「明日よ、あらん限りの悪をなせ、われ、すでに今日を生きたれば」

よく、目標を定めて逆算せよ、といいます。

人生をPJとして考えたとき、目的のないPJなどありません。建設物を作るのに、完成イメージがないまま作るはずがありません。システムを作るのだってそうです。

それと同様に人生においても、大きな目標を立て、逆算していけ、という話があります。よくある非常に良くある自己啓発の話です。

はて?果たして、それが実践的であるのか?と最近思うようになりました。

夢を持ち、それの実現のために分割したマイルストーンに向かって努力を重ねる。それが出来る人は、素晴らしい。才能があるのだろうなぁと思います。

私なんかは小人なので、大きな目標を立て、たいそうな努力を重ねる、なんてことは出来ませんでした。無理です。大きな目標というのは、言い換えれば分相応ではないということ。そんなものを追いかけていけるほど強くはないのです。

そして多くの人はそうだと思うし、そして分相応な目標を持って、たいそうな努力を自分に課し、そして結局こなせず、自分は駄目なやつだと思ってストレスになったりします。世の中ですごい人はそれが出来るのに自分は・・・。遊んでる暇なんてないのに、全然努力が出来ていない。

・・・そんな事を思ってしまうわけですね。ドMですね。

真面目でやる気がある人ほどそう思ってしまうわけです。悲しいものです。まぁ真面目なサラリーマンほどドMが多い、なんてのは蓋然性がありそうですが笑

分相応な努力は出来ない、それは多くの人にとって事実だと思います。だから、大きな目標から逆算していこう、ということも出来ない、私はそう思います。

もちろん夢を持つことは良いことでしょう。立派な人になりたいとか、宇宙旅行したいとか。結構なことです。でもそれをブレイクダウンして逆算して分相応な努力を自分に課して自分をいためつけるなんて、なんて、なんてバカバカしいこと。

我々凡人に出来る事は、今日という一日を一生懸命生きること。それだけです。

イチローはヒットの本数を追い求めました。下がってしまう打率とか、あるいは200本から逆算してあと何本と計算はしませんでした。

今日とにかく一本でも多く、ヒットを打っただけです。だからイチローは自分を天才だと言わないのかなぁなんて思います。天才のように目標から逆算して、たいそうな努力を出来たわけではないのですから。

幸いなるは
今日を我が物と言いうる人のみ
かの人は心安らかに、叫ぶ―――
「明日よ、あらん限りの悪をなせ、われ、すでに今日を生きたれば」
―――ホラティウス

今日を一生懸命に生きること。それ以外に、出来る事はないのだろうと思うのです。大きな目標が要求する努力と未来のことなんて、私には考えられません。毎日毎日、一生懸命必死に生きること。それだけです。未来を考えて今日を暗くするなんて言語道断。大きな成果は不断の今日の努力を積み重ねるしか行う事は出来ないのですから。

自分の大いなる目標は何か。キャリアというものを考えるとき、そうした話が出てきます。そのために資格をとれだとか、技術を身につけろとか、ネットワーキングしておけとか、勉強しとけとか。そういうことがあります。

でも、正直分かりません。私は私が自分で自分を許せるレベルまで毎日努力をしています。その状況に応じてその努力の量も変わりますが、それの何がいけないのでしょうか。分相応な努力は出来ないのですから。

大いなる夢はあるにしても、大いなる目標はありません。第一、目標なんて立てられない。自分は自分の成長に満足しているし、その結果として1カ月後には違う世界が見えているのだから大きな目標なんて立てられない。

私は私の出来る全力を今日という一日で、過ごしている。毎日が満点です。誰と比べる訳でもないのだから当たり前です。

目標を定めて逆算しろなんて傲慢な方法は、もうやめました。今日という一日を一生懸命に自分の魂に嘘をつかないレベルで生きること。それ以上何がありましょうか。

「明日よ、あらん限りの悪をなせ、われ、すでに今日を生きたれば」

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