
何十年後かの自分を想像して夢を描くことは、今の自分を励ます原動力となりえます。
私は、遠い未来よりできるだけ近い将来をイメージすることで、
「少し先の、より良い私」
を、自分だけでなく、家族や周りに対しても意識するよう促しています。
長女は、クラスの室長で、各学年毎に集う室長会の会長も、
先生からの任命で併任しています。
先日、学校新聞に掲載する室長会の意見を、担当に届けるはずが、
その紙を教室に忘れて下校し、気がついたのは夜でした。
長女 「絶対、先生に怒られる。だから会長なんかやりたくなかった。」
私 「学校新聞くらい大丈夫じゃない?」
長女 「ダメだって。今日中って言われたし。とりあえず明日の朝一番に、先生のところに行く。」
翌朝、30分早く登校した彼女は、先生から怒られることはなかったものの、
注意をされたそうです。
「学校新聞くらい」と言う私の言葉を鵜呑みにしなかった長女にも、
「そんなの全然大丈夫よ」とは言わず、
きちんと責任を持たせる返しをしてくださった先生にも感謝です。
おかげで、
「その責任感は大切なことだったね。
自分がやりたかったことじゃなくても、やらきゃってことは、たくさんあるよ。
仕事に就いたときは、きっと自然に身についてるね。」
という、一時的に難を逃れたことに重きは置かず、
長い目で責任感を大切にしてほしいという、彼女の行動を肯定することができました。
また別の日。
大好きな国語の先生が産休に入り、新しい国語の先生が来ました。
新しい先生は、宿題とは別で予め学習する箇所の、
熟語調べをしておくことを課題にします。
意味だけでなく、類義語や対義語も。
任意なのですが、授業についていけないと困るという子どもたちにとって、
その課題は必須になりました。
長女は、課題が多くなったことを嘆きます。
私 「塾の先生も言ってたけど、高校は完全予習型の授業って聞くから、今から慣れておいたら楽だね。」
長女 「…はぁ。」
今が大変な長女から「そっか!ママありがとう!」
なんて返事はありません。
ただ、その国語の課題は、愚痴を言わずに続けています。
特別に秀でた子ではありません。どこにでもいる中学生です。
彼女は、失敗するし、不満もあります。
類にもれず私も同じです。
でも、日常の失敗や不満を、小さな事件として、
「まぁいっか。」
とやり過ごすと、あっという間に何十年か経って、
それが自分のスタンダードになります。
日常に気を配り、小さな事件をやり過ごすことなく、そこから、
「少し先の、より良い私」
を意識できれば、自分のスタンダードが上がる気がしませんか。
何十年後の夢は、良いイメージの積み重ねによって、
遠い未来から近い将来になり、目前の目標になり、手が届くのかもしれません。