東 周平

「勝つ」のは目的ではない

東(アズマ)です。

私はあまり「負けず嫌い」という感覚がわかっていません。
勝つのは「手段」であり「結果」であり「過程」であり。
しかし「目的」ではないな、と考えているからです。

例えば、大学受験において、「勝ち」とは「合格」のことです。
合格を目指す理由は人それぞれです。
「○○を学びたい!」「良い大学に入ると就職に有利!」「ここの学園祭に憧れていた!」「○○のサークルに入りたい!」とか、色々あります。
その意味で、合格は「手段」です。

あるいは、「勉強が苦ではなく、自然と志望校に受かった」なんていう凄い人も少数ながら居ます。
その意味で、合格は結果です。

あるいは、「○○が好きで、ずっと勉強・研究していくぞ!」という人にとっては、その努力の「過程」の中の通過点として、合格するケースもあります。

こうして見ると、合格するのは「手段」であり「結果」であり「過程」であり、しかし、どうしても「合格すること」自体が目的という状況が、少なくとも私にとってしっくり来ません。
(「勝つこと」自体が楽しいのでしょうか)

他の「勝ち」に置き換えても同様です。
例えば、当社が行政書士法人として顧客に選んでもらうことは、見方によっては「競合他社に勝つ」という捉え方もできます。
(競合他社も、一緒に業界を広げていくという意味で、大きく見れば味方と言えますが。
 ここでは単純に「勝ち負け」の話をします)

他社に「勝つ」のは、「手段」です。
自社より優れた他社があれば、基本的にその分野では他社が選ばれるので。
依頼をもらうには勝つ他ないです。

また、自社のサービスをより良くする「過程」で、「結果」的に、他社より優れたサービスになって「勝つ」ことも起こりえます。

しかし、やっぱり「他社に勝つこと」自体は(少なくとも私にとっては)目的になりえません。

同じビジネスの土俵でいえば、「自社VS他社」の構図に限らず、「自分VS他の社員」でも同じような話が出てきます。
あまりにも同じなので、ここの記載は省略します。
(他社の時の注意書き同様、「他の社員」も大きく見れば味方です。
 同じ会社の仲間なので、自社VS他社のときより、このことは明らかです)

どこまで行っても、「勝つ」こと自体は目的になりえないと感じているので、「負けず嫌い」の感覚はよくわからないです。
「負ける」ことに関連して発生するネガティブなイベントは、避けたいと思いますが。
(浪人するとか、仕事が来ないとか。他なんでも同様です)

逆に言うと、「なぜ勝ちたいのか?」「勝ちの先にどんな喜ばしいことが待ってるのか?」を突き詰めることで、
単に「勝つ」以上に、自分にとってもっと本質的なモチベーションにたどり着けるのだと思います。
そういう外的要因を抜きにして、純粋に「勝ち負け」を楽しめる「負けず嫌い」の人は、これはこれで一つの強さだなと感じます。

が、私はそうではないので。

「負けず嫌い」な人と「勝ち負け」をしたい(あるいはする必要がある)なら、
自分を掘り下げて「勝ち」と「目的」を結びつけることが欠かせないですね。

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