をした直後に出会った本で、
まだ読み始めたばかりですが、時間を見つけて最後まで読み切ります!

日々いくつもの判断をしていますが、違う判断をしていれば良かった、、とならないように
迅速かつ冷静に向き合っていこうと思います。

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