彼方のこと、此方のこと

私たちが使う言葉には「彼らのこと」と「私のこと」があります。

私以外に適用される環境等に関わることと、
私に適用される環境等に関わる事です。

例をあげましょう。

「数学の先生が良くないから、そのクラスの数学の成績が悪い」
これは「彼らのこと」です。

「数学の先生が良くないから、私の数学の成績が悪い」
これは「私のこと」です。

この違いが分かりますでしょうか?

前者は一定の説得力のある事実ですが、後者はあなた(ここでは私)にとって事実ではありません。私の数学の成績が悪いのは、数学の先生が良くないという影響はあるにしても、全てあなたの責任です。数学の先生の責任ではありません。

「彼らのこと」を語るとき、つまりクラスの成績が悪いのは、先生の責任かも知れません。

でも、「私のこと」を語るとき、その責任は全てあなたにあるのです。

数学の先生が悪かろうが良かろうが、あなたの成績が悪いのは全部あなたのせいなのです。このことを肝に銘じて、様々な言葉が飛び交う社会の中で、意思決定をしていかなければいけません。

彼らの言葉と私の言葉

様々な環境の要因が、我々の周りにはあります。「不況」「コロナ禍」「見た目」「育ち」「学歴」「現代」「世代」「性別」・・・など、上げれば切りがありません。

これらの環境要因に責任を負わす、彼らの言葉を使うのか。

あるいは私の言葉を使うのか。

あるいはSNSやニュース、先輩、同僚、親は、一体どちらの言葉を使っているか。それを見極める必要があります。

「コロナ禍だから景気が悪い。だから私もつらい」

「コロナ禍だから大変だ。でもそれは私が頑張るかどうかに関係はない。私は頑張る」

どちらが彼らの言葉か、そして私の言葉か、分かるはずです。

「私」にとって、あらゆる環境はあくまで副次的な要因に過ぎません。あらゆる意思決定の主体は「私」にあるのです。その代償として「私」は責任を負います。誰を責める権利もありません。

でも、それが自由と言うこと、意思を持つと言うことです。

あなたは「彼らの言葉」を使って自分を話しますか?それとも「私の言葉」を使って自由とそれに付随する責任を負っていますか?

彼方のこと、此方のこと

結局、世の中の外部要因なんてものは、あなたにとって対岸のことです。遙か彼方の出来事です。

ですが、周りからすれば、あなたに関わる環境は「彼方のこと」です。自分事では決してありません。だから、あなた自身の責任を「彼らの言葉」で語ります。

それを聞いてあなたは安心します。「私の数学の成績が悪いのは先生のせいなんだ。みんな言ってるし」

あなたは周りの人にとっては、彼方の人です。彼方の人として自分を捉えてしまうと、もう、どうしようもありません。あなたは此方の自分を見失ってしまうのです。

あなた自身に係るあらゆる事は、此方のことです。

でも、誰もあなたの此方を見ることはできません。「私の言葉」を使うことはできません。

目の前の人の言葉を環境を、彼方のこととして捉え、自分の責任で判断するか。それとも自分の意思を失って、責任を負わず自分自身もその他大勢としてしまうか。それが全ての分かれ目なのだと思うのです。

4/1

社会人をはじめる多くの人に。

言い訳のない自由な世界で、意思判断と人生を過ごして欲しいと思っています。

世の中がそうであるからといって、あなたがそうならねばらない理由はどこにもないんです。

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