チェコ旅行
投稿日:2024年11月13日
前回の「トルコ旅行」に続いて、「チェコ旅行」を書きます。
〇チェコのアウトライン

・正式名称: チェコ共和国
・面積: 約7.8万平方キロメートル(日本の約1/5)・人口: 約1,050万人(2021年推定)
・首都: プラハ
・民族: チェコ人(約90%)、その他(約10%)
・言語: チェコ語
・通貨: チェココルナ
・宗教: 無信仰(68.3%)、 ローマカトリック(10%)等・政治: 共和制。現在の大統領はペトル・パベル。
・GDP: 約3,200億USドル(クロアチアの3倍、ギリシャと同程度、日本の1/15)
◯翻弄された美しい国

ヨーロッパ大陸の中央に位置するチェコは、美しい国だ。
特に首都プラハはその象徴と言える。
荘厳なゴシック様式のティーン教会、重厚なロマネスク様式の聖イジー聖堂、
調和の取れたルネサンス様式のシュヴァルツェンベルク宮殿、
華麗なバロック様式の聖ミクラーシュ教会だけでなく、
街中にある普通の住宅や店舗の建物にもそれらの建築様式が静かに息づいており、
異なる時代の建築様式が折り重なるように街並みを彩っている。
滞在三日目には、街を歩いている時にその様式の違いが感じ取れるようになってきた。
石壁の風合い、尖塔の鋭さ、曲線の優美さ。それらはまさに歴史の流れそのものを物語っている。
だが、このように美しい街に暮らすチェコの人々の多くは、宗教をあまり信じていないという。
人口の60%が無宗教を自認しており(チェコ共和国統計局、2021年調査)、
カトリックかプロテスタントの割合が多いヨーロッパ諸国の中では異例なほどである。
その理由は、チェコという国が辿った激動の歴史にある。
15世紀のフス戦争では、フス派(プロテスタント)とカトリック派が激しく争い、
多くの命が失われ、街は荒廃した。
さらに17世紀には、宗教と領土を巡る三十年戦争がヨーロッパ全土を巻き込み、
ボヘミア(現在のチェコ)は特に深刻な被害を受けた。
この戦争でも再び街は破壊され、多くの人々が命を落とした。
さらに20世紀には共産主義革命が起き、社会体制は根底から揺さぶられ、
その後再び資本主義へと転換することとなった。
何度も思想や宗教、社会制度に翻弄された歴史を持つチェコの人々にとって、
宗教やイデオロギーから距離を置くことは自然な選択だったのかもしれない。
プラハの美しい街並みを眺めていると、その背後にある複雑で時に悲しい歴史を思わずにはいられない。
鮮やかな景観の裏に隠されたチェコの歴史の重みを感じるのである。
〇カレル橋とザビエル

歴史の授業で学んだフランシスコ・ザビエルを覚えているだろうか。
フランシスコ・ザビエルは、16世紀の日本でキリスト教(カトリック)の布教を行ったスペイン人の宣教師だ。
教科書で習った多くの歴史上の人物はやがて忘れられてしまうが、
なぜかザビエルだけは多くの人の記憶に残っている。
そのザビエルの彫像を、意外にもプラハのカレル橋の上で見つけた。
カレル橋はヴルタヴァ川に架かる石橋で、プラハの旧市街と小地区を結んでいる。
橋の長さは約520メートル、幅は約10メートルあり、15世紀初頭に完成した当時としては
非常に規模の大きな橋だった。
欄干には時代を経て加えられた合計30体の聖人像が並び、
その美しさからヨーロッパで最も魅力的な橋の一つとされている。
ザビエルの生涯は波乱に満ちている。
彼は16世紀初頭にスペイン王国に併合されたナバラ王国(現在のスペイン北部)の貴族の家に生まれた。
しかし、併合に伴う戦乱によって家族は離散。兄たちは抵抗運動に参加して失敗し、一族は没落した。
ザビエル自身も母や姉と共にナバラに留まり、戦乱の影響を強く受け、苦難に満ちた少年時代を過ごした。
その後、パリ大学に進学したザビエルは、学友イグナチオ・デ・ロヨラとともに聖職者を志し、
イエズス会(宗教改革に対抗して世界各地で宣教や教育活動を行った修道会)を創設する。
当時のヨーロッパは宗教改革が進み、それまで権威を誇っていたカトリック教会の影響力が揺らいでいた。
この状況は、現代において国内市場のシェア低下に直面した大企業が、海外市場への進出を図るのに似ている。
カトリック教会も同様に、世界各地への宣教活動を強化したのだった。
ザビエルは1541年にインドで布教を開始し、1549年に日本の鹿児島へと上陸。
当時の日本では2年ほどで数百人から1000人ほどが改宗したと伝えられる。
彼は日本布教を深めるべく中国での布教も目指したが、許可が下りないまま、
1552年に中国南部の沖合で病に倒れ、46歳の若さで世を去った。
激動と苦難に満ちた少年期を過ごし、学問と信仰に青春を捧げ、
東洋での布教活動に壮年期を費やしたザビエルは、
1622年にローマ教皇グレゴリウス15世によって聖人の列に加えられ、
現在もカレル橋の欄干に彫像が残っている。
〇プラハの天文時計と常識の移り変わり

写真はプラハの旧市庁舎に設置された「プラハの天文時計」だ。
15世紀に建造されたこの天文時計は、稼働するものでは世界最古と言われている。
時計右上の骸骨(死神)像が鐘を鳴らすと、
二つの小窓が開いてイエス・キリストの12使徒の人形が順に現れる。
この仕掛けが毎時間行われるため、周囲には常に観光客がカメラやスマホを手に待ち構えていた。
しかし、この美しい天文時計には現代の科学的常識とは異なる驚きの仕掛けがある。
時計盤の中心には地球が置かれ、その周りを太陽と月が回っているのだ。
これは、15世紀当時主流だった「天動説」を基に設計されている。
天動説とは、「地球が宇宙の中心にあり、天体が地球の周りを回っている」という説だ。
現代人にとっては非科学的で滑稽な考え方に映るかもしれないが、
当時の人々にはこれこそが疑う余地のない真理だった。
天動説は単なる学説ではなく、教会の権威や社会全体の信仰と深く結びつき、
人々の暮らしや価値観を形成していたのだ。
天文時計を見ていると、私たちが普段何気なく信じている「常識」が、
時代によっていかに大きく変わるかを改めて考えさせられる。
ところで、「常識の変化」は過去だけの話だろうか。
実は私たちが当たり前と感じている現代の価値観も、
未来の人々から見ると奇妙で不合理に見える可能性がある。
例えば、ヨーロッパの観光都市では馬車が観光客向けに運行されていることが多い。
プラハの旧市街でも、美しい街並みを馬車に揺られて楽しむ観光客の姿を見ることができる。
しかし近年、動物福祉の観点から馬車利用の廃止を求める動きがヨーロッパ各地で広がりつつある。
バルセロナなどでは既に動物虐待に当たるとして馬車観光が禁止され、
電気自動車などへの切り替えが進んでいる。
将来、馬車観光が完全に過去のものとなった時、未来の人々はこう振り返るかもしれない。
「かつては動物を酷使してまで観光を楽しんでいたとは、なんと野蛮な時代だったのだろう」と。
歴史の中で常識は繰り返し変化し、現在の私たちも例外ではない。
Netflixで配信中のアニメ『チ。-地球の運動について-』では、天動説が常識だった時代に、
命の危険を冒してまで地動説の真理を追い求めた人々の葛藤が鮮やかに描かれている。
この作品を通して、プラハの美しい天文時計の背後にある複雑でドラマティックな歴史を、
さらに深く味わうことができるだろう。
〇チェコ料理

チェコ料理で有名なのは肉料理、特に豚肉を使った料理である。
写真は豚の膝肉を骨付きで焼いたものだ。とても美味しかった。
しかし、そのボリュームにより一人では注文してはいけないと言われている。
私も全部食べることはできなかった。
そして、チェコはビールが安くて美味しい。
ビールの消費量は世界で最も高い国の一つとされている。
〇オペラ

生まれて初めてオペラを鑑賞した。
写真は劇場となったプラハ国立歌劇場である。この劇場は息を呑むほどに美しい。
プラハはオペラが盛んであり、チケットの価格は日本より遥かに安い。
今回のボックス席は1人4000円だったが、日本ではその倍程度の価格になる。
当日の演目は「オテロ」で、シェイクスピアの四大悲劇「オセロー」を元に、
イタリア人作曲家のヴェルディが作曲したものだ。
舞台上のディスプレイに英語字幕が表示されるものの、
演目はイタリア語で歌われるため理解が難しい部分もあるのだが、
舞台上の演者の歌唱、振る舞い、エネルギーは直感的に「凄い」と感じたし、ラストシーンには感動した。
ちなみに、旅の計画にオペラ鑑賞の予定はなかった。
しかし、プラハのレストランで話しかけてくれたスウェーデン人老夫婦の観光客から、
「プラハにはオペラを観にきた」と聞いたことがきっかけで行くことになった。
旅の思い出の多くは、予定になかったことである。
20代前半でバックパッカーとしてアジアを旅した時、
マレーシアの空港でぼったくりをしようとしてきたタクシー運転手に
「いや、お前ぼったくりだろ」と突っ込んだことから妙に仲良くなったことがある。
その時に彼から勧められて、急遽向かったのがインドネシアのバリ島だった。
それからバリ島は私の好きな場所の一つになり、その10年後にも訪れている。
旅の思い出は偶然だ。